7th Sign : 嫉妬のオブジェクト

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「世の中には、2種類の人間が居るよ。人権を手に生を受けた選ばれし者と、ただ欲しがりながら力尽きて息絶えるそうでない者のどちらかの」  僕の父は大手企業のサラリーマン。正確には、そうだった。受験に就活出世に業績、人権を求め出来の良い歯車を目指しながら回り続け、擦り減りながらそしてとうとう擦り切れた。  一流大から一流企業へ就職し、取引先との接待で靴に酒を注いで手渡されればそれを笑顔で呑み干した。出世のために、イベリコ豚のように育った上司の娘と結婚した。  70過ぎで重役に潰れ退職し、その後間もなく病に倒れ消し炭となった人生だった。 「僕は父に感謝してるけど僕は父を軽蔑してるよ」  父はそんな人生を、自ら『勝ち組』と呼んでいた。強がりではなく勝ち誇りきった表情で。おだてられて、持ち上げられて、洗脳されて人一倍世の中にいいように使われただけの人生を。  勝ったの負けたの言ってるのって、実はそれ自体が負けなんじゃないか。本物の『勝ち組』は僕みたいな人種だろう。摩耗しながら負けるリスクを冒しながら勝つまでもなく、恵まれた。  財を成し、無償の愛を注ぐ母を僕に提供したその頑張りに僕は感謝はするが、ただねずみ車のように回る歯車で終わっただけの人生をけして見習いたくない。  お父さん、世の中はトーナメントの『勝ち』と『負け』では無いんだよ。むしろ、『戦いたがり』と『負け残り』が参加する逆トーナメント。『勝ち抜け』こそが真の勝者なんだよね。 「優人、晩ごはん届いたわよ」  物心がついた頃のある日、僕は両親に提案した。 「こんなもの食べるより、外で食べたほうが美味しくて身体に良いよ」  母はその場で泣き崩れた。父は苦虫を噛み潰した顔をしていたが、否定の言葉を出せなかった。温室育ちの母親が、結婚してから自炊を覚えようと必死になって頑張ってたと言っていたけど、その才は全くと言って過言でないほど無かったようだね。 「優人には、優しく優れた人に育って欲しくてその名をつけたのよ」  望んだとおりに育ったよね? 父さんが稼いでくれているから母さんが無理しなくても良かったんだよ。それを諭せてそこに気付ける僕は優しく優れてるんだよ。僕は母が自室のまえから立ち去ったあと、デリバリーの日替わり定食を自室に持ちこんでから食べた。  夕食を終え、僕はパソコンを立ち上げた。今日はまず、掲示板に目を通した。10年ぶりに続編の出たメカアクションゲームが話題だ。噂では、これはいわゆるなかなかの『死にゲー』らしい。ネット記事に目を通すと阿鼻叫喚四苦八苦の声が目立つ。 「いまの世の中、森羅万象その全てに競争が存在する」  情報化社会の弊害だよね。ネットワークが普及した今、自他の全てが可視化されてる。それは対戦ゲームの順位や格付けのみならず、ひとり用ゲームの攻略の深度すらその体たらくになり果てた。 「全く以て馬鹿馬鹿しい」  そもそもだよ。娯楽とは、日々の競争の疲れを癒やす息抜きであって然るべきじゃない? それをなぜ、他人と競い合うの。張り合うの。そんなもの、勉強でも仕事でも競技ですら無い娯楽にまで持ち込むなと思うけどね。 「昔と比べ、ここも実につまらなくなった」  嘗て名前が違った頃、ここは自由な場所だった。身体も心も裸でいられた。顔が悪ければどうだと言うの、腹が出てればどうだと言うの、風呂をサボればどうだと言うの。そんなもの、そこではただ凛として誇り高く(図太く)ありさえすればよかったのに。  だが今は、嘗ての姿が消え失せた。皆が皆、リスクに臆し権力に怯えそして体裁を取り繕う。そんなもの、玄関の外の世界だけで十分だろうと思うんだよね。  誹謗中傷で首を吊ったからどうだと言うの、そんなものは目立ちたがりの自業自得の末路だよね。  私腹を肥やした大企業様が『風評被害』に名誉毀損や金銭被害を訴える。ケツの穴が小さいよ。そんなもので潰れる会社、たまたまそれが理由となっただけだろうに、言論の自由を奪おうなどと言語道断も甚だしいよ。 「体裁を整え、態度を正し発言の機知に気を配る。まるで容姿を整え、姿勢を正し言動や所作に気を配る玄関の外の世界のように。なぜわざわざ匿名の場所でそんなことをせねばならない?」  全く以て理解に困る。それが嫌だからわざわざ玄関の外に出るような真似はしないんだろう。そんなただ立って歩いているだけで脳を含めた身体の全てが疲弊する場所、下賤で低能な『戦いたがり』のみが無防備に出歩き狙われ足元を掬われていればいいんだよ。  にも関わらず、栄華を極めた優雅で高貴な掲示板は下民共に土足でずかずか侵略された。野蛮人共の暴力のせいで嘗ての姿が消え失せた。 「これでは一体、何のために何も名乗らずに言葉を交わせる場所があるかがわからない」  僕はタブをそっと閉じ、SNSをブラウザで開いた。 