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三
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生贄の儀の執行から、どれほどの時が経っただろうか。
意識が戻った途端、強い頭痛と吐き気に襲われ、鈴葉は反射的に頭を押さえた。
「鈴葉…!大丈夫か?」
すぐ近くで聞こえた、その声は。
「…琥珀…?」
どうやら鈴葉は、気を失って寝かされていたらしい。横になったまま薄目を開けると、目の前でよくよく見知った顔が、心配そうに鈴葉を覗き込んでいた。
と、ここで。
(――!?)
我に返った鈴葉は、慌てて身体を起こし。
「こ、琥珀っ!?なんで…っ、私、どうして」
周りを見渡すとそこは、あの断崖絶壁に建てられた儀式社ではなく――これまたよくよく見知った、二人の山小屋だった。
「心配しなくていい。俺が、鈴葉をここまで連れて来たんだ。ここなら誰も寄り付かないだろ?」
「つ、連れて来た、って…!?」
一体、どうやって。だって鈴葉は――確かにあの崖の上から、谷底に身を投げたのだ。
それともあれは、鈴葉の記憶違い?慣れない酒など飲んだから、幻覚でも見たのだろうか?
瞬きを繰り返しながらすっかり混乱している鈴葉だったが、激しい頭痛に耐え切れずに蹲る。
それを見た琥珀はすぐに、鈴葉の身体を優しく抱え。
「…酒を飲まされたのか。大丈夫だ、すぐに抜いてやる」
そう言って、鈴葉の額に手を当てると。
――仄白い光とともに、じんわりとした温かさが額に触れ、やがて全身に伝っていく。
「――?」
心地よさに、鈴葉は思わず身体の力を抜き、目を閉じる。
そして再び、目を開けた時には――あれほど辛かった頭痛も吐き気も、嘘のように無くなっていた。
「う、嘘…」
心の内が口から漏れ出る。身体を支えてくれている琥珀を見やると、相変わらず穏やかに微笑んでいた。
「こ、琥珀…今、何したの?」
「霊気で酒を浄化しただけだ。楽になったか?」
「それはもう、すっかり……じゃなくて!」
堪らず、鈴葉は琥珀の腕の中から飛び出す。
「祈禱師でもないのに、なんで霊気なんて使えるの!?皇子が霊術なんて習うわけ――」
言いながら鈴葉は、自らの言葉に違和感を覚える。
…あれ?皇子…?
もうすっかり酔いは醒めたはずなのに、頭の中に霧がかかったように、上手く記憶に辿り着けない。
戸惑う鈴葉の前で、琥珀は。
「…良かった。鈴葉にいつもの元気が戻って」
そう言って静かに頷くと。
その身体を、あの仄白い光が包み込んだ。
――華ノ国に、第二皇子など存在しない。
現皇帝の息子は皇太子である第一皇子だけで、後は側室との間に生まれた幼い姫君がいるだけだ。
子供の頃、一緒に野山を駆け回ったと当たり前のように思い込んでいた記憶からも、琥珀の姿は跡形もなく消えていた。
どうして、私は今まで――この青年のことを皇子だと、幼馴染だと思っていたのだ?
