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瀬山 3
土間はこんなに広かったか。奥の内所までこんなに遠かったか。浜から戻ったら、他人の体のようだ。
「瀬山です。」
「ここへお座り。」
遣手のふくもいる。ふくも楼主の女房、内儀のおたかも、身の丈が低いのに臼のような尻をしている。わっちらより随分といいもんをたくさん食べてるからだ。黙って素直に長火鉢の前に座る。
「一体、どういう了見だい。」
「はぁ、何のことで。」
「とぼけるんじゃないよ!」
遣手のふくが、息巻いておたかに加勢する。文句を言う時は、必ず下出っ歯になって、虫ほど小さな目がもっと小さくなる。不味い器量が尚更悪くなる。性根が顔に出てくるんだろう。
「石見浜田藩の廻船問屋、会津屋の清助さん、旗本の次男坊の淵川さん、藩士目付の伊藤さん、熊本藩細川家の廻船問屋、天野屋の利兵衛さん 、これだけ言えばわかるだろ。」
「はぁ・・・」
「部屋持ちだといい気になってるんじゃないよ!」
ふくの鼻息は荒いが、女郎は売り物だから、顔を叩かれることはない。上客のついているうちは折檻はしまい。
「昨夜、お出でになって、ぬしをずっと待っておいでだ。清助さんも利兵衛さんも大店の旦那。淵川さん、伊藤さんはただのお屋敷さんじゃないよ。留守居役なのは承知だね。こんないい客が付いていながら、お待たせするなんて、なんという体たらくだ。」
「それは申し訳ないことを。堪忍。わっちも気付いたら浜にいて・・・」
「ふざけた戯言を。名代もいらない、瀬山を待つと言うから、幇間と芸者を呼んで、遊んでもらったが、一銭も取るわけにはいかない。こっちは大損だ。」
どうせ、わっちの借りになるんだろう。
「昨日の酒代はぬしにつけるから、覚えておき。」
「あい。」
借りは増えるばかりで、減りやしない。年季が明ける前に死んじまう。島からは生きて出られない。
「今度やったら、おちょろだよ。忘れるな。」
わっちのような稼ぎ頭の女郎をおちょろ舟に乗せるわけがない。
「あい。」
「今日はおまんまなしだ。」
食べる気もしないから、丁度いい。ふくはわっちの分も食べて、また肥えるんだろう。
「もうすぐ昼見世だ。支度をおし。」
立ち上がって部屋に戻ろうとするが、足も腰ももっと重くなっている。どうしちまったんだか。前に出ない足を無理やり引き摺って歩く。体も熱い。階段が何処までも続いているようだ。やっと襖を開けて三つ布団に倒れ込む。
「瀬山さん、お仕度です。」
二度寝もできなかった。新造の早蕨と禿のおはつが襖越しに声を掛けて入って来る。寝転がるわっちに早蕨が驚いた顔をしている。
「どうなすった?」
「あぁ、ちいっとばかりしんどい。」
「それはいけない。袖の梅でも持ってこさせましょうか?」
「いいや、酒のせいじゃない。何だか急に体が重くてね。」
「按摩を呼びましょか。」
「心配しなさんな。すぐに良くなる。」
早蕨の手を借りて、勝山髷を整え、白粉を塗る。おはつは覚えが早く、早蕨は器用で、髪結いも負けるほどだ。二人ともよく尽くしてくれる。本当の妹のように可愛がるからか、二人も姉のように大事にしてくれる。
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