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15話 発情期を抜けて※
早春になると、ラーシュは幾分か頭が冴えるのを感じた。
きっと発情期を抜けたのだ。
まだアンネのフェロモンに囚われることがあるものの、自由に思考し、行動できる時間が増えた。
ラーシュはかねてから、実行したいと思っていたことに着手する。
それは、エーヴァの住処を探すことだった。
あの夜、エーヴァは身一つでアパートを去った。
三日三晩の狂乱から覚めて、エーヴァが行方知れずになったことに狼狽したラーシュは、電話帳をめくり、自分の職場に連絡するより先にエーヴァの職場へ電話をかけていた。
電話に出た小学校の事務員は、エーヴァが出勤しているか尋ねるラーシュに、こう言った。
「ああ、保護者の方ですね? 大丈夫ですよ、昨日までは体調不良でお休みでしたが、今日からは出勤されてますから、エーヴァ先生」
取りあえず、生きていてくれたことに安堵した。
大切な恋人のエーヴァを、絶望の淵に突き落とした自覚があるラーシュだ。
衝撃のあまり、自死したかもしれないという恐怖が、拭えなかったのだ。
しかし安否が分かってからも、ラーシュはアンネの匂いに絡めとられ、言葉にするのも憚られるような、爛れた日々を過ごした。
あれからアンネは、アパートに居座り続けている。
自宅に帰るように促しても、のらりくらりと躱される。
「ねえ、ラーシュ。小っちゃな胸の持ち主じゃ、満足できなかったんでしょ? だから私のおっぱいで、あんなに興奮するんでしょ? いいよ、陥没した乳首を舌でほじくるの、ラーシュ好きだもんね。ほら見て、私がこのブラつけたら、こんなに肉がこぼれちゃう。ああ、ラーシュ、苦しい。早く食い込むブラを外して? そして今日もいっぱい、気持ちよくなろ?」
勝手にエーヴァの下着まで持ち出して、エーヴァの胸を当て擦るアンネの態度に、ラーシュは怒りでどうにかなりそうだった。
しかしアンネからエーヴァのブラジャーを奪うと、運命の番の匂いとアンネの体臭に混ざるフェロモンによって、ラーシュの意識が混濁していく。
そしてまた、アンネを精液だらけにしないと、気が済まない病に侵される。
アンネの言う通り、豊かな乳房に顔を埋め、陥没乳首を涎でベトベトにしながら、必死に腰をふるう獣になるラーシュ。
エーヴァの物を引き合いに出すと、ラーシュが怒りで興奮すると学んだアンネは、それからもたびたびラーシュを煽った。
「ラーシュ、この野暮ったいスーツ、どこに着ていく用? 私には全然似合わないね。でもこうしたら、どう? 興奮しない? 真面目な小学校の先生がエロいの、反則でしょ?」
エーヴァの通勤着だった紺色タイトスカートに、わざとお尻の部分を破れさせた薄手の黒色ストッキングを履いて、アンネが股座を見せつけてくる。
挑発されたラーシュは、ずっと後背位でストッキングの破れ目からアンネを犯し続け、しまいには精液でぐしょぐしょになったタイトスカートすら破ってしまった。
ラーシュは行為の後、己の愚昧さに頭を抱えた。
エーヴァと築いた愛の巣に、アンネを連れ込んだのはラーシュだ。
それでも、エーヴァの領域をこれ以上、土足で踏み荒らして欲しくなかった。
ラーシュはアンネに金を渡し、せめて自分の服を買うように言った。
エーヴァとの結婚資金を貯めていたクッキー缶からは、どんどん金がなくなっていく。
アンネを抱いている期間は仕事に就けず、たまの日雇いでしかラーシュは稼げない。
そしてアンネは勤めていたパン屋を辞め、常に家にいてラーシュを誘惑する。
ラーシュは、うなじを噛めと急かすアンネの言うことを、素直に聞けなかった。
運命の番とは、強い子を残したい獣の本能の権化であるが、ラーシュはそれに嫌悪しか感じなかったからだ。
それでも体は抗えず、狂ったようにアンネを求め、その腹に子種をまき散らす。
アンネが妊娠しないのは、隠れて避妊薬を飲んでいるせいだった。
そうでなければ、発情期のアンネがあれだけ性交していて、孕まないはずがない。