「琥珀…あなた、一体…」
目の前で、白い光は徐々に薄れてゆき。
そこに居たのは、いつも見慣れた、薄茶色の髪と瞳の青年ではなく――白銀の髪に、黄橙を帯びた金色の瞳の、端麗な顔立ち。
身に纏う衣もどこか異国風で、そして何より――
「…今まで黙っていてごめん。ずっとこの国の人々に、幻惑を掛けていた」
頭の上に突き出た、白い大きな三角耳。そして背中の影から、立派な九本の尾が見え隠れしていた。
「俺は、この国に遣わされた、狐神なんだ」
鈴葉の両の眼を真っ直ぐに見つめて――琥珀は、そう打ち明けたのであった。
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「この世には、互いの目には見えない二つの世界が重なっている。それらは決して交わることは無いが、霊気を扱えれば、二つの世界を行き来することができるんだ」
“狐神”としての姿を現した琥珀は、床に敷いた座布団の上で胡坐をかき、そう語り始めた。
その傍らでは鈴葉も、同様に座布団の上に腰掛けている。無論、これらの座布団は、二人がこの山小屋に持ち込んだものだ。
「俺は、この地に重なる“もう一つの世界”からやって来た。…“玄ノ国”、と言った方が、鈴葉には分かりやすいかな」
「…!」
“玄ノ国”。それは、華ノ国に古くから伝わる神話の一つだ。
この世の何処かに、“玄ノ国”と呼ばれる神々の住まう国がある。華ノ国を守護する狐神たちもそこで暮らしており、その入り口はこの世の果てにあるとか、あるいは天と地の狭間にあるとか、伝承はどうも曖昧なのであった。
「人間は決して立ち入ることは出来ない理想郷――ただの、お伽話だと思ってた」
「理想郷と言えるかは分からないけど…まあ確かに、無駄な争いや競り合いがない分、幸せな世界なのかな」
驚きを隠せない鈴葉に、琥珀は苦笑しながら答える。
「…でもどうして、琥珀は神様の国から、わざわざ人間の国にやって来たの?」
鈴葉が問うと、琥珀は一瞬、目を瞑ってから。
「…この国の人間たちを、調べるためだ」
そうして、琥珀は再び、語り始める。
「重なり合った二つの世界は、互いに影響しあっている。この世界で人間たちは、自然界から食料や、生活に必要な様々な資材を手に入れるだろう?それと同じように、俺たちは霊界で、自然から霊気を受け取って生きているんだ」
二つの世界は空間を共有しており、玄ノ国はちょうど、華ノ国に重なる位置にあるという。神々は豊かな自然が近くにないと、霊気を得られないため生きていけないが、あまりにも山深い森の中ではやはり暮らしにくいらしい。
「霊界で生きる俺たちは、人間ほど自由に自然界を造り変えることは出来ない。だから、人の手によって住みやすく整地された土地に、俺たちも国を造るんだ。利用させてもらう代わりに、俺たちは自らの霊気をその土地に還して、土壌を豊かに保っている」
狐神が『豊穣の神』とされるのは、そのためだったのだ。
「だが…あまりにも自然を破壊されてしまうと、俺たちはその土地には居られなくなる」
今から遡ること十数年前、華ノ国では、山を切り開いて高台ノ宮の大造営が始まった。
木々が次々と伐採され、建設が進むにつれて、玄ノ国の霊気もどんどん減っていく。
「俺たちも、ここ数年十分な霊気が得られない日々が続いてる。そのせいで土地に霊気を与える余裕がなくなって、華ノ国に不作が続くようになったんだ」
危機感を募らせた玄ノ国の神々は、華ノ国の人間たちの様子を探るため、琥珀を潜り込ませることにした。
「狐神は人に化けることが出来るし、幻惑の類も使えるからな。俺が華ノ国に来たのはちょうど、高台ノ宮が完成して、人々が移り住んだ頃だった」
つまり、それ以降の琥珀の記憶は、幻惑ではない本物という訳だ。
確かに鈴葉の中にも、女官として働き始めてからの琥珀との記憶は、消えずに残っていた。勿論、琥珀が鈴葉を助けてくれた時のことも。
