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瀬山 9
飛騨の山奥から女衒が連れてきた早蕨は、百姓の娘にしては肌の白い何処か艶のある顔をしていた。擦れたところもなく、素直に三味線の稽古やら手習いやら何でも意気込んで取り組んでいた。
しかし暫く妓楼に住んで、地獄に売られたと合点がいったのだろう。早蕨は暗い顔をするようになった。自分を見るようで切なく、早蕨のことを気に掛けるようになった。お付きの新造にしたのも、おたかに言われたからじゃない。早蕨を可愛がってやりたかったからだ。そうして自分を可愛がっていたのだろう。
じゃらんじゃらんじゃらんじゃらん
若い者がやかましくお触れの鈴を鳴らしてる。暮れ六つだ。清掻が調子はずれだね。誰だい。姫浦か。いつまでたっても上手くならない。座敷に座ると夜見世の格子の向こうで客引きと見世番の若い者たちが、身投げした女郎の話をしていた。
「扇屋の薄雲のいいひとは四千石の御旗本だとよ。久枝定信とかいう名のお屋敷さんで、それが、なんでも外聞が悪いと思ったのか、定信の死骸を別の家来の死骸だと嘘を並べて御上に届けたそうだ。」
「恋咲岬から飛び込んだんじゃないんか?」
「女を岬から落として、男は腹を掻っ捌いて自害したそうだから、男の死骸は岬に残ってたそうだ。」
「男は身投げしなかったのか。」
「あぁ、力尽きたんじゃないか。その死骸を当主じゃなくて家来のだと言っちまったから、罪が重くなったんだろう。」
「死んじまったのに仕置きも何もあるもんか。」
「死人に仕置きじゃねえよ。残された母様と奥方が仕置きを受けるのさ。久枝家は改易、母様と奥方は押込だよ。」
「改易ってなんだい?」
「お武家さんの身分も領地も屋敷も家禄も一切没収だよ。文無しさ。」
「押込はどっかに閉じ込められるんだろ?」
「あぁ、罪人みたいだなぁ。」
「なんで嘘なんてついちまったんだろうな。」
「相対死は厳しいお達しがあるからな。仕置きを恐れたのか、家名に傷がつくのを恐れたのか。」
「いずれにしろ、後の祭りだな。」
生きるも地獄、死ぬも地獄。家人も地獄に道連れか。客に惚れたら女郎は終わりだ。恐ろしい稼業だねぇ。
「瀬山さん、お仕度ぅー。」
見世番が座敷まで通る声を上げる。あと何回この声を聞かなきゃならないだろう。
「淵川さんのお越しです。」
若い者に連れられて、淵川が小柄を預けて登楼ってくる。
「やっと来てくだすった。」
「何を言う。ぬしがわしを待たせるのだぞ。」
「わっちの手紙は御覧かね?」
「あぁ、読んださ。漢詩は難しいな。あれは誰の詩だ?」
「杜甫です。お気に召しませんかね?」
淵川も詩の話ができない。漢詩の中でも杜甫の哀しい詩が好きだ。李白より杜甫が好きだ。誰もわかっちゃくれない。男は股座さえあればいい。女郎と詩の話なんぞする男などいない。
淵川の着物を預かる。三本縞の羽織の裏に龍の描絵が鮮やかに見える。お屋敷さんのくせに商人のようなことをする。
「裏勝りだねぇ。豪奢に洒落た羽織だ。」
「あぁ、呉服屋に高い着物を買わされた。」
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