隠居妃はここにいる

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 港は山に囲まれており、他の都市とは離れていた。ライリー達が住んでいる小屋は西側の山中にある。山道を下り、港へと向かう。草木の香りが次第に潮の香りへと変わっていく。白いレンガの街並みの奥には海が見えた。遠くからでも陽の光で輝いているのが分かる。貝や魚など海産物が干された家の間を通り抜ける時には、胃を刺激するようなかぐわしい香りも漂ってきた。褐色の住民たちの声に会釈をすると、笑顔が返ってくる。何日も通ったおかげで、顔見知りが増えていた。 「今日はいい日になりそうですね」 「うん。ローガン、やっぱり先、ギルドに行くことにする」 「仕事はお休みですよ?」 ミアが少女のように首を傾げた。 「ちょっと用事ができた」 「明日ではいけませんか?働きすぎるのは……」 「働くわけじゃないよ。ちょっと忘れ物を取りに行くだけ」 「忘れ物でしたら私が」 ライリーは彼女の細い手首を掴み、故意に上目遣いをした。 「自分の忘れ物ぐらい自分で行くよ。ミアも先行ってて」 「嫌です。1人にすると何をするやら」 「俺もついてきますよ」 「駄目だよ。キャプテンが待ってるでしょ。船の作業を手伝わないと」 「分かりましたよ。いつ頃こちらに来ますか?」 「うーん……昼すぎかな。一緒にご飯食べよう」 「かしこまりました」 「じゃあ私たちはここで」 「はい」 十字路でローガンと分かれる。何度も『無茶はするな』と念を押し、手を振る。大きな背が見えなくなったとき、ミアと共に歩き始めた。何度も角を曲がると一際大きな屋敷が現れた。白いレンガで厳重に囲まれた屋敷は他の家とは違い、生活感がない。木で出来た門を押すと、きしむような音とともにベルが鳴った。 「ライリー、今日は休むんだったんじゃないかい」 「働きすぎは体に毒だよ」 「前みたいに風邪引いて、ミアさんに怒られてもしらないよ」 顔なじみに会うたび、休みであることを指摘されて苦笑する。 「今も働いている人に言われてもなあ」 「私たちも休日は休んでいるよ。自分が休日制度を提案しておいて、休まないのはどうなんだ、ねぇ、ミア」 バンダナを付けた女性はミアに同意を求め、ライリーの一歩後ろを歩く彼女も頷き、口を開いた。眉を下げ困ったように、口元に手を当てる。 「本当にすぐ働こうとするんですよ」 「今日は仕事じゃないよ。客としてきたんだから」 「客?」 「忘れ物をされたのでは?」 「買い忘れだよ。痛み止めと……新しいシャツとボタンが欲しいんだけど」 「シャツとボタン?」 「うん。ローガンの新しい服を買おうと思って……」 「いつもヨレヨレだからね。あんたも大概だけど。ちょっと待ってな」 ライリーの要望を聞くと、職員は屋敷の奥に入っていく。その背に声をかけた。 「あ、ミアの分もお願いします」 振り返らず片手を上げるだけの返事を確認すると、横から袖を掴まれた。動揺した彼女は袖を何度も引っ張ってくる。 「私のはいいですよ」 「ダメ。いつものお礼だから」 「そうおっしゃっていつも私たちに贈り物しなくてもいいですよ。ローガンも私もまだ王城に籍は残っているので給金を頂いておりますから」 「私があげたいだけなの。それに私もミアやローガンの服を貰っているからいいの」 子どもの頃は新しい服を買うのがもったいなく、ミアやローガン、街の皆から貰っていた。ローガンの物は大きく、外には着ていけなかったが、ほとんどを誰かの古着で生活を送っていた。 「ライリー様こそ新しい洋服を……あ、私が買います」 「自分のお金は自分のために使って」 「その言葉そのままお返しします」 ぷくりと頬を膨らませるミアに笑みを返す。年上と思えない様子は可愛らしく、ライリーは彼女から何度も癒しを貰っている。 「ミアは家族に仕送りもしているんだから、お金は大事にしないと。私の親は裕福だから何もいらないでしょ。贈り物を渡す人はミア達しかいないの。だから受け取って」 「う……もうっ」 「ありがとう。あ、もうすぐ商人たちがつく時間帯だよね。新しい品物はあるかな」 「そうやってすぐ話題を変えようとされるんだから。仕事はしないでくださいね」 溜息混じりに言われながら、ライリーは周りを見渡した。幼い頃、商団を手伝い始めてから、時間があると働きに出かけていた。仕事が好きなわけではない。ただ誰かの笑顔や珍しい何かを見ることが楽しい。商人が訪れる時にはいつも胸が躍った。 「まだかな」 「そろそろでしょうか」 商人たちの足音を心待ちにしながら、耳を澄ませる。活発に働く物音とは異なる、1人の大きな足音が近づき、扉が勢い良く開いた。汗と土にまみれた顔は歪み、泣きそうだ。肩からは血が流れていた。 「助けてください!」 叫ぶと、駆け込んできた男は崩れ落ちた。屋敷で働く人々が駆け寄ると、彼は息も絶え絶えになりながら続けた。 「北の山道に山賊が……仲間が」 ライリーの体はもう動いていた。 「ライリー様!」
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