アンネは番との間に生まれる、強い子を望んでいるのだ。
ラーシュとの子が欲しいわけではない。
◇◆◇
日雇いの仕事帰りに、ラーシュは小学校へ向かう。
ラーシュの足で歩いて、20分ほどかかる距離だ。
エーヴァはいつも通勤に、小学校近くに停まる民営のバスを利用していた。
裏通りを経由して走る、小さな黄色いバスだ。
だから小学校からそのバス停へ続く道を見張っていれば、エーヴァに会えるのではないかと思った。
いや、正確には、ラーシュはエーヴァに顔を見せるつもりはない。
あわせる顔など、ないと分かっている。
ただ、エーヴァが生きているのを、この目で確認したかった。
そして、できることなら、エーヴァの現在の住処をつきとめたかった。
そんな思いで、ここのところずっと、仕事帰りに小学校へ通い詰めている。
だが、なかなかエーヴァの帰宅時間と被らないのか、会えない日が続く。
今日も日が落ちて、しばらく経った。
そろそろ帰らないと、何かしているのではないかと、アンネに勘繰られる。
アンネは機嫌を損ねると、ラーシュが大切にしているものを目ざとく見つけて、偶然を装っては台無しにする。
以前帰るのが遅れたときは、同棲の記念にエーヴァと一緒に選んだ淡い黄色のカーテンを破られ、いつの間にか捨てられていた。
あのアパートは、エーヴァを傷つけた罪の場所だが、エーヴァとの思い出が残る場所でもある。
ラーシュは踵を返し、やや早足で家路を急いだ。
しかし運命のいたずらか、しばらくラーシュが歩いていると、すぐ横の車道を緑色の大型バスが通り過ぎた。
その一瞬で、ラーシュはバスの車内に、エーヴァの後ろ姿を見つけた。
白と茶色のまだらな髪色は、この街では珍しい。
(あれは、エーヴァだ――!)
思わずラーシュはバスを追い、走り出す。
どんどん離れていくバスに、せめて行先だけでも見えないかと眼を凝らすと、百貨店前という文字が読めた。
(百貨店前? あのロータリーのある、大きなバス停? 今、エーヴァはあの辺りに住んでいるのか?)
それはいつも、エーヴァが乗っていた方面のバスではない。
だから待ち伏せるラーシュと、これまですれ違っていたのだ。
ハアハアと上がる息をそのままに、ラーシュは歩道に立ち尽くす。
(ようやく……エーヴァを見つけた)
後ろ姿だったが、三か月ぶりのエーヴァだ。
その収穫の大きさに、ラーシュの眦には歓喜の涙が浮かんだ。
◇◆◇
それからラーシュは、仕事帰りに百貨店前の表通りを歩くようにした。
かなり遠回りになるので、日雇いの仕事は早く上がらせてもらっている。
そうすると収入は減るのだが、エーヴァを探すにはこれしかない。
上長たちは、ラーシュが運命の番と離れたくなくて早退をしていると思っているが、もちろんラーシュはそんなことは知らなかった。
休日はアンネの束縛が激しく、ラーシュが自由に行動できる時間が少ない。
なんとかエーヴァを見つけたいラーシュの、苦肉の策だった。
百貨店前行きのバスが停まる、大きなバス停のロータリーを中心に、歩く人を見回しながらラーシュはさまよう。
群衆の中に、最愛の恋人の姿を求めて。
これから夏が来れば、エーヴァの角は落ち、生え替わりと共に発情期を迎える。
いつもは誘ってくることがまれなエーヴァが、この時期だけはとても甘えてくれるのが嬉しくて、ラーシュは有休を取ってまでエーヴァを抱いていた。
結婚をしたら、いつかは二人の間に子どもが欲しいと思っていた。
子どもが出来たら里帰りをして、お互いの両親に孫を見せに行くのもいい。
ラーシュはエーヴァに求婚している間、ずっとっそんな妄想をしていた。
二人の幸せな未来を、信じて疑っていなかった。
きっとエーヴァも同じ気持ちだったはずだ。
ラーシュは下唇を噛み、泣きそうになるのを堪える。
自分に泣く権利なんてない。
自分が壊した幸せだ。
涙の膜が張る灰色のラーシュの瞳に、夕闇の雑踏が移るが、そこに愛しいエーヴァはいなかった。
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