第四十話 陰で動く者

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第四十話 陰で動く者

 老体ながら渋谷署から何キロも離れた所まで駆けてきたというのに城島は体の震えを止められなかった。 「畜生、畜生、畜生、殺される、このままじゃ俺は殺される!」  あの都市伝説の怪物が渋谷で警察に身柄を確保されてしまい、その後の追跡ができなくなった城島は現役の刑事時代に誤認逮捕という不祥事を隠蔽してやった新人、そして今の警視総監である森田に電話をし、拘束された口裂け女の様子を窺えるよう要請をした。もちろん過去の汚点を脅迫のネタにして。  おかげで城島はマジックミラー越しに口裂け女がカルト教団のNO.2の女の取り調べをするという茶番を現場で見る事ができたが、問題はその後だ。  警視の牧田と不穏な空気になったあの都市伝説の化物が、突然、部屋の隅で目立たぬように座っていた自分に突っかかってきたのだ。 「白黒ケリをつけるよ、昭和の人! 言っとくけどあの時の決着はついていないよ!」  昭和の時代と今の年老いた爺の自分では見てくれは大きく変貌しているうえ、自分は奴を捕獲しようとした大勢の刑事達の一人にしかすぎなかったはずだ。だがあの都市伝説の怪物は老いて変わり果てた自分を一瞥して誰かを見抜き、襲いかかってこようとした。 「何をしているんですか、警部。老人に八つ当たりはいけません!」とあの童顔の刑事が入って止めてくれなかったら確実に署内で仕留められていたに違いにない。 「なんてこった、奴は忘れていなかったこの俺の顔と、そして……あの時の事を! もう奇襲なんてできやしねえ! いずれ奴の方から俺を仕留めにくる!」   間近で怪物に睨まれた事によって昭和時代のあの恐怖が蘇った。目の前で奴に殺されていった仲間達の断末魔の悲鳴が耳の中で再現され、復讐心と刑事だった誇りも全て喪失した。もはや共にアカネ十時社に雇われた狙撃部隊の部下達の事を考える精神的余裕もない。 「ダメだ……正面から襲ったところで怪物に勝てるわけがない。ま……まさかこんな事になるとは。こ、殺される……し、しばらくの間怪物に見つからない所に避難しなくては……そうだ、逃げるんだ、遠い昔の事は忘れてとっとと逃げるんだ……しかし……しかし、ああ、どうすればいい……誰か教えてくれ!……」 **********************************  アカネ十字社という巨大企業が絡んでいるからには、小林商事はそれなりのオフィスビルに入居していると想像したが、いざ入手した住所どおりの現場に到着してみると、そこにあったのは1階が閉店してシャッターが下がりっぱなしと思われるアダルトDVD販売店、2階が看板はあるが光が灯っておらずだいぶ前に潰れたと推測できるフィルピンパブ、3階に関してはなんの表札もなく、どこの誰がいつまで入居していたか不明な物件となっている、正直、安いテナント料でも誰からも見向きもされていないであろう薄汚い雑居ビルだった。    情報に間違いがなければこの汚く暗いビルの最上階である4階にある小林商事があるはずだ。 「あー……」と、コメントに困ったように理沙が声を出した。 「今や日本じゅうを恐怖とパニックに陥れているテロ事件の黒幕がこんな激安ビルに?」 「わー……」と、今後は須藤がコメントに困ったように顔をしかめる。 「……もしや、ダミー会社を目立たなくするための策かもしれません。とりあえず中へ入って調べましょう。令状もなければアポもなしなうえ、中にどんな危険があるか見当もつきません。外見にとらわれずに慎重に対応しましょう」  二人は怪訝そうな表情を変えないまま、ビルのエレベーターフロアを進んだ。 「いやはや、今、官邸内でバタバタしている大臣連中や警察官僚の皆様もまさか1階の通路が退色したAV女優のポスターで埋めつかされているビルで世紀のテロ事件が動かされているなんて夢にも思っていまい……」 ********************************  動画共有サイトで配信されているのは、燃え上がるパトカーと地面にゴロゴロと転がる警官達の死体、そしてその真ん中で切断されたハゲ頭の中年刑事の生首を右手に大きく掲げる赤マントの勇姿。  ノートパソコンの画面の中に映し出される死体の山を見て、鷹藤は思わず吐き気を抑えるように口に手を当てた。  「おえええ……ワインのボトルを空けた後に見るにはけっこうキツイ映像だな」  だが結果は上々だ。