「世の女性たちの人権と、女性たちの暮らしやすい世の中の確保を!」  昨今勢いが翳りだしたが、それでもまだまだ声は大きい。『彼女』たちは同じに見えて、実のところ大きく3つの種別に分類される。  まずひとつは、男性にアレルギー反応を示す女性たち。過去自分自身がトラウマを抱えることとなるショッキングな仕打ちを受けた、知人がそのような仕打ちを受けた、はたまた世の中にはそのような出来事が実例としてある情報を得た等何らかの理由で世の男性全てを害獣のような目で見ている人たち。  彼女たちに例外なく言えることとして、頭が弱い。正確には、物事の認識に過剰なバイアスがかかっている。トラウマがバイアスを生むのかバイアスがトラウマを強めるのかはわからないが、森羅万象を正しく認識できない奴はバカだよ。だから後述する2つの種別にいいように利用される。  ふたつめは、そのムーブメントに乗じて女性であることが特権階級となるように世の中を改変しようとする勢力。尖兵として自ら動くバカな連中が居る以上、こういう奴らは必ず出てくる。  けど彼女らは、頭がいいつもりのバカだよ。個人の限界の認識が甘い。その証拠に、彼女らには本名と思わしきユーザー名と本人の顔写真と思わしきアイコンで活動する者も少なくない。どうするの? このムーブメントも雲行きが怪しくなってきたよ? 来る日が来たら、『黒幕』としてその責任を問われるよ?  そして第3の種別、これがいちばんズル賢い。上記の連中の『活動』は、世の男性たちの女性への心象をどんどんと悪くしていっている。そしてここに分類される連中は、それを快く思っている。だからその界隈に、性犯罪の事件や男性優遇の事例などを次々と提供しひたすら声を募り続ける。 「この日本の全国民が恋愛も性行為も幸せな家庭の構築もできなくなってしまえばいい」  それがこいつらの行動理念。いわゆる毒女たちにとって、性犯罪の事例とは男性側が思わず犯罪に手を染めてしまうほどの性的魅力を持った女性がこの世に存在することの裏付けだった。それは当初彼女らにとって不愉快なものではあったものの、そのうち彼女たちは気がついた。 「生まれ持ってしまった自分の顔が整ってたり胸が大きかったりが理由で性欲の対象となることを不快に思っている女性は少なくない」  であれば、このムーブメントを利用すれば世の女性たちは性的魅力を持ちたくなくなる。見た目のケアも花嫁修業もしなくなる。非モテこそが正義となる自分たちの住みやすい世の中へと、流れのなかで改変される。  また、世の非モテ男性たちも気がついた。 「男性から女性への接触が極めて困難な世の中になってしまえば、たとえモテようと女性と関係を築けない」  だから彼らは、彼らなりのやり方で活動する女性たちを支援した。女性を擁護する男性のつもり、性的マイノリティのつもり、はたまた『ネカマ』となって女性のフリをしたりして。  そうすると、モテる資質もモテる努力も無駄なモノに、不要なモノに成り果てる。少子化なんて生ぬるい、無子化社会こそ、その連中の理想像。 「なかなか面白い『遊び』をやっているじゃない」  SNSは、カードゲームだと思ってる。ユーザー名とプロフィール欄に強いカードでデッキを組んで、相互フォローやリストを駆使して手札を増やす。そういうデッキを複数作ってその手札から、対象や戦況に応じてドローしていく。  例えば今なら、できるだけ『弱い』フリをするのが『強い』よね。みんな守ってくれるもん。  だから僕は、プロフィール欄に発達障がいや精神疾患を羅列して、その上で性別は女である設定を『匂わせ』ている。『匂わせ』るのがミソなんだよ。勝手にいろいろ勘ぐって、そして勝手に気を遣いだす。  もしそこに噛みつかれることがあれば、『本物』たちを焚きつける。そうすると、相手を勝手に燃やしてくれる。 「本名と実体験と本音でSNSしてる奴らは、スターターパックそのままで切ること自体がハイリスクなカード使ってプレイしてるバカだよ。リサーチ力と想像力と表現力で創りあげた、演技のカードでプレイするのが最適解」  で、何をしてるかって、別に大したことじゃないよ。『活動家』の目に留まるように有名人の幸せなニュースやミスコンとかで女性が大きな名誉を獲った記事とかを流すだけ。女性の活躍と幸福に喜んでいるフリをして。  SNSって面白いよね。どんな人にもアンチが居て、そのアンチに共感の声を出す人が居て。それから少し間をおいてから活動家界隈を覗くと、その界隈のインフルエンサーが明らかにその記事の影響を受けた内容を投稿してるんだよ。  頑張れ頑張れ、それ以上関わりはしないけどその頑張りの空回りは、傍から見てて面白いよ。 「それにしても、皆よく好き好んで自ら進んで苦しんだりできるよね。『解脱』が足りないよ」  僕はSNSに満足すると、パソコンをスリープ状態にして閉じた。僕が悟りを開いたのは、中学生のころだった。