琥珀は皇帝の第二皇子として潜入し、華ノ国の政治の中心に関わるようになる。
「…それで、調査の結果は、どうだった?」
鈴葉が尋ねると、琥珀もこちらに顔を向け、苦笑を浮かべた。
「いつも言ってるだろ。この国はおかしいって」
それは普段から、琥珀がこの山小屋で鈴葉に零していた言葉だ。
「同じ人間なのに、皇族や貴族はろくに働かず、平民が懸命に耕した畑の作物を『穀税』として取り上げる。その上で、自分たちの方が平民より優れていると思い込んでいる。こんな滑稽なことは無いだろう」
そして鈴葉も、いつも琥珀と同意見だった。
高台ノ宮が建つ前までは、里に暮らす人々に交じって、鈴葉や祖父も畑仕事に精を出したものである。
しかし今となっては、皇族・貴族にとって土は“不浄”なもの。誰も手を触れることすらしない。
「土や自然がないところでは、人は生きられないのに…里の人たちだけが農耕して、私たちはそれをいただくだけなんて、おかしいよ」
高台ノ宮の人々は、身分が上がるほど肉体労働を嫌う傾向にある。だから、農耕などの力仕事を全て平民に押し付けたのだ。
それが、鈴葉には分からなかった。鈴葉自身、身体を動かすことは好きだし、畑で日々成長していく野菜や穀物の世話をするのも、楽しかったから。
鈴葉は、本当は戻りたかった。土や緑に自由に触れられた、あの頃に。
「…その通りだ。平民たちが重税に苦しめられる一方で、皇族や貴族は贅沢に溺れ、自分の出世のことしか考えていない」
そしてそれは、琥珀たち神々にとっても由々しき問題なのである。
「貴族たちの怠惰の心に、そんな連中に搾取される、平民たちの恨みの心。そういう負の感情は、霊気を濁らせて邪気に変えてしまうんだ」
神々にとって、霊気は命の源。木々の伐採でただでさえ霊気が減少している中、邪気への置き換わりが進めば生死に関わる。これ以上邪気が増える前に、生き残るための手立てを考えなければ。
「方法は二つ。一つは、ここを出て新たな地に国を再建すること。そして二つ目は、華ノ国の皇族と貴族たちを導き、誠実な生き方を取り戻させること」
滔々と語る琥珀の隣で、鈴葉もじっと耳を傾ける。
「一つ目の方法では、玄ノ国の住民全員が移れる新天地を探す必要がある。無事に見つかったとしても、そこにまた一から国を造り直すのは骨が折れるし…玄ノ国からは、どうにか二つ目の方法で解決するよう、頼まれていたんだ」
そのため琥珀はこの数年間、皇族・貴族たちの意識を変えようと、様々働きかけてきたのだが。
「結局、連中は改心するどころか、ますます利己的になる一方で…俺ももう、そんな人間たちの中にいるのは、正直精神的に限界だった。…それでも」
ここで琥珀は再び、鈴葉を見やる。
「もう少し、頑張ってみようと思えたんだ。鈴葉と一緒なら」
「私と…?」
鈴葉が、目をぱちくりさせた。
琥珀も微笑みながら、ひとつ頷き。
「貴族たちの中で、自然の大切さを理解しているのは鈴葉だけだった。働くことの喜びを知っているのも。それに…」
琥珀は不意に、頬をほんのり赤らめて。
「いつも、俺の話を真剣に聞いてくれて、単純に嬉しかったんだ」
鈴葉もつられて、頬を染める。
「そ、それは…私も、琥珀の言うことは正しいと思ったから」
その言葉に、琥珀はそっと、鈴葉の肩を抱き寄せた。
「権力争いに疲弊してばかりの毎日で、鈴葉の思いやりにどれだけ支えられたか。…俺は、そんな鈴葉を、ただ守りたかったんだ」
琥珀の言葉に、鈴葉も小さく頷く。
「…私も、ずっと琥珀が心配だった。こんなに心の綺麗な人がこのまま皇族の中にいたら、自分の利権のことしか考えてない大人たちに、いつか潰されてしまうんじゃないかって」
鈴葉は、琥珀の肩に頭を預けながら。
