隠居妃はここにいる

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 短い髪は燃えるように赤い。はだけたシャツからは筋肉隆々の胸元が覗いていた。腰には蛇の文様が刻まれた剣を携えている。鞘が当たる音を鳴らしながら、男は2人に近づいた。 「ローガン」 「2人ともお祭りを見に行くんじゃなかったんですかい」 「ローガンこそ何をしているの。面倒くさいから宿で待っとくって言ってたでしょ」 ミアとローガンが並ぶと、ミアは子供のように小さく見えるが、彼女の方が1歳上だ。ライリーよりも10歳は上なのに、同年代に見られていることが多い。彼女の頬にローガンの太い指が振れる。低い声が響いた。 「何かあったんですかい」 「何も」 ライリーは首を振ったが、ローガンは目を細めたままだ。問いただすような沈黙に、ため息を吐いた。ミアが彼に向って囁いた。 「姫様がまたご自分を軽く扱うの。代わりに怒って」 「そんなことしてないよ。大したことは何もないから」 「後で詳しく聞きます」 「ローガン!本当に何もないから」 「死人みたいに扱われたのに平気な顔をしてるの」 「ミア」 言い方が悪すぎる。ローガンの顔はさらに迫力を増していた。黙っているだけでも子供が泣く顔だという自覚が足りないのではないだろうか。軽口を叩きたくなったが、今言うと小言を言われる可能性が高い。ライリーは肩を落として、咳払いをした。2人の顔が青くなる。 「風邪ですかい?」 「やはりお疲れが出たのでしょうか?」 「違う。そんなことより、ローガンはどうしてここに?」 額に当てようとするローガンの手を軽く振り払い、問いかけた。不満そうに顔をしかめられたが、ライリーはじっと見つめた。鋭い目も慣れれば恐怖は感じない。彼が優しいことは何年もの付き合いから知っていた。ローガンの薄い唇が開いた。 「少し悪い噂を耳にしたので」 「悪い噂?」 「ディラン王子の手癖の悪さ?」 「ミア」 話がまた戻っていくと思ったが、ギドの気配は変わらなかった。見向きもせず軽く告げた。 「それは知ってる」 「知ってる?知ってるってどういうこと?」 昔馴染みの女性に詰め寄られて、彼は鬱陶しそうに半歩退いた。退いた分、ミアは詰めるので両者の距離には変化はない。 「前から王都では有名だった」 「はあ?知ってたならどうして言わないの!ひめ……ライリーがどんな気持ちで」 ローガンの細い目が微かに開き、驚いたような表情を浮かべた。 「傷付いたんですか」 「ううん、特に」 「ですよね」 「ですよね?」 別にディランの噂に傷付いてはいないが、ローガンの言い方は少し心外だ。眉を微かに上げて、彼を見上げた。不満の気配に気づいているはずなのに、彼の表情は淡々としている。 「一回しか会っていない男のことなんて忘れているでしょう。噂っていうのはクズ殿下のことでないです。盗賊です。王都周辺で盗賊が活発になっているようです」 「盗賊か」 ライリーは横目でミアと目を合わせた。ブラウンの瞳からは熱が引いているのを確認して頷いた。ベストの裏に隠したナイフに触れる。人混みを歩いたが、無くしていない。 「今回は商品もある。早々にここを発とう」 「はい」 「ま、ローガンもいるから大丈夫でしょうけどね」 「うん。そんな心配はしてない」 「それはそれはありがとうございます」  深々とローガンが頭を下げた。背筋の通ったお辞儀は元騎士を思わせる。否、元ではない。彼が護衛の真似事を行っているのは、ライリーが至らないせいだった。 「面倒事に巻き込まれると困るからね。ごめんね、ミア。楽しみにしてたのに。残ってもいいよ」 最後の言葉に一抹の希望を乗せる。そろそろ2人とも追放王子妃から解放されてもいい。言葉に乗せた希望に自身を傷つけながら、ミアの反応を待った。剣だこが出来た大きな手が頭に乗り、細い腕が身を包む。 「後で説教確定っすね」 「今日は離さないから」 温もりに視界が滲みそうになり、キャスケットを持ち上げた。太陽の光が目に沁みる。目を閉じて橙色に染まる街並みを瞼の裏に移した。人々のざわめきが遠くから聞こえる。暖かい空気を胸に含んで、声をかけた。 「じゃあ宿に戻ろうか」 「「はい」」 リリーの行動を見張る為に付けられた侍女と騎士は、ライリーにとっては頼りになる、年の離れた友人だった。
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