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なだらかな上り坂を進んでいくと強い風が吹いた。前髪が瞼にかかって目を閉じる。
再び目を開けると橋の頂点に人影が見えた。
両肘を欄干にのせて、もたれかかるように海を眺めている。
さらに近づいていくと首にヘッドホンをかけた女性だとわかった。大学生か、もしかしたら社会人かもしれない。
「こんばんは」
黙ってすれ違おうとしたところで、女性はそう声をかけた。誰に、といっても僕の他に誰もいない。
おそるおそる「あ、こんばんは」と返す。
「月が綺麗だね」
「へ? えっと」
「ああいや違うよ。告白とかじゃなくて」
「あ、はい、わかります」
「だよねえ。だって私まだキミの顔見てもないし。一目惚れどころか零目惚れだ」
海を眺めたままの彼女は楽しそうに笑った。
まさかこんな普通に話しかけてくるとは思わなかったので狼狽える。
それに比べ、彼女はなんとも思っていなさそうだった。
自分から話しかけてきたくせに全く関心がなさそうだ。自分の後ろを通るなら鳩にだって話しかけたかもしれない。
そう思うと緊張が少しほぐれた。
「まあでも本当に今日は月綺麗ですよね」
「おや、意外と積極的だな。将来有望だ」
「見たままを言っただけです」
「わかってるって。にしても困ったもんだ」
月明かりを真正面から受け止める彼女は口角を上げる。
形のいい唇が三日月のようにしなった。
「あの文豪のせいで異性に月の美しさを伝えにくくなったよね」
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