二章

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二章

「君が、アイラさん……?」  隣室の扉を叩き顔を覗かせたのは、僕より遥かに小さな少女。 「お兄さん誰、どうして私の名前を知ってるの?」 「驚かせたよね、ごめん。僕はノエル、隣の部屋に住んでるんだ」 「隣に人なんていたんだ……初めまして、ノエル」  少女も僕と同じようで、隣に人が住んでいることなど知らずに過ごしてきたらしい。 幼さのせいか、初めて目にする僕に対して怯んでいる様子はない。 「呼び方、アイラでいいよ。それより、どうしてここに来たの?」 「今日は、伝えないといけないことがあって……だからここに来たんだ」 「伝えないといけないこと……?」 「初めて会った僕が言うことだから、すぐには信じてくれないかもしれないけど……あと七日でこの世界は終わるんだ。だから次の新しい世界にいくかどうか、アイラに決めてもらいに来たんだよね」 「あと七日か……もし私が新しい世界に行かないって言ったら、私はどうなるの?」 「疑わないの……?」 「何を疑う必要があるの?」 「世界が終わるなんて軽々しく信じられるようなことじゃないだろ、それに会ったばかりの僕に一言言われただけなのに……もっと警戒心とかないのかなって」 「逆にノエルは嘘をつくの?」 「……え?」 「『初めまして』って扉を叩いて、自分より遥かに年齢が下の私に『世界が終わる』なんてつまらない嘘、つくの?」  鋭い、十数センチしたから放たれる言葉も、曲がることなく刺さる視線も、全て。 「そんな嘘……つく理由がないよ」 「そうでしょ、私もそう思う。だから疑わないの、別に信じてもないけどね」 「どういう意味……?」 「ノエルの言ってることを疑うつもりはない、ただ仮に嘘をつかれていたとしても『そうなんだ』って思える、信じてないから」 「つまり……?」 「ノエルの今の言葉を、私は丁寧に聴き流してるの。それだけの話」  十七年生きた僕ですら頭に浮かばないような言葉を、数秒の迷いもなく少女は吐く。 それが当然のことのように、僕が可笑しいかのように、言葉が並べられていく。 「君……何歳?」 「女性に年齢を尋ねるなんて失礼ね」 「アイラはまだそんなことを気にする年齢じゃないでしょ」 「もしかしてノエル、知らないの?」 「え?」 「私は神の遺伝子を継ぐ者なのよ、この身体には特別な血が通っているの」 「そんなことは知ってるけど……それがどうしたんだよ」 「だから私が数百年この世界で息をしていて、容姿だけが若さを保っているっていう可能性も考えられなくはないのよ」  そんな特性を僕は持ち合わせていない。 でも、この屋敷は古い。少女の言うように数百年住み続けている住人がいる可能性も否定できない。 「アイラ」 「ん?」 「失礼なことを聴いて申し訳ない、アイラは何年生きてるんだ、答えたくなかったら答えなくて……」 「四年」 「え?」 「アイラは四年この世界で息をしてる、つまり私は四歳」 「じゃあ……さっき言ってた『数百年生きてる可能性』って」 「信じちゃったね、警戒心がないのはノエルの方かもよ」  少女の思惑に綺麗にハマってしまった。 そんな僕を見て、少女はまた無邪気に笑った。 胸元まで真っ直ぐに伸びた黒髪と、光を取り込んで輝く青い瞳。儚く、麗しい。 「私、おとなしいのは見た目だけだよ」 「それ自分で言うか?」 「まだ四歳だからね、自意識は過剰くらいがちょうどいいでしょ」 「利口なのは初対面の印象だけだな」 「それはノエルもね」 「え?」 「口調、解けてるよ。敬語なんて使ってないし、年頃の男の子って感じの口調になってるよ」  少女の満足が溢れた表情と、僕の中に拡がるもどかしさ。 僕は一回り以上歳が下の少女に弄ばれている気がする。