柴わんこと恋心

1/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

柴わんこと恋心

 初めて彼女を見かけたのは、僕がまだ大学生になりたての時のことだった。  A福祉センターにて、父の仕事を見学させてもらうことがあった時のことである。何故見学したかったのかといえば、僕が大好きな犬がたくさん見られる日だったからだ。  A福祉センターでは定期的に、狂犬病などのワクチン予防接種会場が設置されることになる。犬を飼ったことのない僕は当時詳しくなかったのだが、狂犬病ワクチンの場合は年一回の摂取が義務付けられているのだとか(他にも混合接種ワクチンなどもあって、獣医師の判断によってさらに追加接種が増えたりするらしい)。  ゆえに、集団予防接種が可能な大規模会場を、福祉センターに設けているというわけである。狂犬病は恐ろしい病だ。法律がなかったとしても、きちんと接種して予防しなければ犬はもちろん人間も命に係わることになってしまう。 「いいか瑠亜(るあ)。お前、将来いつか犬を飼いたいと思ってるなら、ちゃんと犬のことは知らないと駄目だぞ」  大学生というより、さながら小学生の子供に言い聞かせるような口調で父は言う。 「お父さんもセンターの仕事をするようになってからいろいろ勉強したもんだ。犬は可愛いだけじゃない。人間と同じ“命”なんだ。犬の飼い主になるってことは、犬の親になることも同じ。犬のために何ができるか、何をしなくちゃいけないのか、しっかり学んで考え続けないといけない」 「それくらいわかってるよ」  多分、父の中ではいつまでも自分は小さな子供のようなものなんだろうなと思う。確かに、幼い頃から手のかかる息子だったという自覚はあるが。 「だから僕は、一人暮らししてからも犬飼ってないんだろ。無責任なことできないから。……まあ、うちのアパートがどっちみち規約で飼えないんだけどさ」 「わかってるならよろしい。動物に関わる仕事がしたいってなら、今日の見学はそういう意味でも意味がある。可愛い可愛いってっしてるだけじゃなくて、ちゃんと父さんの仕事の様子を見ておくんだぞ、いいな?」 「はいはい」  予防接種会場は屋外の駐車場に設置されている(雨が降ったら面倒なことになるのは間違いないだろう)。そしていろいろな犬がやってくる。小さなヨークシャテリアやチワワから、グレートピレニーズのような超大型犬まで。  そして、僕は彼女と出会うことになるのだ。 「うわ……!」  柴犬の子犬を抱えた、髪の長い女性。背がすらりと高くて、眼鏡をかけていて、犬を愛おしそうに見つめていて。  多分、少しばかり年上。でも関係がなかった。 ――うっそやん……?  僕は自分で自分にツッコミを入れていた。あり得ない。一目惚れなんて、現実には絶対あり得ないと思っていたのに。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!