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ミカさんの言っていることもわからなくはなかった。
別れることが決まっている相手なら何でも言える。確かにそうだ。気を遣う必要がない。
話題をころころ変えたっていいし、多少失礼なことを言っても構わない。
相手がどう思おうが自分がどう思われようが関係ない。ここで僕たちは別れて、もう二度と会わないのだから。
ただただ気楽で、楽しくて。
──でも、薄っぺらい。
「僕ね、どちらかというと朝型なんですよ」
「え、うそ」
「ほんとです。早朝ランニングとかするタイプ」
「めっちゃ健康的じゃん」
「ランニング仲間もいますよ。おじさんが多いですけど」
「どうりで年上に慣れてるわけだ」
「でもみんな最初から仲間ってわけじゃなかった」
ミカさんがこちらを向く。綺麗な瞳を見つめ返す。
「毎朝同じ時間、同じコースを走ってるうちにだんだん顔を覚えてきて、一言も話したこともないのに顔見知りみたいな気分になってきて、ある日『おはようございます』ってつい口に出しちゃって、それからやっといろんなことを話すようになったんです」
どうやったら伝わるか必死に考えながら言葉を選ぶ。
伝えたい。同じ人と一緒にいるのもなかなか悪くないと思ってほしい。
「今日しか会わない人になら赤裸々な話やクサい台詞も言えるって、それ今日会ったばっかの人に話すネタがないだけでしょ」
彼女は僕の名前を知らない。
僕の年齢も、得意教科も、好きな小説家も、何も知らない。知ってるのは僕が朝型ってことくらいだ。
でも明日の彼女は、僕の好きな小説家を知ってるかもしれない。
そしてそれは僕も同じだった。
「ずっと一緒にいればいるほど、話したいことがどんどん出てくるんです。伝えたいことだって増えてく。だからまた会いたくなるんだ」
明日もミカさんに会いたい。
欲を言えば、明後日も明々後日もずっと。
今日だけなんて短すぎる。まだ何も知らないのに。知らないから。知りたいから。
また違う夜の下でも、僕は彼女とこんな風に話がしたいんだ。
でもそれをそのまま伝えてもたぶん響かないだろう。
だから僕は月を仰ぐ。
「明日もきっと月が綺麗ですよ」
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