いや、確実に弄ばれている。 「そのままでいてよ」 「え?」 「堅苦しいの嫌いなんだよね、ノエルの今の口調が私の好みに丁度良く当てはまるの」  世間一般の四歳を僕は知らないけれど、少女は大人に近づきすぎている気がする。 事実、僕が四歳の頃の記憶はない。 けれど、僕が四歳の頃に十七歳の初対面の人間とここまで流暢に言葉を交わせているわけがない。 この少女はどこか、何かが違う。 「アイラは何がしたい?」 「どういう意味?」 「あと七日で世界は終わる、これは嘘じゃない」 「わかってる、疑ってないよ」 「生き続けるか、世界と共に終わりを迎えるかはアイラ自身に選んでもらう必要があるんだ」 「厄介なシステムだね、みんなで終わるか生き続けるかにしちゃえばいいのに」 「だから判断材料として、一日屋敷の外に出る。そしてアイラの行きたい場所で、したいことをするんだ」 「私が行きたい場所か……一つだけあるかも、都合がいいね」 「すぐに思いつくなんて、相当の想いがあるんだな」 「場所もわかってる、だからノエルは私に屋敷の出方だけ教えてよ。そこから先は私の方が詳しいだろうからさ」  妙に慣れた様子で少女は庭を駆ける。 「ねぇノエル」 「ん?」 「人間って実在するんだね」 「アイラは外に出たことがあるんじゃないのか?」 「私そんなこと言ったっけ?」 「いや、妙に外に慣れてるからさ」 「ないよ、ずっと架空の外の世界を辿ってきたの。物心ついた頃からね」  意味深な言葉の真意を考えるけれど、よくわからなかった。 軽快なステップとは対極の質量を含む言葉を、少女は不定期に吐く。 「ノエル、着いたよ。ここが私の行ってみたかった場所」 「ここ……空き家?ここに来て、なんの目的があるの……?」 「無知で無礼な奴ね、それでも本当に神の遺伝子を継ぐ者なの?」 「しょうがないだろ、いくら遺伝子を継いでいたって生まれてからずっと独りだったんだ。知ってることなんて、あってないようなものなんだよ」 「それは私もそうだけどさ」 「そもそも『神の遺伝子を継ぐ者』っていう括り方、好きじゃないんだよね。誇らないといけないんだろうけどさ」 「わかるよ、血の一つを継いだだけで大袈裟だよね」 「え……」 「共感してるの、ノエルに」 「それは……ありがとう」 「生まれて初めてありがとうなんて言われた。こちらこそ、よくわからないけどありがとね」  少女の口角は上へ曲がったまま戻らない。 ただ、笑っているようにみえていた瞳に感情が宿っていないことに今更気づく。 「ノエル」 「ん?」 「ここ、本当に何の場所か知らないの?」 「僕は外の世界を全く知らないからね」 「スピカ様とアルト様が棲んでいたって言われている場所なんだよ」 「でも……スピカ様とアルト様は教会で暮らしていたって聴いたことが……」 「それは表向きの話、教会は他生命へ届けるための愛を造る場所。でもここは、ふたりが、ふたりだけのための愛を育んだ場所」  軋む木の音に耐え、深紅のカーペットに進む。 埃っぽく、劣化が酷い。庭の草木は枯れていて、とても神聖な場所とは思えない。 「廃れてる……」 「そう、廃れてるの。この空間は酷く廃れてる」 「アイラにとっての貴重な一日、本当にここでよかったのか?」 「これが見たかったんだよ、別に今更綺麗なものなんてみなくていい」 「そっか……」 「ねぇノエル」 「何?」 「私達がこの数メートルの廊下を通過するまでに、いくつ窓ガラスにヒビがあったと思う?」 「三十くらいかな……わざわざ問うってことは、少なくはないんだろうし」 「勘が鋭いね、でも不正解」 「正解はいくつ?」 「ゼロ」 「え?」 「窓ガラスにヒビなんて一つも入ってない、ちゃんとみるとゴミも落ちてない」 「本当だ……」 「永くここに在るだけで綺麗なまま、治安も守られたまま、未だにスピカ様とアルト様が愛を育んでいるような場所、それがここ」 「どうして綺麗なままなの?」 