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「顔を上げてください。母を見て下さって、ありがとうございます」 「いいえ、仕事ですので。お気になさらないでください」  顔を上げた女性は思ったよりも若く、真面目そうな顔をしていた。  少し厳しそうな人に見えたが、逆に仕事ならばそつなくこなしてくれそうだ。 「それで母は……」 「寝室におります。今日は少し調子がいいのか、朝から起きて待っていましたよ」  そう話す世話人の女性は僅かに笑みを見せた。  その顔を見て彼女は母の世話を嫌々しているわけではないことが分かり、美鶴は安心する。  彼女の話では、母は初め完全に寝たきり状態で、生きようという気力がまるでなかったのだそうだ。  だが美鶴が生きていると知り、少しずつ回復に向かっているのだという。  案内されるまま弧月と床に上がり、寝室へと入る。  敷かれた褥の上で、記憶よりやせ細った母が額を床に擦り付けそうな状態で頭を下げていた。  何と声をかけようか。  考えてきたはずなのに言葉が出てこない。  近付き、膝を付いて薄くなった母の頭髪を見下ろした。 「……母さん」 「っ!」 「顔を見せて? 本当なら私はもうここに来てはいけないの。それを一度だけという約束で母さんに会いに来たのよ?」  元は平民であっても、今は妖帝の妻で貴族と同じ扱いを受けている。  子も産み、弧月の妻としての地位も確かなものとなってきている美鶴は平民のように人前に出ることはもうあってはならないのだ。  それを無茶を言って会いに来た。  時間もあまり取れない。  だから顔を見せて欲しいと乞う。 「あ、ああ……」  すると母は震えながら顔を上げる。  回復してきたと聞いてはいたが、美鶴の記憶と比べると頬はこけ目も少々落ち窪んでいる。  美鶴と同じ黒い目には、すでに涙が滲んでいた。 「み、つる……本当に、生きてっ」  震える唇は「良かった」と言葉を紡ぎ、滲んでいた涙が零れ落ちる。  涙と共に止めどなく零れた言葉はやがて懺悔となった。 「ごめんなさい、ごめんなさい美鶴。いなくなるまで、あなたが大事だと忘れてしまっていた……ごめんなさい」 「私も、ごめんなさい。愛されていないと決めつけて、生きていたのに便りも出さずに……ごめんなさい」  繰り返し謝る母に、美鶴もつられるように謝罪した。  だが、今日は互いに謝るために来たわけではない。  もう二度と会えなくとも、自分はちゃんと幸せを得たのだと知らせるために来たのだ。  自分は幸せだからもう大丈夫だと。だから気に病まず、母も生きることを諦めないで欲しいと伝えるために。 「……母さん、私も子を持つ母になったのよ?」  だから、その幸せの証を見せる。  大事に抱いていたおくるみ。  包まれた衣の隙間から、まだ小さい赤子の顔が見える。  額に小さな角が見える、妖の赤子。  弧月が受け継いでいる鬼の血が強く出た鬼の子だ。 「可愛いでしょう? 私の、大事な子よ。この子と夫の弧月様のおかげで、私は今とても幸せなの」  だから、自分は大丈夫だと……穏やかに微笑んだ。 「母さん、私を産んでくれてありがとう。……おかげで私は幸せを知ることが出来たわ」 「あ、ああ……美鶴……幸せにしてやれなくて、ごめんねぇ」  泣く母は、尚も謝る。  だが、赤子の顔を覗き込みその可愛らしさにフッと表情が緩んだ。 「可愛いねぇ……美鶴、幸せになってくれてありがとう……」 「うん……」  そうしてしばらく黙り込み、二人はただただ赤子を見続ける。  だが、元々長居は出来ない。  控えめに「美鶴……」と弧月の呼ぶ声がして、もう時間だと知らせてくれた。 「……じゃあ母さん、どうかお元気で。もう会うことは出来ないけれど、私はちゃんとこの黎安京(れいあんきょう)で生きているから」  だから心配するなと告げ、美鶴は立ち上がり弧月のもとへ戻った。  寝室を後にする前にもう一度母を見ると、眩しそうに自分たちを見て「ありがとう」と礼を伝えられる。  名残惜しくはあるが、美鶴は最後に笑みを返し「さようなら」と家を出た。
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