死にかけのカサカサだった爺さんが当社の新製品の投薬によって最強の兵器として生まれ変わった様を世に知らしめる事ができた。最初のうちはフェイクだと疑問の声がネットに散乱するだろうが、マスコミや警察からその被害者の数が正式に発表されるやいなや、誰もが否応にも赤マントの存在が事実だと認め得るしかなくなる。  そして、アカネ十字社から秘密裏に今夜のデモンストレーションを通告していた内外の軍事、医療関係の大企業からの問い合わせが我が社に殺到する事になるだろう。 「ククククク」  とまるで漫画に出てくるような悪役の笑い声をあげると、鷹藤は動画サイトの画面を閉じ、狼のマスクを顔から外した。  ひとまずこちらの仕事は終わった。これからの当社の技術によって生まれ変わった最強の兵器はこちらの指示がなくとも勝手に暴れ、全世界にその力を宣伝してくれる。   後はアカネ十字社が今回のテロに関わっている痕跡を残さないまま、影の黒幕として姿を消すだけだ。いずれ世に堂々とこの歴史的成功を公表できる時がくるだろうが、今はまだ時が早い。    会長が気にかけていた口裂け女の消息が不明のままだが、それはもうどうでもいい。  元からあの口裂け女は万が一新薬が効果を見せず、教祖が干からびたジジイのまま逝った時の保険だった。  世界各国の軍事及び医療関係の見込み客達に当社の新商品のデモをネット配信する一大イベントだ。その大口の客達が固唾を飲んで視聴する中、新薬の効果が表れずジジイがくたばり損ないのままだった時は、人を襲っている口裂け女を捕獲、または射殺しその怪物の死体から新薬を開発すると発表する予定だった。  そのため見込み客達には今日の発表の詳細は伝えていない。  これで新薬が失敗し発表ができない状況になっても、内外の顧客達にとって肩透かしのイベントにならないまま、次の取引に繋がる興味深い商品を見せる事はできる、という算段だ。  会長はテロが行われている最中、赤マントが口裂け女という鬼畜の怪物を倒す映像があるとさらに興味深い宣伝になると想定し、できるだけ双方が鉢合わして闘う状況ができるように警察に圧力をかけてまでその舞台設定まで行ったが、いくらうまく偶然が重なったとしてもそこまで都合よく事が運ぶ事はあるまい。  会長には強い畏敬の念を抱いているが、どうやら80の歳を超え現実的な推算ができなくなったようだ。  ともかく、早急にこの場から退散だ。今回のテロの裏で何があったかを、この世の誰にも知られる事がないまま、この事件は終結するのだ。 「ククククク」  と、己の悪の才覚に酔い、今日、二度目の漫画の悪役の笑い声をあげた時、突然、鷹藤の背後に人影が現れた。 「あー、ちょっと、あんた小林商事の人?」 「え?」  ハッと我に返って振り返ると、すぐ目の前にスーツを着たガキのあどけなさを顔に残した童顔の男と、新宿の汚い裏道にたむろしているのがお似合いの金髪の目つきの悪い女が立っていた。 「いや、受付もないし、インターフォンも鳴らないし、ドアに鍵もかかってなかったから勝手に入ってきちゃった。ごめんよ、で、あんた小林商事の人でいいんだよね?」 「は?」  腹に流し込んだ赤ワインが逆流し、口から赤いゲロを吐き出そうになるほど、鷹藤は仰天した。 「ええっ!!」  この下品な女が今回の計画の準備として幾度も映像を視聴した、地下牢に閉じ込められている口裂け女本人そのものだったからだ。 「な、なななななな……」  泡を食っているばかりにまともな言葉が出ない鷹藤に向かって、口裂け女は手帳を広げ、金ぴかに輝く警察バッジを見せつけた 「警察だけど聞きたい事があるんだ。まあ、いろいろと、たっぷりと! 例えばキ〇ガイ教団のテロとか、アカネ十字社の変な薬とか!」  そう言ったと同時に敵意と殺意がブレンドされたように口裂け女の目がギラリと光った。 「知らないとは言わせないよ、兄ちゃん!」 「警部、暴力はいけませんよ。僕らは質問をしに来たんです。その人を殺したら沖縄旅行はなしですからね!」  キ〇ガイ教団のテロ、変な注射? その人を殺したら? 沖縄旅行? 何を言い出すんだ、この口裂け女と童顔野郎は! それよりもどうしてここに? いったい何が起きてる? と、心の中がパニックに陥った瞬間、鷹藤はもう堪える事ができず、赤い噴水を勢いよく口から噴出した。 「ゲエロゲロゲロゲロ~~!」
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