「本当ことはわからないけど、スピカ様とアルト様を誰もが信じてるから」 「信じてる……?」 「その存在が本当だったとしても、誰かが創り上げた架空の存在だったとしても、信じて縋ることで愛を感じてしまっているから。だから、ここは綺麗なまま守られているんだと思う」 「信じてるの?」 「え?」 「スピカ様とアルト様、この二人がこの世界の絶対的な存在だって、アイラは心から信じてるの?」 「難しい質問だけど……信じないと癪だから、信じるようにしてる。それが私の答えかな」 「信じないと癪……?」 「私達が囚われたように独りだった理由。もとを辿ればそれは、二人から始まった物語だから」 「だから信じるの?」 「何を考えていたとしても言葉にして発することは許されない、それなら信じ込んだ気になって本当の崇拝から孤独を強要された方が、私は楽に思えるの」  僕は二人の存在を疑ったことがなかった。 気づいたら頭を過ぎるような、僕自身の人生の基盤を授けた、絶対的な存在。 僕はもしかしたら、盲目的に架空の何かに縋っていただけなのかもしれない。 「疑ったこと……僕はなかったな」 「ノエルは素直な人なんだね」 「それがいいとは限らないよ、それにアイラはアイラ自身に素直だ」 「独りだったからね、私自身には異常なほどに素直なの」 「寂しかった?」 「え?」 「アイラはあの部屋で、四年間寂しかった?」 「寂しかったよ、でも私が私になれた場所だと思ってる」 「そっか……それならその寂しさは必要なものだったのかもね」  初めて訪れるはずなのに、少女の足に迷いはなかった。 目に映るものに過剰に感動することもなく、慣れた様子でいる。 「ノエル」 「ん?」 「行きたい場所でしたいことをしていいって言ったよね?」 「今日だけだからね、なんでも、際限はないよ」 「じゃあさ、ノエルが私の遊び相手になってよ」 「え?」 「この数時間だけ、私と遊んでほしい」 「『遊ぶ』ってどうやって……」 「私にもわからない、人と顔をみて話をすることなんてこれが初めてだから」 「え?」 「屋敷の使用人はみんな顔を布で覆ってる、誰かの表情をみながら言葉を交わしたことなんて生まれてから一度もなかったの。ノエルもそうじゃないの?」 「そうだけど……」 「だから『遊ぶ』の正解なんて私にはわからないけど、楽しいって思えることしようよ。今日で最後なんだし」  数歩先へ進んでいた少女は僕に駆け寄り、僕の手首を掴んで駆ける。 「かくれんぼ、しよ」 「かくれんぼ……?」 「ノエルもしかして知らないの?一人が隠れてもう一人が隠れている人をみつけるの」 「みつけてどうするの?」 「みつけた!って思うだけかも」 「なるほど……」 「今『それって面白いの?』って思ったでしょ」 「え……」 「顔に書いてあるから、ノエルわかりやすすぎるよ」  確かに思った、 隠れている人をみつけるだけというあまりに単純な行為を『遊び』と呼んでいいものか。 少女にとって限られた時間は、そんなことに費やしていいものなのか。 不意に僕は、そんな窮屈な疑問を抱いた。 「面白さは私が保証するよ」 「アイラが?」 「そう、私が。絶対ノエルと楽しいを共有するからさ」 「すごい自信だね」 「私には勝算しかないからね」 「どういう意味?」 「私達は『遊び』を知らない、試されてるのは私達自身の創造力と人間性だよ」 「創造力と人間性……」 「私はつまらない人間じゃないし、それはノエルも同じだと思う。だから私にはノエルを楽しませる自信しかないの」  酷く強引な少女の言葉は、気味が悪いほどに真っ直ぐで、僕はその言葉に奇妙なほど心地よさを覚えた。理由はわからない。 「私が隠れるから、ノエルは絶対に私をみつけてね。