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私は今が幸せなんだ
「ままぁ~といれ~」
「はいはい」
ツインテールを振り乱しトイレへと走る娘の後を追いながら、頭の中で今日一日のやるべきことを必死で組み立てる。
(今日は帰りにスーパーに寄らなくちゃ)
「まな、今日もかわいい?」
娘がキラキラした目で、私をのぞき込むように見る。
「うん、とってもかわいい」
そう返しながら、最近私によく似てきたと夫からよく言われることを思い出し、嬉しさと戸惑いが混ぜこぜになりながら、娘の手を引いた。
娘のまなが通う保育園は、家から車で10分足らず。
都心から離れた郊外に家を買ったことで、我が家は完全に共働き世帯となった。
だが、子育てと仕事の両立は容易ではない。
朝、グズグズするまなにご飯を食べさせ、時計とにらめっこしながら身支度を済ませて慌ただしく家を出る毎日だ。
もちろん自分のことに時間をかける余裕はない。
その昔、髪型だけで2時間かけてセットしていたあの頃が嘘のようだ。
化粧水と乳液を叩き込んだ肌に日焼け止めを塗り広げ、伸ばしっぱなしの髪を後ろでまとめた。
ちらほら出てきた白髪が鏡に映る度、憂鬱な気持ちになるのはもう諦めた。
会社の作業着に身を包み、自転車の後ろにまなを乗せる。
最近になってずっしりと重くなってきた彼女を抱き上げながら、そういえば今年に入って、まだ一度も家族旅行をしていないことを思い出した。
(今年の連休も、パパの実家と姉ちゃん家族のところに遊びに行かせてもらう感じかな…)
諦めにも似た選択肢を頭に思い描きながら、私は一心不乱にペダルをこぎ続けた。
「おはようございます」
「は~い、おはようさん」
「株式会社セーブス」は消防設備や電気設備の工事や点検保守を手がけている会社。
私の主な仕事は消防設備点検といって、各事業所や施設等を回って消火器や火災報知器等を点検して作動するのかを調べることだ。
最初は緊張したけれど、今では事業所の人たちとも談笑するだけの余裕も生まれた。
そうして私は仕事の幅を広げたいと自ら志願し、設備や電気工事に関する資格を取った。
今は「消防設備士甲種4類」取得に向け、仕事の傍ら勉強に励んでいる。
業種柄社員の半分を中年のおじさんが占め、中途入社が多い。
仕事は厳しいがプロとしての仕事さばきにはいつも惚れ惚れとしてしまうほどで、皆には尊敬の念しかない。
しかも我が家の事情もある程度理解してくれていることもあって時間の融通もきき、まなの急な体調不良の時も休みやすいのはありがたい一方、申し訳なさもある。
だが皆は嫌な顔を見せることなく、私のことを娘のように接してくれる上まなのことも気に掛けてくれることが本当にありがたかった。
「はぁ~疲れた~」
朝から動き詰めの腰は、出勤間もないにも関わらず重い。
私は肩を回しながら、パソコンの電源を入れた。
仕事自体は順風満帆の一方、家では相変わらずワンオペが当たり前となっており、夫の仕事柄仕方ないとは思いつつ常に疲弊感を抱えていた。
だがまなが産まれた頃はコロナ禍だったこともあって、おむつ替えや寝かしつけを積極的にしてくれたし、家事なども率先してやってくれていた。
今でも貴重な仕事休みには息抜きに出かけておいでとまなの世話を買って出てくれ、この間は久しぶりに「ミス・サイゴン」を観に行った。
昔のような一人時間がこれほどまでに貴重だとは、昔の自分からは想像できなかった。
それでも、このなんてことないありふれた家庭の中で子育てをし、失ってしまった感情を少しずつ取り戻そうとしている今の方が、一番幸せだと言える。
時折テレビに映るかつてのメンバーの姿を見ると、胸の内に暗い影が落ちてくるものの、今は生きる世界が違うのだと自分に言い聞かせながら、今日回るルートの確認を始めた。
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