第三十九話 大神様の正体

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第三十九話 大神様の正体

 もはや恐怖の感情しか残っていない顔の岸川に電話が鳴った。 「電話にでるがいい。心配するな、私は逃げない。もうその必要がないからな」  心の中で激しく取り乱している事が分かるほど目の焦点をあちこちにやりながら、岸川が自分の携帯電話に出た。 「な、なんだと……芝公園のビルで自爆テロ?……大勢の信者の姿はなく、突入したSAT隊員や会社員が全滅。周辺にいた警官や一般人も爆風や破片で大勢の負傷者が出て大惨事に……」  取り返しのつかない過ちを犯した事に気づいたように、岸川の目が涙で滲んだ。 「そ、そんな……」 「本当に東京タワーが巨大魔神だと思ったかのか? あれはただの電波塔だぞ。期待に背いて悪かったな。しかし、お前には感謝している。我々に様々なチャンスをくれたからな。本来なら礼の品でも送ってやりたいのだが、お前はこの場で大神に殺される。ここにいる警官全員と共に」  祐華が平然とそう言った瞬間、凄まじい銃声の音と警官達の悲鳴が車内に響いてきた。 「お、男が襲ってきたぞ!」 「う、動くな、やめろ、これ以上近づくな!」 「畜生、銃が効かない! なんだこの化物は!」 「ひっ!」ともはや戦意のかけらも残っていない岸川が座席の上で体を縮こませる。  そして最期の絶叫の合唱が夜空に轟くと、銃声と警官達の声はぴたと途絶えた。 「お、おい、どうした、皆……お、おい、何があった、誰か何とか言え!」  岸川が車の中から外向かって声を張り上げるが、返ってくる声は一つさえない。 「さ、笹川……おい、笹川!」  ハッと思い出したように岸川が窓の外に目を向けると、そこにはすでに現場から走り去り小さくなっていく笹川と運転手の後ろ姿があった。 「な……」 「お前も逃げてもいいぞ。逃げられるものならな」  祐華がそう言葉を言い切ると同時に、岸川はパトカーの中から飛び出した。  本来ならここで悲鳴を上げて走り去るはずだった。しかし、たった一人で警官達を皆殺しにし、今、自分に向かって前進してきている怪物の姿を見るやいなや、岸川は驚愕のあまりその場に金縛りになり、そのまま失禁した。 「そ、そんな……あ……あれが大神なのか……う、嘘だ……都市伝説だぞ……奴は架空の人物だったはずなのに……あれは、ほ、本物なのか?……」 「もちろん本物だ。正確には二世だが由緒ある血をつけ継いでいるこの世で唯一の血族者。その歴史の中でガキのつまらん作り話により学校の便所の怪物と名誉を汚された事があるが、今宵、本来の姿と凶行を世に見せて、一般市民に再び恐怖と畏敬の念を思い出させてやるのだ! 昭和の時代のようにな!」  怪物が岸川のすぐ目の前にまで迫った。3メートルを軽く超える筋骨隆々とした肉体。警官達の肉体を引きちぎったから口から伸びる牙やや拳にはまだ血がべっとりとまとわりついている。 「う…………」   そして、獲物を動けなくするほどの冷酷で重い眼力で岸川を睨みつけながら、その怪物は背中にまとった教団色に染まった外套を翻した。  祐華が感動の眼差しを獣にやった。 「見ろ、あのマントは歴史ある聖衣だ。昭和の時代から市民に恐怖で語り継がれた聖衣を己の眼で見られた事を幸運と思うがいい!」 「……そんな、う、嘘だ、ありえない! 都市伝説だと聞いていたのに……現実にいるはずがなかったのに!」  岸川は恐怖心を隠さないままそう叫ぶと、今から自分を殺し、これから街や多くの一般市民に多大な被害を及ぼすであろうその都市伝説の怪物の名前を口にする。 「なんてこった……赤マントだ……」 ********************************** 署の地下駐車場で、理沙は己が運転した車を前にしながら不貞腐れた顔で唸った。 「えええ~……マジすか?」  渋谷では気に止めなかったが、さすがに20人近くの信者を猛スピードで轢いただけあって、車のフロントガラスはいくつものクモの巣状のヒビに覆われ、ボディの前半分は平な部分が全く残っていないと言っていいほどあちこちがへこみ、そしてこれ以上の走行を拒否するかのように車体が深く下に沈んでいる。  ふと携帯のメールを見て、小林商事の住所を確認する。 「うわっ、小林商事って西新宿にあるのか……渋谷から歩いて行くのはきっついなあ……車ならすぐのご近所なのに、どうしようかね~~ったく!」  とその時、理沙は背後から薄いピンク色の軽自動車が迫ってきている事に気が付いた。 