"狐"

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「"私"が何者なのか、分からないんです。」 「"私"は、稚拙ながらも物語を書いています。  ある日は何よりも運動をすることが好きな少年の、別の日には少しお節介なご婦人の、昨日は遠い宇宙から来た宇宙人の話を書いていました。」 「そして"私"は物語を書く中で、ある日は少年に、別の日にはご婦人に、昨日は宇宙人になっていたものですから、…段々と自分自身が、元の"私"がどんな生き物であったか分からなくなってしまったんです。」 「なるほどなるほど…」  とある田舎の和菓子屋の奥、長い間使われているのであろう年季を感じる家具や多くの本に囲まれた小さな和室の真ん中で、スーツ姿の神妙な顔つきをした女性と、淡いピンク色のワンピースを着た年端もいかない少女が向かい合って座っていた。  店に入った時の少女は「おばあちゃんがおでかけしてるから、おるすばんしてるの」「おねえさんしょうせつか?なの?じゃあおはなしかいて!」等とたどたどしく話していたが、「狐」の話を持ちかけた途端、その態度は豹変した。 「はい、納得がいきました。 それでわざわざ片田舎まで()を探しに来たと?」 「はい、狐は多くのモノに化け、元に戻ってはを繰り返していますから。  元の姿に戻ることができる、ということは誰よりも自分自身についてご存じだと思いまして。」 「変化が十八番なのは私達だけじゃなくてにっくき狸の奴らもなんですけどね。  …まあ、それはともかく、お菓子を一杯買ってもらいましたし、なによりもこんな所まで来てくれたんです。私に分かる程度のこと、私の考えていることぐらいはお教えしましょう。」  少女は濃ゆめに入れられた緑茶をズズッとすすると、指を一本立てた。 「まず、私達は変化の度に元の姿に戻ってはいますが。 (イコール)変化前の姿形、精神と100%同一の物に戻っている、とは言えません。 1つ、姿形に関しては、自分のことでも知らないことが数多くありますから、変化前と変化後で大まかなシルエット自体は似ても、ヒゲの本数なんかがよく変わってしまうものです。」 「次に、精神に関しても同様です。  私も今は少女の姿をしていますが、この前までは大きな都会でコンビニの店員に化けて、人間社会で働いていました。そのためコンビニ店員としての経験や自分とは違う誰かとして生きた記憶が増えることで私自身のあり方、考え方が変わってしまうことは避けられません。  何を隠そう、ここに貴方がいらっしゃった時、条件反射で「いらっしゃいませ~!」と元気一杯叫びかけたのも変化の1つと言えるでしょうから。  私も貴方も、自分以外の誰かに化ける前の自分に100%戻れていない、という点では仲間でしょうね。」  少女は2本の指を下げると、口が乾いたのかもう一度茶飲みに手を伸ばすが、 「それは、怖くは無いんですか。自分自身が変化していくということに関して。」  少女の指が、湯飲みに触れた所でピタリと止まり、「うーん」と唸りながら視線を天井の右へ左へと流す。 「まだ私の背丈がこれくらいだったころは、怖い、と感じたことはもちろんあります。」 「なら…」 「でもね、よくよく考えてみると、生き物みんな、そうだったんです。  私達みたいに自分以外の誰かに化けない人間だって、昨日と、なんなら1秒前とまったく同じ人間じゃない。歩いている道中で髪の毛が1本抜け落ちたかもしれないし、SNSで他者から影響を受けて、考え方や生き方が変わっているかもしれない。」 「だから私は変わりたくないと思うよりも、より良い自分に変わっていくことが有意義だと思うんです。」  少女の真っ直ぐな視線に、女性は何も答えることができなかった。 「いますぐそう考えなおせ、と言うわけでもありません。これは私の1意見でしかありませんから。  ですがそうですね、良かったら私の話でも書いてみませんか。もしかすると物語を書くことを通じて変化を恐れる"貴方"から、変化を克服した"私"になれるかもしれませんし、この話には貴方も登場するでしょう?自分について書くことで自分を思い出すことだってできるかもしれません。  どちらにせよ、今ならモデルが貸し切れてとってもお得だと思いますよ。」
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