「だからね、『結婚してほしい』って言われた時、すごく嬉しかった。正室になれば、もっと琥珀の力になれると思ったから」
ぽつりと、そう呟くと。
琥珀は急に身体を離したかと思えば、鈴葉の両肩をぎゅっと掴んで、その眼を真正面から見つめた。
「…俺は、鈴葉が好きだ。こんな世界の中でも、鈴葉には笑っていてほしかった。だから、これから先もずっと、鈴葉の傍に居ると…鈴葉と同じ“人間”として生きていくと、覚悟を決めて結婚を申し込んだんだ。それなのに…」
俯く琥珀の瞳に一瞬、怒りの炎が滾る。
「あいつらは、何の罪もない鈴葉の命を奪おうとした。生贄なんてくだらない儀式を盾に、自分たちを正当化して」
生贄の儀などデタラメだ。神々は霊気を自然界から得ているのであって、人間を捧げられたところで力が強まることは無い。
「今回の件に須王が関わっていることは、俺も気付いた。俺は生贄の儀なんて取り止めるよう何度も言ったが…皇帝も他の皇族も皆、須王の言いなりだった。それどころか、奴らは俺が鈴葉と接触できないよう、鈴葉を何処かに連れ去った」
「うん…」
生贄の巫女に選出されてからの七日間、鈴葉は“清め”と称して神社の一室に幽閉され、ほぼ監禁状態だった。
「だから、鈴葉を助け出すには、崖から飛び降りた瞬間に攫う他なかった。…すぐに助けに行けなくて、ごめんな」
「ううん…そもそも私、生きて戻るつもりなかったし…」
そう言う鈴葉を、琥珀は強く、抱き締めた。
「…鈴葉。俺はもう、玄ノ国に戻ろうと思う」
鈴葉の頭の上で、琥珀がそう呟く。
「華ノ国の中枢は腐りきってる。自分の利益の為に、鈴葉の命を平気で犠牲にするような連中だ。こんな国を立て直すなんてとても出来ない…ならば俺たちは、この地が邪気で満ちる前に新たな土地を見つけ出して、国を移さなければ」
「…うん」
鈴葉は琥珀の腕の中で、頷いた。
「玄ノ国の神様たちの暮らしを守るのが、琥珀の役目なんだもんね」
華ノ国の皇族・貴族たちは、これからも堕落した生活を続けていくだろう。自然をないがしろにし、平民たちは更なる負担を強いられ、邪気は増え続ける。
それならば琥珀は一刻も早く、ここから離れた方がいい。どこか、霊気が潤沢に満ちた住みやすい土地で、他の神々と共に幸せに暮らしてくれたら。
「…鈴葉」
琥珀は腕を緩めると、鈴葉の眼をじっと見つめて。
「俺と一緒に、来てくれないか」
「…えっ?」
琥珀の言葉に、鈴葉は驚いて瞬きする。
「鈴葉だけをこの国に置いていくなんて出来ない。俺は、鈴葉を守ると決めたんだ」
「…で、でも、一緒にって…人間の私が、玄ノ国に入れるの?」
霊気を扱えなければ、二つの世界を行き来することは出来ない。神話でも、玄ノ国に人間は入れないと…
「確かに、人間のままでは玄ノ国では暮らせない。でも、俺の血と霊気を分け与えることで、鈴葉を狐神にすることが出来るんだ」
鈴葉が、目を見開いた。
「…私が、狐神に…?」
琥珀も、ゆっくりと頷き。
「…ただ、そうなれば鈴葉はもう、人間には戻れない。これから玄ノ国では、国を移すための大仕事が待ってるだろう。鈴葉にも苦労をかけることになるが…」
そう言って琥珀は苦し気に俯くが、鈴葉は首を横に振り、微笑んだ。
「そんなこと、全然平気!これからも琥珀と一緒に居られるなら…それが一番嬉しい」
生贄にされたことで、この世界への未練などとっくに無くなっていた。閉ざされたと思っていた、琥珀と共に歩む未来が、こんな形で目の前に現れるなんて。
「私も、琥珀のことを支えるって決めたの。…誰よりも、大好きな人だから」
琥珀の眼を真っ直ぐに見つめ返す、鈴葉の言葉に。
琥珀はそっと、鈴葉の唇に、口付けを落とした。
「…ありがとう、鈴葉」
そう言ってはにかんで見せてから、琥珀は再び、鈴葉をぎゅっと抱き締める。
「一緒に行こう。玄ノ国へ」
「うん」
鼓動と温かさの中で、鈴葉もしっかりと頷いた。
