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二
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生贄となることが決まる直前まで、鈴葉は上ノ宮で女官の一人として働いていた。
女官と言っても、若手の鈴葉の役割は雑用係。役職の中では一番下っ端と言ってもいい。
それでも鈴葉は、宮中を掃除してピカピカにしたり、貴重な古文書の整理に携わったり出来るこの仕事が、案外気に入っていた。
ところが、鈴葉がせっせと働くので、周りの女官たちはこれ幸いと様々な仕事を鈴葉に押し付け始め、鈴葉は夜遅くまで仕事に追われるようになってくる。
そんな鈴葉のことを、真っ先に気に掛けてくれた人。
それが、華ノ国の第二皇子、琥珀だった。
まだ高台ノ宮が出来ていなかった頃、一緒に里で遊びまわった幼馴染の一人だ。
毎晩遅くまで残っている鈴葉を心配し、琥珀が声を掛けてくれた。鈴葉から事情を聞き出した琥珀は、すぐに女官たちの問題行動を皇帝に進言し、勝手に仕事の割り振りを変更できないよう、規則を整えた。
その後も琥珀は何かと、上ノ宮で働く鈴葉の様子を見に来てくれるようになる。
すらりと華奢な体躯に、いつも穏やかな笑顔を浮かべた青年。優しい薄茶色の髪と瞳は、彼の性格をそのまま現わしたかのよう。
仕事が好きな鈴葉とは打って変わって、琥珀は皇務に嫌気が差しているようだった。周りの皇族や貴族たちは、皆権力争いにばかり腐心していると。
本当はもっと民に寄り添った仕事がしたい、とも言っていた。そんな琥珀に鈴葉は、やっぱり琥珀は優しいね、と言って微笑んだ。
「私には話を聞くことしか出来ないけど、それで良ければいくらでも聞くよ」
そう言うと琥珀も照れたように笑って、ありがとう、と言ったのだった。
それから二人は、毎日のように時間を見つけては語り合った。お互い自然が好きだったので、周りの目を盗んでこっそり山に分け入り、上ノ宮から随分離れた場所に古い小さな山小屋を見つけ、二人だけの秘密基地にした。
恐らく高台ノ宮の建設が始まる以前、平民たちが山に入る際に使っていた、休憩所か何かだろう。ずっと放置されていたらしい山小屋はあちこちガタが来ていたが、それも二人で力を合わせて修復した。
夢中になって作業している間は、まるで子供の頃に戻ったようで。
そんな時間を共有しているうちに、二人は互いに、かけがえのない存在になっていったのだった。
そして、鈴葉の十七の誕生日に、琥珀は婚姻を申し込んだ。
それが、生贄の儀のひと月ほど前のことだ。
勿論鈴葉も承諾し、上ノ宮でも結婚に向けた準備が急ぎ進められた。
だというのに。
突然、鈴葉が生贄の話を聞かされたのは、儀式の七日前のこと。
皇帝に呼ばれ、生贄の巫女の勅命を受けた時には、頭の中が真っ暗になって何を言われているのか分からなかった。
皇帝が言うには、華ノ国の未来を占う祈祷師が、生贄の儀が必要であると申し立てたらしい。華ノ国を守護する狐神の力が弱まっており、このままでは不作は益々悪化する。それを食い止めるためには、生贄を捧げて狐神の力を復活させるほかない。
そして託宣の結果、生贄の巫女に選ばれたのは、鈴葉であったと。
皇帝は言った。琥珀との婚約は解消し、生贄の巫女となることを命ずる。
お前はその身を以て、華の国を救うのだ、と。
自分の身に起きていることを、まだ受け入れられないまま。ふらつく足で、鈴葉はどうにか皇帝の間の扉を開き、外に出た。
廊下を力なく歩く、鈴葉の背後に。
不意に、拍手の音が響く。
鈴葉が驚いて振り返ると、そこには。
「生贄の巫女に選ばれたのね。おめでとう」
そう言ってにこやかに微笑む少女の姿。
鈴葉と同じ中ノ宮に暮らす貴族の姫、彩璃。
「…彩璃、どうして」
「ふふ、私が上ノ宮にいるのが不思議?でも私、今日は皇帝陛下から大事なお話があって呼ばれてるの。」
鈴葉と違い、彩璃は上ノ宮で仕事をしているわけではない。普通なら昇殿は許されないはずだが、皇帝の“大事なお話”とは…
いや、それよりも。生贄の儀が執り行われることは、まだ発表されていないはずだ。
それなのに何故、鈴葉が巫女に選ばれたことを――?
