プロローグ

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プロローグ

 小鬼の丸い頭はどろりと濡れて目玉が飛び出し、円錐型の短い角が一本ある。口は耳まで裂け、サメのごとき歯が並び左右に牙が立つ。手足は朽ちた枝のようでバランスの悪い頭をそれでもちゃんと支えている。  おぞましいが、見方によっては滑稽で、どこか愛嬌もある。  小鬼が棲むのは異界の扉の内側で、その全ては、ゆらめく陽炎の内部にあった。そこには色彩も音もないが、花が咲き、蝶が戯れる。花をめぐる蜂も血を求める蚊も羽音はなく、地べたを這うムカデの足音もない。それでも小鬼は虫たちと遊び、ゆらめく陽炎にこぼれ落ちたノイズのシャワーに身を委ねる。  色も音もない異界の扉の内側で、時間のベクトルはウロボロスを描いて流れるばかりだ。かさり、と小さな足に踏まれ、壊されるまでは――。      *  細い指先が伸び、オガタマノキの葉の裏につく蝉の抜け殻をつまんだ。強烈な太陽が降り注ぎ、真っ青な空に白い雲が浮かぶ。異界の扉の外側は色に溢れた世界だ。  音もまた存在する。  共鳴し合う蝉の声がひとつの巨大なベールとなって少年を包み込む。最早、大人たちの華やかな時間は遮断され、小さな蝉の抜け殻を虫かごに入れる姿はどこからも見えはしない。  ただ一人の、手招きをする男を除いて――。  少年は招かれるまま歩み寄り、差し出された招待状を受け取った。異界の扉の向こう側へ、遙か彼方の遠い未来を旅する招待状だ。そこには色も音もないウロボロスの魔物がそっと時間を奏でている。この世から切り離されてもなお「意識」だけは生き続けるメタバースの世界のように。  少年の柔らかな細い腕にチクリと小さな痛みを伴って、異界の扉が開かれた。豊かな色彩と音に溢れた世界が闇に閉ざされ、少年の小さな鼓動が命を終えた。      *  なんの前触れもなく、小鬼の前に何かが放り出された。驚いて飛びのく小鬼は草の中へ身を隠す。色のない、音もない世界に、何かが匂った。ゆらめく陽炎にその匂いは漂い、恐る恐る顔を出すと少年の屍体があった。  ウロボロスの時間に支配された世界なのに、やがて屍体の皮膚は剝がれ、肉は腐った。その様子を見ていた小鬼は少しずつ理解する。少年の屍体とともに投げ込まれた「偽り」が、この楽園を穢そうとしているのだと。  最早、色のない世界に咲くのは花でなく、ひらひら舞うのは蝶ではない。降り注ぐのは乾いた砂ばかりで、人骨が花びらのように散乱する終末の世が始まったのだと。  やがて少年は目を覚まし、小鬼と一緒にダンスを踊る。色がなく、音もなく、ウロボロスの時間が流れる空間で、肉と血が腐る匂いだけを頼りにダンスを踊る。とても、楽しいダンスだ。どこからか、少年と小鬼を呼ぶ誰かの声がして、異界の扉がそっと開いた。 (つづく)
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