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「よくあるんだよね。前も婆ちゃんの言いつけを無視して夜に他所の畑に忍び込んだんだけど、あ、これは『夜に畑に忍び込んだら"まるきんさん"がくる』ってやつね」
─ どんな民間伝承だよ。そして意外と怖えーよ。
「やっぱり"まるきんさん"に襲われかけたんだよね」
─ だから怖えーよ。まるきんさんは人間を襲うのか? 何で? 何の目的があって襲うんだ? てか、まるきんさんって何?
「だから、あの人は多分……そうだね、差し詰め『うんてんさん』てとこかな? 」
─ ん結構普通だな。ちょっとは撚れよ。怖くねーよ。『うんてんさん』、怖くねーよ。絶対てきとーに付けたよね? もう、ほぼほぼ『運転手さん』だよね? 怖いのは大嫌いだけど、そこはもうちょっと怖い名前付けろよ!
「ま、でも僕はあの人はそう言うのじゃないと思うけどね」
「だったら…何だと思う? 」
─ もう、怖いので早く答えを聞かせてほしい。
「うん、多分ただ変な人なんじゃない? よかったね、何もなくて」
─ははは
じゃねーよ! 滅茶苦茶至近距離にいたよ! しかも密室で!
「でもいるよね、ああいう邪気がないのに怖い人ってさ」
─お前もな
と言いたかったが飲み込んだ。
何せ今から大一番が待っている。ここで喧嘩などするのは得策ではない。
「あ、そこ右ね、二つ目を左、手前から二件目が家だから。見過ごさない様にゆっくりね。また言うけど」
車は徐行で住宅地を抜けていく。
最後の角を左に曲がると、茶色い壁の実家が見えた。
中学生の頃に両親が一念発起して購入した中古の戸建て住宅。古い家だったけど、それなりにリフォームもして、私達家族にとっては素敵な我が家であってくれた。
「ストップ! ああ、だからほら、ゆっくりって言ったでしょ! 」
案の定、行き過ぎてしまったが、家の前の生活道路は行き違いが充分にできる程の広い道なので、さっきとは違い人の手を借りずともバックできた。
「暫く停めてても大丈夫なの? 車」
「大丈夫。もうここ長いから。ご近所さんも知ってる人ばかりだし、誰も文句は言わないよ」
車を降り、居住まいを正す。
いよいよこれから大戦だ。戦闘準備はいいか? 作戦は万端か? 万事抜かりはないな?
目線を彼の方に向けると、スーツの背中がシワだらけだ。
「もう! だから運転中は脱いでって言ったでしょ! 」
言われて慌てて振り返った二つ年下の彼は、見えもしない背中を肩越しに右左と必死で確認しようとしてから、私に向かって気不味そうな笑みを投げかけ、可愛く頭を掻いたのだ。
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