宅飲みと、それから

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宅飲みと、それから

 忘れたことにしていたのに、上里サンの方から声をかけられた。  仕事終わりの間際、明日空いてない、と聞かれたのはちょうど一日前。代休があるからどうか、と言われた。当然オレは仕事である。  が、どうせ飲むなら夜だろうと、上里サンの都合があうなら、と二つ返事で返した。  食べたいものがあったら持ってきて、と言われたけれど、何がどう合うのかわからなかったので、駅併設のファストフードでポテトだけ買って持って行った。  ほかほかなら、外れないはず。よく居酒屋でもあるし、と思ったがワインに合うかどうかもわからない。失敗してもポテトだ。許されるとは思っている。  上里サンの家最寄り駅は会社を挟んで自分の家とちょうど反対方向だったらしい。通りで普段上里サンの姿を見ないわけだとちょっと安心した。  帰宅を考えたときに、歩くには若干遠いが、日付が変わらなければないがしかの手段で帰宅することは可能だろう。  夕暮れ時を少し過ぎて、オレは帰路とは言えない方向に歩いて行く。  マップアプリと、上里サン自身が伝えてくれた目印を探しながら、歩く。ちょっとした路地を通るので、そこだけは気をつけて、と念を入れられた。確かに、言われなければスルーしてしまったことだろう。  アプリにもその道の指示はなかった。  おかげでショートカットも出来て、アプリに指示された時間よりわずかに早く着くことが出来た。  上里サンに、一応、感謝はしたいと思う。  個人向けにしては少々広めなマンションの一角に、上里サンの部屋はあった。  言われた通りに部屋番号を押して、どうぞ、の声でオートロックの内側に入った。カメラ付きのオートロック。慣れないなと思いながらエレベーターに乗り込み、指定された階を押す。がさ、とポテトが存在感をあらわにした。 「うわ」  エレベーターが目的階につき、扉が開くと、上里サンが目の前にいた。  いつもセットしている前髪が下がっている。職場で見慣れた格好よりは若干ラフにしているようだが、オレは動揺して動けずにいた。 「そんな驚かないでよ。ここにいたら、おかしい?」 「いや……別に」 「うん、じゃあこの先、角がわかりにくいから、来て」 「っす」  どうやら迷子防止だったらしい。息をついて上里サンの後ろを歩く。たいした距離じゃないのにほかのひともよく迷うんだ、と言っていた。  言っていた、気がした。  かちゃりと自然な音がして、上里サンの部屋に入る。  見た目以上に、室内はあっさりしていたものだった。  こだわりらしいこだわりが、どうやらグリーン系統の色合いで整えられているということだろうか。濃いめの茶色の家具に、やさしい緑。  ローテーブルの上にはすでにある程度の食事の準備がされていた。座るべき場所に、緑と、焦げ茶色の平たいクッションもある。そのまま部屋に入ろうとしたが、手を洗った方がいいと言われてポテトは没収された。    流し台もきれいなもので、水垢ひとつなかった。  言われるがまま、手を洗い、手元に置かれていたハンドタオルで手を拭いた。ちら、と鏡で見た自分の顔は何だか緊張していた。  仕方がない。  他人の家に上がり込んでいるのだ。  そう、言い聞かせて部屋に戻った。先に声をかけてきたのは上里サンの方だった。 「ポテトありがとう。まあ適当に座って」 「ありがとうございます」 「緊張してる?」 「してますよ、そりゃ」 「まあ、お気遣いなく」  ――気を遣うに決まってるでしょうが。  とりあえず座ってから文句を言おうか、と思ったが、オレは気付いてしまった。  机上のグラスは確実に、ワインを飲むためのもの。  それ以外に、水分をとる器はない。 「……」 「あれ? いいよ、座りなよ」 「あ、ハイ……」  座りたくない。  が、逃げ場もない。  諦めて膝を折れば、向かい側に上里サンが座る。  手には、ワインボトル。  わざわざ、赤と白。  目線の高さにあるそれらを認識することを、自分は、嫌がっているらしい。  浮かんだ文句は、ローテーブルの上に置かれたグラスによって、打ち消されたのだった。
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