もしみつけてくれなかったら、私は選択すらできずにここで息絶えることになるんだから」  三階建てに錆びた柵の取り付けられている屋上、広すぎる屋敷に遠くなる少女の足音が響く。 少女がどれだけ大人びた言葉を放っても、その足音だけは少女が小さな女の子であることを隠しきれずに証明している。 正直、少女のような存在が新たな世界の創始者になってしまえばいいと思う。 世界を創るということは、遺伝子の強さ一つを根拠に務められるほど容易なことではない。 大胆さ、口の巧さ、慕われるような人柄、崇められるに相応しい容姿、きっとこの少女はその全てを兼ね備えている。 「そろそろ隠れられたかな……」  律儀に瞑っていた目を開ける、少女のいない広すぎる空間に息が浅くなった。 十七年間訪れることのなかった、誰かと時間を共有するということ。ほんの数時間のことなのに、僕は情けないほど、誰かと共に流れる一瞬が恋しくなってしまった。 「……」  古びて埃くさい階段を登る、木の軋む音が胃に刺さる。 数千、数万年前、スピカ様とアルト様が本当に存在していたのなら、僕は今ふたりの跡に足を重ねていることになる。  無数に連なる引き出しの中にも、何十にも重ねられた扉の裏にも、少女の姿は見当たらない。 消えてしまったのだろうかと、根拠もない不安が襲う。 引き寄せられるように最後の階段を登る。この先に少女の姿が無ければ、僕はまた独りになる。 「……アイラ」 「みつかっちゃたね、ノエルの勝ちだ」  揶揄うように笑う少女を抱きしめたくなった、恋ではない、愛なんて知らない僕の、名前のない感情。離れてほしくないというより今はただ、独りにしてほしくない。 独りの時間に戻りたくない。 「楽しかった?」 「僕は……寂しかったかも、すこしね」 「よかった、私と一緒だね」 「え……?」 「私も寂しかった、本当にみつけてもらえないかもって怖かったからさ」  心なしか震えているようにみえる少女の肩をみつめる。 数メートル先にいる少女に駆け寄りたい、駆け寄らずとも確実に足を進めて触れたい。独りだった少女に温度を教えてあげたい。 ただ今の僕に、そんな気の利いた正しい優しさを与える余裕は見当たらない。 「隣に座っても……いい?」 「え……?」 「アイラの隣、座ってもいいかな」 「あっ……うん、柵の錆が服に着いちゃうかもしれないけど大丈夫なら」  柵の外の世界は皮肉なほどに綺麗で、終わりを迎えることなんて知らないような平穏が転がっている。 この世界がどのような終わり方をするのか、僕はまだ知らされていない。 爆発か、凍結か、徐々に何かが僕達を蝕んでいくのか、僕には想像を並べることしかできないけれど、きっとこの綺麗さが消えてしまうことは無知な僕でもわかる。 「綺麗だね……終わっちゃうなんて考えられないよ」 「僕も、心からそう思うよ」 「きっと何かがあったんだろうね、私が少しみただけじゃわからないような醜さと不都合が」 「醜さと不都合か……」 「でも私はこの世界は綺麗だと思う、純粋で単純な感情で廻ってるって信じたい」 「そうだね、きっと綺麗だよ。この世界はすごく、すごく綺麗な場所だよ」 「ノエルは決めた?」 「決めたって……何を?」 「新しい世界へいくか、この世界で息を止めるか、ノエルはどっちを選んだの?」 「僕は最初から選択権がないんだよね」 「え……」 「僕は、新しい世界を創らないといけない」 「……どうしてノエルが?」 「スピカ様とアルト様の遺伝子を一番濃く継いでるんだって、本当かどうかはわからないよ。でも従わなければいけない、だから僕は新しい世界へいくよ」 「そっか……残酷だけど、ノエルなら大丈夫だよ」 「僕はアイラのような人に世界を創ってほしい」 「私みたいな人……?」 