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薄雲 8
「前田さん・・」
「なんだ、他の客だと思ったのか。変な顔をしおって。わしじゃいけないのか。」
「・・いえ・・すんません。」
「こっちへ来い。」
「へい、三味線を呼びましょ。」
前田さんとの床入りを少しでも先延ばしにしたい。
「三味線も踊りもいらんわ。うるさい。」
「・・・」
「この徳利の酒を一気に飲み干して、裸になれ。」
「・・・」
「聞こえないのか。返事をしろ。」
「・・へい。」
酒を美味いと思ったことがない。辛くて胸が焼けそうになる。でも前田さんに逆らわず徳利を手に取って、言われるままに、お猪口に注がず直に徳利に口をつけて飲み干した。
「おぉ、いい飲みっぷりだ。」
喉から腹まで焼けるようだ。吐いてしまいたい。
「早く着物を脱げ!」
「・・・」
怖い。脱いだ着物を屏風に掛けて、腕で胸を隠すようにしたが、前田さんが袂から手拭を出して、口に加えさせ首の後ろで結んで猿轡をかまされた。手首も足首も麻縄で縛られ柱に括りつける。縄のせいじゃなく、怖くて動けない。行燈の中から火のついた油皿を取り出して、近づいてくる。
「がわあああぁぁぁぁーー」
怖くて熱くて叫ぶが、猿轡で声にはならない。いくら泣いて叫んでも誰も助けに来てはくれない。わっちの気は頭のてっぺんからすうっと抜けていった。
寒くて目が覚めると、暗闇の中に素っ裸で横になっていた。痛めつけられて気を失っていたのだろう。猿轡を外し、縄を解く。体のあちこちがひりひりと痛む。体が冷え切っている。急いで床着を着ようと立ち上がると、布団で前田さんが寝ているようだった。寝息も聞こえる。手探りで床着を着て、廊下に出た。何をされたのか、体中が痛い。へたり込んで廊下に座っていると不寝番が行燈の油を足しにやって来た。
「うわあぁ、驚いた、姉さん、なんでこんなところに・・」
「手水に行こうと思って。暗いから・・」
「今、油を足しますよ。」
不寝番は廊下の八間の行燈に油を足すと、座敷に入っていった。
「姉さん、薄雲さんかい?」
しばらくして座敷から出てきた不寝番に声を掛けられた。
「座敷の行燈の油皿が何処にもねぇんだ。暗くて見えやしないし。何があったんだ。」
「いや・・・」
「すまねぇが、朝が来るまでどうしようもねぇ。火はつけられねぇよ。」
「はぁ・・」
不寝番はろくに返事もしないわっちを残して、次の行燈に油を差すために廊下の奥に消えていった。明かりなどどうでもよかった。この体が可哀想でならなかった。声を殺して泣いた。喉が痛くなり、しゃくり上げるたびに体中が痛かった。
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