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「さむっ」
潮風が音を立てて、夜を冷ましていた。
僕は風にあおられたコートをもう一度しっかりと羽織り直す。暴れるマフラーが身体を叩くが気にしないことにした。
肘をのせた欄干はかなり冷たい。それでも離れる気は起きず、僕はじっと冷たい金属の柵にもたれかかる。
周りには誰もいない。そりゃそうだ。
こんな真冬の夜に海際を散歩するなんて変人くらいだろう。これ以上は僕がかわいそうなのでやめておく。
「綺麗だなあ」
僕は曖昧な水平線を眺めながら呟く。夜空の真ん中には歪んだ形の月が輝き、周囲の星々を隠していた。名前のない月。
あれから二ヶ月、月の出た夜は毎日この場所を訪れていた。
しかし彼女は現れない。
どれだけ探しても彼女の姿はどこにもなく、僕は少しずつ形の変わる月を眺め続けるだけだった。
それでもまだ誰かにあの夜の出来事を話したことはない。
「誰が同じ人と長く一緒にいるタイプじゃないって?」
笑いがこぼれた。
ここ最近寝ても覚めても、僕はあの人のことばかり考えている。何度も何度も彼女との時間を反芻して、彼女の影を追いかけている。
これからも僕は彼女を探し続けるだろう。
たぶん、一生。
「……くそ」
唇の端から息が漏れる。それは苦笑にも嗚咽にも似ていた。
「あんなロマンチックに別れやがって」
首にぶらさげたヘッドホンを装着した。
電源を入れるとノイズが消え去り、人工の静寂に覆われる。
すると耳の奥に鼓動が響いた。
その振動は徐々に大きくなっていき、目を閉じればどくどくと波立つ自分の音に優しく包まれる。
そうして暗い波間をひとり漂っていると。
耳元にふと囁くような声が聞こえてくる気がした。
──私はここにいる、と。
(了)
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