くん、くん、くん。

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 ***  いくらコロッケも僕も散歩ロードを覚えているとはいえ、最初の頃は結構緊張したものだ。男に二言はない。一人でやると言ったらやるのだと決めてはいたが、僕にとっては初めてのおつかいのようなもの。過度にリードを引っ張らないコロッケに助けられながらも、道を見て真っすぐ川の方へと歩いていく。  勿論、河川敷を歩くからといって川に入るようなことはしない。  コロッケもそのへんはわかっているのか、僕と二人だけの日はどれだけ暑くても水に入りたがることはなかった。お母さんも一緒だと、水遊びをねだることもあるようだったが。 「ねえコロッケ、そこなんかあるの?」 「わっふ、ふんふんふんふん……」 「……それ返事してるつもりなの、ねえ?」  そんなコロッケは、いわゆる“クン活”に忙しいタイプの犬でもある。犬が匂いを嗅ぐのは、他の犬の縄張りを確認する意味もあると聞いたことがある。散歩コースはけして長いものではないのだが、彼ときたら突然立ち止まって変なところでクン活を始めるのが常だった。  そのため、歩いた距離に対して遅々として進まない、なんてこともしばしば。  特に河川敷周辺はいろんな犬が印をつけて歩くからなのか、彼はとにかくあっちにこっちにクンクンしてばかりいることも珍しくない。  多分、それは彼にとって楽しい行為でもあるのだろう。  クン活している時のコロッケは、いつもくるんとしたシッポを、くるん状態のままふりふり振っているし、場合によっては耳もぺったんこのヒコーキ耳になっているからだ。コロッケはとても喜怒哀楽豊かで、それがわかりやすい犬である。シッポを振るのも耳がぺったんこになるのも、楽しい時や嬉しい時だけだと知っていた。  もちろん、世の中には怒っていても興奮したらシッポを振る犬もいると知っているが。  コロッケの場合、そもそも他人に怒ることがほとんどない。一軒家(シングルマザーなのに?と思うかもしれないが、土地代が東京とは比較にならないほど安かったからだと思われる。実際、近所には母よりずっと若い夫婦で家を買っている人も少なくなかった)の家の前、犬小屋に繋がれたコロッケは人が来るたび“僕だよ!僕がいるよ!かわいいでしょ、ねえ!?遊んでくれええええええええええええええ!”と大興奮で寄っていってしまうような犬である。  柴犬はツンデレ(ツン多め)と聞いたことがあるが、こいつは本当に柴犬だったのだろうか。はっきり言って、デレているところしか見たことがない。  吠えることもあるが、それは大抵嬉しい時だ。遊んで欲しいと吠えて“遊んでよおおおおおおおお!”と訴えてしまうので、他の犬にびびられることもしばしばあるタイプ。まったく番犬には向いていない。 「お前って、人生常に楽しいタイプだよね……」  子供ながら、僕はコロッケを見ていていつもそう思っていたのだった。 「毎日楽しくて仕方ないでしょ。嫌なことってほとんどないでしょ。うらやまし……。宿題代わって……」 「わふ、わふわふ、わふ」 「それは無理です、みたいなことを言ってる?ねえ?」  まあ、コロッケが楽しそうだと、僕も楽しい気持ちになるのは確かだ。  シングルマザーで働きづめの母と二人の生活。苦しい時もあったが、なんだかんだ毎日笑顔を忘れずに暮らせたのはコロッケがいてくれたからだと思うのである。  僕はコロッケが大好きだったし、彼との散歩も好きだった。だから彼との散歩を始めてから、僕は遠方の田舎に住んでいるおばあちゃんに電話をする時、毎日コロッケの話をしていた気がするのだ。 「今日コロッケがさあ、芝生の上でゴロゴロしちゃって、もう芝生犬になっちゃってー」 『えっちゃんは本当にコロッケちゃんのことが好きなのね』 「うん」 『今度、うちにも連れていらっしゃいな。あたしもコロッケちゃんと会ってみたいわ』 「いいよ!ママに言っておくね!」  大体、こんな具合である。
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