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生贄の儀から、数か月後。
実りの季節を迎えても、華ノ国では相変わらず不作が続いていた。
にも関わらず、高台ノ宮の住民たちは贅沢な生活を止めようとはしなかった。その多くが、里の田畑の現状をその眼で確かめることもせず、「生贄の儀が成功したのだから、今年は豊作に違いない」と信じて疑わなかったのだ。
役人たちは少ない収穫のほとんどを税として取り立て、平民たちは益々苦しい生活に追い込まれた。耐えかねた平民たちは度々高台ノ宮に押し掛けるようになったが、その都度近衛兵に追い払われた。
そして、華ノ国に冬が訪れた頃。里では、不思議なことが起こり始める。
これまで地道に農耕に励んできた勤勉な平民たちが、次々にある“夢”を見るようになったのだ。
彼らが見た夢の内容は、皆同じものだった。ある夜眠りにつくと、瞼の裏に輝く毛並みの夫婦狐が現れ、土地を移るように告げてくる。そして新しい土地へ至る道筋まで、彼らははっきりと記憶していた。
古くから伝わる狐神の伝承から、彼らはそれが神のお告げだと悟り、そして国を捨てる決意を固めた。
こうして、華ノ国からは次々と民たちが旅立って行った。長い旅路の末、彼らが辿り着いた土地は、豊かな森と湧き水、そして土壌に恵まれた高原だったという。
草が生い茂るその土地を、彼らはゆっくりと、だが着実に整地し、やがてそこは可愛らしい木組みの家と青々とした畑が並ぶ、美しい村になった。
一方で、農耕を担う平民たちが流出した華ノ国では、いよいよ食糧の蓄えが底をつき始める。
高台ノ宮での食物の配布も徐々に減っていき、貴族たちは堪らず里に下りて、まだ残っている平民たちに食糧を分けてくれと懇願したが、聞き入れられるはずもなく。
どんなに高価な宝玉や錦の衣を差し出したところで、何の役にも立たなかった。
その平民たちもまた、わずかに実った食糧を手に、続々と国を出て行く。
残された貴族や皇族たちは華ノ国を抜け出そうにも、長年の怠惰な生活がたたり、長旅に耐えうるだけの体力など、すっかり失くしてしまったのだった。
時を同じくして、神々が暮らす玄ノ国でもまた、一世一代の“国移し”が行われた。
若き狐神の夫婦が指揮を執り、玄ノ国の神々が協力し合って、住民全員の大移動を成し遂げた。新天地での国造りも順調に進み、今では新たな玄ノ国で、神々がのんびりと暮らしている。
この地に誠実な民たちを導いた二柱の狐神は、人間たちに守護神として祀られるようになった。
毎日畑仕事に精を出す人間たちに負けじと、神々も日々、土壌を霊気で満たして回る。
そして今日も、村ですくすくと育つ作物が風にそよぐのを、少し離れた森からそっと見つめる、二つの影。
「今年の畑作も、順調みたいだね」
「ああ。実りの時期が楽しみだな」
そう言って微笑むのは、玄ノ国から人間界の様子を見に来た、鈴葉と琥珀だ。
森に佇む大きな樫の木の太枝に並んで腰かけながら、琥珀は不意に、鈴葉の肩を抱き寄せた。
「――ありがとう。鈴葉がいなかったら、今頃国移しもどうなっていたことか」
「ううん、私は何も!琥珀が頑張ったお陰でしょ?」
琥珀の腕の中の鈴葉は、もう黒髪黒目の人間の姿ではない。薄紅を帯びた白銀の髪に、紅桜色の瞳。そして、琥珀と同じ白色の三角耳と、九本の尻尾。
「さて!しっかり休憩したし、そろそろ仕事に戻ろっかな」
言いながら、鈴葉が枝からふわりと離れる。
「あんまり無理するなよ?狐神としては駆け出しなんだから」
「分かってる!もう、琥珀はほんとに心配性だね」
笑い合う二人の声が森に木霊して――その姿は、ゆっくりと宙に消えていくのだった。
-END-
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