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突然声がした。僕はぎょっとしてラノを見てしまう。タイミング的に、ラノが喋ったのかと思ってしまったがためである。
もちろん真相は違った。掃除に来た女性店員が声をかけてきたのだ。後ろ髪を一つに縛った、まだ若い眼鏡の女性だ。彼女はじっとこちらを見ると、ため息交じりにこう告げる。
「私も嫌いです。ナニナニの犬、って言い方」
「そ、そうなんだ」
他の客がいないからだろうか。突然話しかけてきた彼女に僕は戸惑った。彼女の声に、若干棘があるように感じたからというのもある。
「人間にシッポ振ってすりよると言いますけど、犬の全てがそういうわけではありません。人が嫌いな子や、怖い子もいます。何故なら彼らにも人間と同じ、あるいはそれ以上に繊細な心があるからです。人間にすり寄っているように見えるのは媚びているからではなく、その人間を信頼し、好きでいてくれるからこそ。私達は本当はもっと、犬たちに感謝するべきだと思うんです」
ひょっとしたら、高校生のバイトか何かなのかもしれない。分厚い眼鏡と長い前髪のせいで顔立ちが見づらいが、実は少女と呼んで差し支えない年齢なのかもしれなかった。声が随分と可愛らしい。
同時に、強い意思も感じる。
「お客さんは、犬を飼ってらっしゃいますか?」
「え?いや……」
「でしたらこの機会に、ここのわんちゃんの鋭い牙をよく見てみてください。私は、この子たちの歯が好きなんです」
変なことを言うなあ、と思いつつ僕はラノの口元に手を添える。少しほっぺを引っ張って歯を見せてもらっても、ラノは一切抵抗しなかった。何してるの?と言いたげにちょっぴり首を傾げた程度だ。
そして僕は気づく。思った以上に、鋭い牙が、歯が並んでいることを。大型犬だからというのもあるが、それだけではないのだろう。
噛みつかれたら、子供の腕くらい噛み千切ってしまえそうだ。いや、大人だって危ないかもしれない。思わずそんなことを考えて、背筋が冷たくなってしまった。
「この子達の牙は、“優しい牙”なんです」
女性店員は、静かな声で告げた。
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