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「やめて!やめて!やめて!やめてぇ〜!!いやいやいやぁ!楽しかったのに!せっかく!せっかく楽しかったのにィィィ!!離して!!楽しかったのにぃィィ!!せっかく楽しかったのに!!」
夏織は泣きながら手足をばたつかせようと力を込めるが父親の手で思うようにできない。
「夏織!!落ち着きなさい!!止まれ!止まるんだ!!」
「あなた!!だめ!!やめて!!」
父親は夏織の両手から手を離して、夏織の首に手をかけた。
母親の制止も効かず、その手に力が込められていく。
「アッ!クッ…ウッ…ン…」
夏織の両目がくるんと白目になった。
その時だった。
「アッ!!痛っ!!ぐぁあ!!」
父親が夏織の首にかかった手を勢いよく振りほどいた。
夏織はそのまま、倒れ込んでしまった。
「夏織ぅ!!」
母親は夏織に駆け寄り、抱き締めた。
父親は痛みと恐怖にわなわなと震えながら自分の両手の手のひらを見つめた。
父親の両手からだらだらと出血している。
父親は出血の元を探すように両手をよく見ると、両手とも小指の付け根から手首の静脈寸前まで刃物で切られたような傷を確認した。
さほど深い傷ではなく、ショック症状が出るような出血量ではないが激しい痛みが父親を襲った。
「な、何だ…?これは…?夏織…?」
父親は顔をしかめて、母親に抱き締められている夏織を見つめた。
「あなたは少し頭を冷やして!!」
父親の視線に気が付いた母親は、父親の傷など意に介さずに言った。
「あ…?あぁ…わ、分かった…。」
父親はダイニングから足音を立てずに出て行った。
「夏織…しっかりして…」
母親の声に気が付いたのか夏織は白目からぐるんといつもの目に戻った。
「お…お母さん…あたし…楽しかったのに…楽しかったのに…せっかく楽しかったのにィ…なんで…?」
「夏織!気が付いたの?良かった…。本当に…」
母親は夏織の頭をよりしっかりと抱き締めた。
「あたし…楽しんだらいけないの…?楽しんだ代わりにこんな思いしなきゃいけないものなの…?毎日楽しんでる友達は…毎日こんな思いしてるの…?」
「夏織…!大丈夫!大丈夫!」
「大丈夫大丈夫じゃない!!誤魔化さないで!答えてよ!!こんな大変なものなの!?」
夏織は抱き締めていた母親を押し退けて、怒鳴った。
「夏織…そうじゃないのよ…?そうじゃないの…。」
「そうじゃないなら何なのよ…。」
「違うの…。」
「何が…?何が違うの?」
「…。」
母親は無言で夏織から視線を外した。
「ならもういい。あたしはもういい。楽しまない。」
「夏織…違うの…でも今は…」
母親は泣きそうになりながら夏織に話そうとするが、夏織はそれを拒否するように母親の語尾に被せてきた。
「楽しむ為にこんな思いをしなきゃいけないなら私は楽しまなくていい!!私はお父さん!お母さん!二人の為にだけ生きる!!お父さん!!!!聞こえてる!!??あたしはもう楽しまないよぉ!!!!心配しないで!!!!何も心配させない!!!!何も困らせない!!!!だからさぁ!!!!」
母親は夏織の首元に何かを見た。
「だから…これからも…よろしく…お願いします…今日は…遅くなってごめんなさい…。」
夏織はボソッと呟くと、立ち上がり、母親に背を向け浴室に向かった。
夏織後ろ姿からシューシューという音がつきまとっていた。
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