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失踪
乃蒼の失踪について話す前に、乃蒼と出会った事による僕の変化を伝えておきたい。それまではモブの一人で、自分ですら自分に注目していなかったのだが、乃蒼と出会ったことで、多少なりとも自分について考えるようになった。なんとなく茶色に染めていた髪は黒にもどし、少しでも個性を主張したくてかけていた伊達メガネをはずし、進路についても就職が難しくなることは承知で感覚心理学を研究するため大学院に進む覚悟を決めた。
そんな僕の変化は周りにも伝わり、加えて乃蒼と一番近い人物として注目をされ始めたからか、僕に話しかけてくる人が多くなった。その中の一人が杏奈だ。
「先輩、おすすめの映画教えてください」
「今度みんなで飲みに行きませんか」
教室や廊下で乃蒼とすれ違うたびに、一言だけ挨拶する、僕らのか細いが確かに実在する関係に、杏奈はずかずかと入ってきた。
もちろん僕も年頃の男であり、女の子に興味がないわけではない。乃蒼がいくら美人で、いくら僕が一番仲が良いと周囲に認知されていたところで、会話は反抗期の娘レベルだ。生身の女子に言い寄られると嬉しくないはずはないのだが、杏奈だけは本能的に僕の中で警戒アラートが鳴り響いていた。
「女子受けするのはあまり知らなくて」
「バイトとサークルで忙しくて」
のらりくらりとかわしていたが、仲間内の飲み会だと思っていたところに杏奈が混じりこんでいて、帰りに送ってほしいと言われ2人きりになった時にキスをされたので、はっきりと断ることにした。
「ごめん、他に好きな人がいる」
そう言った瞬間、左の頬をビシっとはじかれた。
「あんな無愛想で地味な女のどこがいいの」
僕が美しいと知覚する乃蒼を杏奈は不愛想と知覚していた。
なぜ杏奈とのエピソードを紹介したのかというと、杏奈が乃蒼失踪のきっかけを作ったからだ。
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