そんな鈴葉の心を見透かしたように、彩璃は笑みを深め。
そして彩璃は、鈴葉の耳元に、顔を寄せた。
「いい気味よ。あなたが幸せになるなんて許さない」
鈴葉は驚いて彩璃の顔を見やる。
彩璃は、益々嬉しそうに微笑みながら。
「だって、一番幸せになるべきなのは、私ですもの」
その瞳の奥から覗き込む明確な敵意に、鈴葉は背筋が凍り付くようだった――
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彩璃は鈴葉と同じく上位貴族の家系だが、父・須王は皇帝から重用されており、『限りなく皇族に近い貴族』、とまで言われている。
そのため貴族たちは当然須王を敬い、娘の彩璃は貴族の姫君たちの中心的存在となっていた。
彩璃は毎日のように友人の姫たちを部屋に招き入れ、優雅な茶会を催した。父からも良く、「お前が他の姫たちに、貴族としての振る舞いを教えてあげなさい」、と言われていたからだ。「お前は、華ノ国一の姫なのだから」、と。
須王は彩璃が欲しいものは何でも与えてくれたので、部屋には美しい宝飾品や珍しい舶来の品がたくさんあり、姫たちは口を揃えて彩璃を羨ましがるのだった。
貴族の姫君で彩璃に従わない者などいないと思っていたが、ただ一人、一度も茶会に出てこない人物がいた。それが、鈴葉である。
鈴葉が上ノ宮に働きに出ていることは知っていたので、彩璃も当初は何とも思っていなかった。ただ、「お茶をたしなむ余裕もないなんて可哀そうな子」、くらいにしか。
しかしある日、たまたま朝出勤する前の鈴葉と鉢合わせしたので、声を掛けてみたのだ。
「あら、鈴葉。これからお勤め?毎日大変ね」
「おはよう、彩璃。ありがとう、もうだいぶ慣れたから平気だよ」
鈴葉はそう言って微笑んだが、彩璃は。
「たまにはお暇をいただいて、私のお茶会にいらっしゃいな。お父様が珍しいお菓子を手に入れてくださったのよ」
華ノ国ではまだまだ甘味は貴重品で、これを目当てに集まってくる姫も多い。
しかし、鈴葉はというと。
「ううん!仕事は楽しいし、勉強にもなるから。それじゃ、もう行かないと」
晴れやかな笑顔を残し、門の外へ駆けて行った。
――彩璃が、鈴葉に対して“違和感”を持ち始めたのは、この時からだった。
彩璃の中の鈴葉は、身寄りもなく自らが働かなければ生きていけない、『可哀そうな子』だった。
普通、中ノ宮に暮らす裕福な家の姫であれば、勤めに出なくても十分な生活が出来る。上ノ宮の女官になるのは、ほとんどが下ノ宮の下位貴族出身で、そのようなゆとりのない家ばかりだ。
しかし、鈴葉のあの笑顔。
『可哀そう』どころか、自信と幸せに満ち溢れたような…
その“違和感”からしばらくして、鈴葉が第二皇子の琥珀から求婚を受けたとの噂を聞き、彩璃は衝撃を受ける。
それと同時に、鈴葉のあの笑顔の理由にも、合点がいったのだった。
(…上ノ宮に勤めてたのは、殿下に近付くためだったのね)
もし、このまま鈴葉が、第二皇子の正室になってしまったら。
(…許さない。華ノ国で一番の姫君は、この私なんだもの)
「私の方が、琥珀殿下の正室に相応しい。お父様も『その通りだ』って仰ったわ。『私の力で必ず彩璃を正室にしてやろう』って」
須王は、彩璃の欲しいものなら何でも手に入れてくれた。そしてそれは、今回も。
「生贄の巫女になるなら、殿下の正室にはなれないわよね。だから…」
心の底から楽しそうに、彩璃が笑う。
「代わりに私が、琥珀殿下の正室に選ばれたのよ」
「――…!!」
そんな。それじゃ、まさか。
「そう。あなたを生贄の巫女に仕立て上げたのは、私。」
鈴葉から、琥珀の正室の座を奪うために。
愕然として言葉を失う鈴葉と、勝ち誇ったように微笑む彩璃。
「お父様の力を使えば、簡単だったわ。祈祷師も他の皇族たちも、皆言うことを聞いてくれた」
須王はその莫大な財力にものを言わせ、祈祷師や皇族たちを次々と買収した。
娘の彩璃が琥珀の正室となれば、須王としても願ったり叶ったりだ。第一皇子には既に正室がいるが、まだ男児は生まれていない。もしこの先、彩璃の方が先に跡継ぎを生み落とすことが出来たなら。
近い将来、須王の孫が皇位継承者となることも夢ではない。そうでなくとも、彩璃が琥珀と結婚した時点で、須王も皇族の一員だ。その権力は今後、絶大なものになるだろう。
この生贄の儀の筋書きは全て、須王が裏で手を回して作り上げたものだったのだ。
「可哀そうな鈴葉。でも、仕方ないわよね。小賢しい真似をして、私よりも幸せになろうとするからよ」
言いながら彩璃は、憐れむような薄笑いを浮かべ。
「ああ、今の話を陛下にしたって無駄よ?お父様は誰よりも陛下から信頼されてるし、周りの皇族たちもみんなお父様の味方。誰もあなたの言葉なんて聞きやしないわ」
そう言って彩璃は、優美な足取りで鈴葉に背を向ける。
「じゃあ、私はこれから婚姻の儀の打ち合わせだから。あなたはせいぜい、生贄の巫女としての務めを、立派に果たしてちょうだいな」
肩越しにそう言い放ってから、彩璃は凛と胸を張り、皇帝の間へと進んで行った。
――これが、鈴葉が生贄となった真実である。
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