「きっと素晴らしい世界になるんだろうな……アイラが創った世界なら、僕は望んで新しい世界へいけると思う」 「私なんかじゃ務まらないでしょ、こんなに卑屈で捻くれた、可愛げの欠片もないような人間が全人類から崇められる存在になれるわけがない」 「どうして……」 「私ね、生まれた瞬間からズレがあったんだ」 「ズレ……?」 「過度に知能が発達してたの、通常の四倍だって」 「四倍……」 「そう、四倍。だから私はすぐに独りでの生活を強いられたの」 「生まれてすぐに……?」 「身体的には通常の乳児と変わりがないからある程度の世話は使用人がしてくれた、でも誰かと言葉を交わすことも、時間を共にすることも、私にはなかったの」 「……」 「だから、ノエルが初めてだったんだ」 「え?」 「初めて、人間の表情をこの眼でみたの。使用人は顔がみえないから、私はノエルに出逢って初めて、人間が何かわかったの」  少女の小さな手が、僕の頬に触れる。 微かに冷たさの残る、目を瞑り指の感触を確かめる。僕も今初めて、人間の感触を知った気がする。 「私、忘れられない言葉があってね」 「忘れられない言葉?」 「『貴女が神の遺伝子を継ぐ最後の者だ』って」 「……最後?」 「世界に八人しかいないんだって、その八人目が私だったの」 「それは……いつ言われた言葉なの?」 「二歳くらいの頃かな、私の知能が八歳くらいの時。使用人に言われたんだよね」 「それを聴いて、アイラは何を思った?」 「最初は嬉しかった、私も幼稚だったから。限られた存在の一番最後を飾れるなんて、遺伝子から恵まれている幸せ者だと思った」 「遺伝子から恵まれてる幸せ者……僕も似たようなこと、思ってた時期があったよ」 「優越感とは違うんだよね、ノエルならわかってくれると思うけどさ」 「うん、すごく、痛いほどわかる」 「でもそれは、だんだん虚しさに変わっていくことを知った」 「虚しさ……」 「遺伝子なんて目にみえないもので括られて、孤独を強いられる。本当の親の顔すら知らないまま、不確かな存在に生命と人生を捧げることが窮屈でさ」  僕の靄を、少女は器用に言語化していく。 言葉を手繰り寄せながら、僕との心を結ぶように、少女は想いを溢す。 「私の部屋にはね、数えきれないほどの本があるんだ」 「本?」 「童話とか、神話とか、私の部屋は誰かが描いた物語に溢れてたんだ」 「それがアイラの部屋を囲んでたの?」 「そう、壁一面全てが本棚だった。それを二年間で半分と少しは読んだのかな」 「どんな本が好きだった?」 「好きな本なんてみつからなかった。与えられるまま、誰かの想像を受け入れて外の世界なんて知らないまま死んでいくってわかっちゃうだけだから」 「それでもアイラは、本を読み続けたの……?」 「そうだよ」 「どうして……?」 「架空の世界を創ることで、寂しさから離れられるって思ったから」 「それはアイラな中の架空の世界を拡げていくってこと……?」 「そういうこと、意味なんてないけど、私にはそれしか有り余った時間を消費する方法が思いつかなくて」 「有り余った時間……?」 「人より四年分早く発達する頭って便利なようで新鮮味が廃れていくだけなんだよ」 「どういうこと?」 「みんなが不思議に思うことを、容易く理解できちゃうの。どんどん物事に冷めていって、退屈になっちゃう。独りだと尚更ね」 「……」 「こんなこと言われても困るよね、ごめん」 「どうだった?」 「どうって……何が?」 「二年間、アイラ自身の世界を拡げて、何かみつけられたものはあった?」 「みつけられたものは……ないのかもしれない。でも、一瞬たりとも無駄なものはなかったと思う」 「そっか……」 「この世界の人はどうなるの?」 「え?」 「急に訊いちゃってごめんね、ただこの世界に住む人は新しい世界でどうなるんだろうって思って」  言えない、言わなければいけないのに、巧い言葉が見当たらない。 