中編【咲弥の平穏な日常】

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中編【咲弥の平穏な日常】

ある都の屋敷では、御簾(みす)を挟んでこの屋敷の鮮やかな赤の十二単(じゅうにひとえ)を着た姫君と、袈裟姿(けさすがた)の怪しい法師が対面していた。 「巷では、()の“朱き曼珠沙華の呪術師(あかまんじゅしゃげのじゅじゅつし)”と呼ばれる者が、百鬼夜行を退けた所を目撃した者がおるとか…」 「欲しい…!そなたは、わらわの為にその者を何としてでも、連れて参れ」 ぬばたまの長い黒髪の姫君は、漆黒の目を欲望の光で輝かせ、扇で顔を隠しながら怪しげに笑った。 曼珠は、しばらく咲弥を家に泊めることにした。 彼の家は狭くてボロボロ、隙間風が入ってくるような所だが咲弥は、物ともせずに家事に励んだ。 家の掃除が終わると、木桶(きおけ)に井戸で汲んだ水を入れ、洗濯板で衣服を洗い始めた。 「ふうっ、結構汚れているわね」 咲弥はもっと力を込めて洗いたかったが、曼珠の衣が痛んでしまう為、横にもう一つ木桶を置き、汚れが酷い物をつけておいた。 他の洗濯物と後から汚れの酷いものを洗ってから、両手で力一杯絞る。 そして、両手でパンパンとはたいてから竿に掛けていく。 彼のふんどしもヒラヒラとはためいている。 それを見て恥ずかしくなり、ぽっと頬を染める。 ここに住み始めてから、ずっとして来たことだが、こればかりは未だ慣れていない。 しかし、仕方のない事ではある二人は夫婦ではないのだから。 彼の住む小屋の外には立派な紅葉(もみじ)の木が立っていて、葉が見事に赤く色づき、はらはらと舞い落ちて来る。 洗濯が終わった咲弥は、それを白色の目を細めて嬉しそうに眺める。 「そろそろ、曼珠さん帰って来る頃よね」 彼女は、彼から渡された僅かな金子が入った、小さな布袋を持つと夕餉の買い出しに出かけた。 +◇+ 咲弥が近場の町に来ると、そこでは人々で賑わっており、様々な店が建ち並んでいた。 彼女は、八百屋に寄った。 「いらっしゃい、何にする」 八百屋のおじさんが、咲弥に気づいて声を掛ける。 「今日は、さつまいもを一本ください。芋粥にしたいの」 「あいよ、さつまいもだね」 彼女がおじさんに金子を支払うと、彼は咲弥が持つカゴに、さつまいもを入れてくれた。 咲弥の本心は、僅かでも卵や肉も欲しかった。だが、贅沢は出来ない涙を呑んで我慢をする。 その時、怪しげな法師が向こうから、歩いて来た。 彼女は嫌な予感がして、違う道へ行こうとする。 すると、法師が咲弥にこう尋ねて来た。 「おい、待て娘。お前が曼珠沙華の呪術師の家の方から、連日買い出しに来ているのを見ていたが…お前は、何用であの家にいる?」 「曼珠沙華の呪術師?なんでしょう。私は、聴いたことはありませんが…」 「知らぬはずはない、お前と住んでいる赤い尻尾髪の小僧の事だ、さる御方がご所望である。こちらの屋敷に来られよとのご命令だ」 咲弥の巫女としての予知能力が、警笛を鳴らしている。 「あの申し訳ないのですが…あの方は、お忙しいので参上することは出来ません」 彼女は、はっきりと法師に断りを告げた。 「何だと、お前ら平民に拒否をする権利など無いのだ!屋敷に来られなければ女、貴様で小僧を釣るまで」 法師が、数珠をかき鳴らし怪しげな術を掛けると、咲弥は体が痺れて動けなくなった。 ――曼珠さん…… 法師は、左肩に咲弥をかつぐと悠々(ゆうゆう)と、屋敷の方に戻って行った。 その頃の曼珠は、咲弥の声を感知して、危機を知った。 彼が、家に戻ると一本の矢文が戸に刺さっており、それを呼んだ後、曼珠は屋敷の方へ向かって駆けだした。 「咲弥、無事でいろよ!」 曼珠は、深淵の闇に包まれた都の街を、月光と松明の火を頼りに屋敷へと急ぐ。 しばらくすると、咲弥が捕らわれていると思われる、(くだん)のかやぶき屋根の屋敷をやっと、見つけた。 門の前には、屈強な二人の門番が立っていて、彼が入ろうとすると押し(とど)められた。 「なんだ、お前は?無礼な奴!みすぼらしいなりをしおって…ここは、玉姫様のお屋敷であるぞ」 「その姫に用がある、曼珠沙華の呪術師が来たと伝えろ!」 「なに?お前が、入れ」 重々しい木製の門が開かれると、曼珠は屋敷内へと吸い込まれるように飛び込んで行った。 屋敷の庭には、見事な紅葉が植えてあり、豪華絢爛な庭を彩っている。 「玉姫!曼珠沙華の呪術師、曼珠が来てやったぞ」 曼珠は、怒りを帯びた声で叫んだ。 「なに!彼の呪術師が来たじゃと」 玉姫は歓喜の声をあげ御簾から飛び出し、女房達が止めるのも聴かず、曼珠の方へまっすぐに走って来て、彼の方に近づこうと階段を降りようとした。 「危のうございます、姫様っ!」 玉姫は、女官に腕を掴まれてやっと歩みを止める。 女房を睨み、チッと舌打ちする、玉姫。 しかし、階段上かららんらんと目を輝かせて曼珠を見つめる。 「あなや!やはり、わらわ好みの善き殿方じゃ、はよう、わらわの元へ来やれ。来ぬとそなたのメス豚がどうなっても知らんぞ」 彼女は、何ともはしたなく、聴くもおぞましい言葉を吐いた。 「早く咲弥を返せ!お前こそ、咲弥に何かしたら…解ってるだろうな」 曼珠は、低くうなるように言葉を紡ぎ、頭上の玉姫を冷ややかに睨みつける。 「ふふっ…曼珠とやら、あの女をかばいだてするのは、気に入らぬがその気迫!ますます、わらわの物にしてみたくなったわ」 彼女は快感に打ち震え、頬を染めて体を両手で抱き締め、くねらせた。 「ほほほ…わらわ専属の法師よ、少しばかり痛めつけてやれ、やり過ぎては駄目じゃぞ」 玉姫が命じると、あの法師が現れ庭へと降りて来た。 「くくく、曼珠沙華の呪術師よ。姫の命ゆえ、わしがちいと可愛がってやろう」 紅葉の葉が舞い散る中、曼珠と法師の戦いが始まろうとしていた。
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