夢へいざなう月と猫

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 私が彼を抱きとめているあいだ、大きくふくらんだ影は曖昧な煙のように細くたゆたって、霧みたいに薄くなっている。それは、彼の心が凪いでいるからだと分かった。夢が遠のいていく予兆がして、もう一度力を込めようとしたけれど、そのときはもう、ハッと目覚めたあとだった。  私は相変わらず電車に乗っていて(助かった)気づけば次が、終着駅だった。  私が降りる駅。向かいに目をやれば、黒猫も、黒猫になる前の彼も、大事な部分が抜け落ちた絵のように消えてしまっている。もう二度と会えない予感に、胸が締めつけられた。  彼は彼の悪夢のなかにいて、ずっと覚めない夢を見ているのかもしれない。共有する記憶。闇のはびこる、冷たい《思い出》の底で。  あの弱く光っていたのは、私の心の一部だ――と、まるで目が覚めるようにそう思った。あんなにも弱々しくて、目を凝らさなければ気づかないような、誰にも顧みられないような、そんなちっぽけな瞬きでしかないのに。  そのとき小さく泣いていた気持ちを、彼はずっとずっと覚えていて、未だにひとりであの夢に立ち向かって、救おうとしてくれているのか、と思うと、彼への想いが静かにあふれてくる。淡い恋とも呼べない気持ちを、本当に久しぶりに思いだして、あり得ない形で過去を見たことが、未だ本当に信じられなかった。  うたた寝したときの夢で終わらせるには、その情景は私の記憶と深いところで結びついていて、どうしてこんなことが起こるか分からなかった。《思い出》のなかの弱い瞬きに彼は呼ばれていて、その原因が私にあるのなら、一緒にまた悪夢に飛び込みたい気持ち。  あんなに怖かったのに、彼の存在を意識した瞬間、怖くなくなった。  それよりも彼が闇に縛られたまま、消えていきそうになる背中が、その光景が一番怖かった。思えばあれが私の初恋で、あれほどの純粋さで誰かを慕ったのは、あのときが最後かもしれない。最初で最後の、特別な恋だった。話しても誰にも信じてもらえないし、話せそうにないけど。  夢のなかの彼はとてもさみしそうで、あの冷たく燃えるような瞳には、声にならない慟哭が含まれていた。すぐ隣にいても、触れられないような危うさ。彼も私の正体に気づいてすらいなくて、でも最後、抱きしめた瞬間に、まったく同じ気持ちでいたことが分かった。
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