四歳の少女に、仮に十六歳程の知能を持っていたとしても、この世界を綺麗だと感じている少女に『本当に必要な生命だけを選別する』という事実を、僕は少女に知ってほしくない。 「どうなるんだろうね、僕もわからないけどさ。きっとまたそれぞれ次の幸せが待っているんじゃないかな」 「そっか、私はその言葉を疑わずに呑み込むね」  ここで僕が『信じて大丈夫だよ』と言えたら、どれだけ綺麗な終わり方だっただろう。 数秒の間が酷く不甲斐ない、俯いたまま、彼女の言葉が反響する脳を鎮める。 「ノエルは、どんな世界を創りたい?」 「僕は……わからない、わからないけど、それぞれ望んだ生き方、終わり方を選択できる世界になったら嬉しい」 「生き方と終わり方か……」 「誰と生きるか、何をして息をするか、どこで死を選ぶか、それすら選べてしまうような世界がいい」 「随分我儘な答えだね」 「やっぱり、こんなんじゃ世界なんて創れないよね……」 「そんなことないよ」 「え……」 「ノエルが創る世界は息がしやすそう」 「僕にはまだ想像することしかできないけどね」 「なんとなく、ノエルが創始者の世界を私は想像できる」 「本当に?」 「信じなくてもいいからさ、せめて疑わないで受け取ってよ」 「……そうだよね、ありがとう」 「きっと素敵な世界になるよ、ノエルの世界を私もみてみたい」  昏くなった世界には、人々の生活の明かりが不規則に灯されている。 隔離された屋敷からは想像すらしていなかった生命の美しさを、僕は今、この眼でみている。 スピカ様とアルト様は、きっとこの景色を愛していたのだと思う。 個の生命が集まり、言葉にすら表せない光を放つ、そこに愛を注ぐ行為がどれだけ美しいことか。 七日後真っ暗に染まる世界は、何も知らない顔をして廻り続けている。奇妙で、残酷で、でもそれがすごく幸せな景色だった。 「アイラ、そろそろ屋敷に帰ろうか」 「待って、ノエル」 「ん?」 「最後にこれを渡したいんだ、渡すっていうより返すって言う方が正しいのかもね」  手渡された封筒の中は、夜想曲の楽譜。 差し出す少女の手と表情に一切の迷いはなく、全てを知っているかのような様子で僕の眼をみる。 「どうして……」 「ノエルならわかるでしょ、そういうこと。これが、私の選んだ最期なの」  きっと最初から、全てを知っていたのだろう。 僕の存在も、世界の寿命も、この国のシステムも、全て。 それでも少女は最期、楽しむことを選んだ。 何も知らない僕と、何も知らないまま、瞬間を生きることを選んだ。 「僕が創る世界へ一緒にいくことは……できないかな」 「私が何の弊害もなく生き続けている裏で、無条件に誰かが削られている事実に私は耐えられる自信がないんだよね。だからその選択はできないな」  昏い、静かで冷たい空気が肌を刺す。 コンクリートを踏む音だけが鼓膜に響く、屋敷の明かりが近づく。 「ノエル」 「どうしたの、アイラ」 「私の世界に入ってきてくれてありがとう」 「……」 「ずっと独りの世界は寂しいからさ、最後になったけど登場人物が二人になって私は嬉しかった」 「アイラは、僕の創る世界に来てくれないの……?」 「私は絶対生まれ直して、ノエルの創った新しい世界へいくから。だから、まっすぐ生きててね。素直なまま、優しいままのノエルでいて」  少女は振り返ることもなく、屋敷の扉を開けた。 追うように扉を開け、少女の行方を探す。 「これ……」  少女の靴は、地下室へ向かう階段の途中で脱ぎ捨てられていた。   『私は必ず、ノエルとまた言葉を交わすから』  その置き手紙が、少女の世界に響く最期の言葉だった。                   
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