「ん? なんじゃ……」  言い首を捻ると、不審な車は理沙の真横で停車し、その運転席の窓から須藤が顔を出す。 「どこへ行ったかと慌てて追いかけてきましたが、やはりこんな所にいましたか?」 「お、なんだ、マー坊、その可愛い車は?」 「マイカーですよ。といっても母と共用しているものですが」 「おお、いいじゃん、いいじゃん。ちょうどお願い事があってさ」  と媚びを売るような笑みを浮かべた理沙に対し、須藤が、めっ!と咎めるように表情を硬くした。 「車は貸せませんよ。まだローンが残っているんです。そこにある車みたいに再起不能にされたら困ります」 「んだよ、マー坊、コンビは解消しちゃったけど、今はそんなお堅い事を言ってられる場合じゃないじゃん、ぐずぐずしてるとそのテロの黒幕を逃がしちゃうんだよ。それを止めるのには車が必要なわけだ!」 「そうですね、だから僕が運転をします」 「なんだ?」 「さあ、早く乗ってください。時間がありません」 忙しなくそう言い放つと、須藤は理沙向かって警察手帳を差し出す。 「警部のものです。鑑識の人が教団の村で見つけたと持ってきました。もちろん、僕のもしっかりポケットに収まっています。僕らが刑事だと証明する大事な商売道具ですからね」 「ん? いったいどういう事? なんの心変わり?」    須藤は自分が受けた衝撃を抑えるかのように、一度大きく息を吐いてから言った。 「祐華にしてやられました……」 「は?」 「連絡がありました。昇麻のメモの内容は全てでたらめ、現場に突入したSATは全滅。多くの死傷者が出たうえ現在も信者100名の行方は知れず、祐華を搬送中の警官達とも連絡が途絶えました……」  須藤が暗然とした表情で事が最悪な展開になった現実を告げた。 「あー、てことはだ……」  理沙が見てられないと言わんばかりに両掌で顔を覆った。 「祝祭は再開される。今度こそ最終テロが堂々と実行されるわけだ……」 「はい、しかも状況は振り出しに戻り、残りの信者の隠れている場所も教祖の居場所も、そしてどこが最終テロのターゲットになっているか不明のままです」  お互い深刻な表情で顔を見合わせると、須藤が覚悟を決めたように頷いた。 「僕らは本格的な捜査から外されましたが、まだ力になれる事があります」 「例えば?」 「小林商事、もといアカネ十字社が僕らに残された最後のカードです。ここを突けば最終テロの情報が出て来る可能性があります。そしてその情報を本庁に伝え、最悪な事態が起こる前に最終テロを阻止させるんです。今ならまだ間に合います!」  理沙は懐疑的な視線を須藤にやりながら助手席に乗り込んだ。 「んん? でもいいのかね、巡査部長。牧田のとっつあんからもう私達の出番は終わりって事件に関わる事を禁じられたうえ、相手はもうカルト教団だけじゃない。政治家とも繋がっている老舗の悪徳大企業もいる」  須藤は躊躇う様子も見せず、決意の固い凛とした表情で答える。 「そうですね、へたをすると警察でのキャリアだけではなく、人生そのものをボロボロにされるかもしれません」 そして、言うかがどうか迷ったように、一瞬間を開けてから付け加える。 「正直……黙って逃げ出したい気持ちです。しかし、大勢の人間の命が危険にさらされているうえ、ここで教団による大殺戮を見過ごしたら、刑事としても人としても一生後悔する事になります。そんな事になったらたった一人の身内の母にも後ろめたい気持ちを持って過ごさなきゃなりません。誰が何と言おうとそれは容認しかねます。僕は実家の中では堂々とくつろいでテロの悪夢を引きずらない、睡眠不足とは無縁な生活を送るんです、永遠に!」  理沙はそう強く語った須藤に対し、冗談めかして顔を歪めた。 「なるほど、ママの車に乗った瞬間、そう思ったってわけだ?」 「ええ、言ったらマザコンて茶化されると思ってました。ともかく急ぎましょう。ここまで本部が混乱しているからには余計なしがらみがなくて小回りがきく僕ら……そうイレギュラーな刑事が役に立てるははずです!」  その覚悟を確認するように須藤の瞳を覗くと、理沙は満足げに微笑んだ。 「なるほど、美人ママの教育は間違ってなかったわけだ」 「ええ、正義感溢れるいい息子に育ったようです」  理沙は笑みをさらに大きなものにすると、気合をいれるように自分の両拳をポキポキと鳴らしだす。 「よっしゃ、おもしろくなってきた! そうとなったら一緒にキ〇ガイどもと巨悪の最終テロを阻止して沖縄旅行に行こうじゃないか! マー坊!」
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