両親におだてられて乗せられて受験してまで入ってしまった私立中学、そこには僕のような富裕層の御曹司が集まっていた。  違和感に気付いたのは、一学期の定期考査のときだった。クラスの奴らと話してて、みんな勉強する理由の話ばっかりしてた。まるで元テニス世界ランカーのタレントのような暑苦しさで。 「彼らも大変なんだろうな。学校なのに、家でのパフォーマンスが抜けてない」  僕はそう思ってた。皆そこまでバカじゃないと、信じてた。信じたかった。  良い家柄に生まれたんだ、僕たちは。だからあとは勉強する体裁を取って学生を過ごし、縁故採用で一流企業に入社して定年まで仕事してるフリしていればあとはたんまり貰った退職金で老後を明るく過ごしていけるイージーモードの人生なんだよ。  歯車になる訓練なんか、平民共に任せておけばそれでいい。 「ダメだ。こいつらはもう、手遅れだ」  そして解答用紙が返却されると、皆それぞれに一喜一憂の声を上げた。授業中はまだそのパフォーマンスも理解が出来た。けど、休み時間に仲間同士で真剣な顔で間違えた場所を聞き合ってて、カルト教団の集会の場に居るような気分になった。 「真に議題に挙げるべきは、平均点の高騰だろ。極論すれば、皆名前のみを解答用紙に記入すれば皆偏差値50なんだ」  僕はその次の日から学校に行かなくなった。『解脱』した。僕は勝ち抜け組のサロンに行けると思って頑張って受験を突破したのに、あそこは生徒を歯車に洗脳する恐ろしい場所だったんだよ。 「早めに気づけたことだけは、幸運だったのかもしれない」  洗脳と選別を繰り返しながら擦り切れるまで回る歯車を作る工場、それが学校。あの学校が生産能力の高い工場だったおかげで、早い段階で玄関の外の資本主義強制参加の俗世から僕が解脱できたのは、幸運だったと僕は思うね。  妬ましいかもしれないけれど、これが勝ち抜けた者の開いた悟り。 「優人、降りてらっしゃい」  まだ陽の位置が高い昼下がり、僕は母に呼ばれて眠い目をこすり階段を下りた。見ると、玄関から冷蔵庫を持った業者が上がってきていた。 「優人も、手伝ったら?」 「お母さん、こういうのは資本主義社会の奴隷たち(プロ)の仕事。そのぶんもお金払ってるでしょ?」  僕は優しく母に諭した。 「奥さん、構いませんよ。使われていたほうは引き取ってよろしかったですよね?」  業者は手際よく冷蔵庫を設置すると、古くなったほうを持って帰っていった。 「優人、お父さんが生きてた頃言ってなかった? 『世の中の役に立つ立派な人になりなさい』って」  冗談じゃない。父みたいな擦り切れるまで回る歯車、成り下がったりは絶対できない。 「あと、せっかく下りてきたんだからお風呂に入りなさい。臭い、すごいわよ」  臭うのは階段を下りさせて汗が出たからだよね。動悸が激しい、息が苦しい。 「お母さん、エレベーター付けてもらってよ」 「付けないわよ。お父さんが遺してくれたお金をそんな粗末に使えるわけないでしょ? それに、甘えるのもいい加減にしなさい。お母さんだって、あと何年生きてるかわからないんだから、ひとりになったとき少しでも自分でどうにかできないと生きていけないじゃないの」  少し、発言に注意しようか。正論がどれだけひとを傷つけるかをもっと考えたほうがいい。配慮に欠けるよ。 「お母さん、それは政治家にどうにかしてもらってよ! 政治家の仕事って、国民を幸せにすることだよね?」 「寝ぼけたこと言ってないの! 人間はね、なるべく自分のことは自分でどうにかしながら自分じゃどうにもできないことだけ他人に頼って他人を頼りにするために常日頃から他人の役に立って生きていくのよ。それに、他人に頼りっきりじゃないと生きていけないだなんて、自分でも情けないと思わないの?」  寝ぼけてなんか無い。僕は大真面目だよ。おい、政治家ども。善良な国民がこれだけの負担を強いられてるぞ。会議中に居眠りなんかしてないで、少しは国をまともにしろよ。 「お母さん! 僕は、酒も飲まず、煙草も吸わず、ギャンブルにも手を出さないすごいいい子なんだよ! これ以上、何を望むの?」 「それとこれとは話が別でしょ! いいから、風呂に入りなさい!」  話を棚に上げやがった。親権者サマは、調子がいいよ。 「わかった。……って、お母さん! お湯入ってないよ!」  年季が入った浴槽は、お湯が張られていなかった。 「いつ入るかもわからないのに、用意なんてできるわけないでしょ? シャワーにしなさい!」  水栓を開けると蛇口から水が流れ出た。ハンドルを目を凝らしながらよく見ると、見つけた絵柄がシャワーの操作を思い出させた。頭から被ると冷水だった。 「お母さん! このシャワー壊れてる! お湯が出ない!!」  母が浴室に入ってきた。呆れた顔で、操作パネルのスイッチを入れた。
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