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「それにしても、こんな風にしていていいのですか。婚姻の儀まで、時間がないのでしょう」
「時間がないから、です。もうこの家ともお別れになってしまいます。ですから」
「それは、昼間でも良いのでは?」
訝しむような口調のおじさま。普段は慇懃なのに、変なところで真面目に、冷淡な口調になるのはこの方の特徴でもありました。
「人とのお別れは言葉を交わせますけれど、ものとのお別れには、言葉を交わせませんから。静けさと、一人になることが必要ですわ」
私の言葉におじさまはふっと笑います。
「実に、あなたらしいですね。よく似ていらっしゃる、お母様にも」
それから、バルコニーのベンチの方へと、おじさまは私を導いてくださいます。
もう真夜中を過ぎていましたが、私は少し、そこでおじさまと、話をすることにしました。そこで、私の抱えている悩みを、おじさまに話すことにしたのです。
「……私、少し考えないこともないのです」
「と言うと?」
「もちろん、婚姻のことです。私が、自分の意思で契約書に署名することになっています。でも、それでいいのかと」
「それでいい、とは」
そんな会話を、私たちはしていました。私とは気心の知れたおじさま相手ですが、それでも私は慎重に、言葉を選びます。
「結婚は本来、自由意志でなされるもの。でも、これは政略結婚です。こんな風に決められた相手と、結婚することを選んで良いのかと。それを、自分の意志として良いのかと」
おじさまは黙って、私の話に耳を傾けていました。それから、口を開きます。
「……アルトゥル様との結婚に、不満がありますか?」
「不安はありますが、不満……ではないと思います」
おじさまの単刀直入な質問に、私も正直に答えますが、おじさまは畳み掛けるのでした。
「建前を言わなくてもいいのですよ。この場では」
「建前ではありません。でも、大恋愛だったのでしょう?」
「何が?」
「お父様とお母様です」
私の父と母、現在ではランデフェルト公爵と公妃は、身分違いの出会いから、紆余曲折、そして運命の変転を経て大恋愛を実らせたと、私はそのように聞いていました。おじさまは、笑みを浮かべて答えます。
「ええ、実に。私も骨折りましたよ。……ベアトリクス様」
「なんでしょうか」
私に向き合い、真正面から私を見据えるおじさま。私は、少したじろぎます。
「好きですか。アルトゥル様のことを」
「好き…………。うーん、ええと。嫌いではないです」
私は、そう答えます。
「嫌いではない。その真意をお聞きしましょうか」
私は、少し考え込みます。そして、私から見たアルトゥル様のご様子について、口にしてみることにしたのです。
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