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「うわー、クリスマスライブより客いるじゃん。緊張するわこんなん」  舞台袖。言葉とは裏腹に、嬉しそうに陸が言う。  俺は一つ大きく息を吐く。が、手足は小刻みに震えたままだ。 「大丈夫」  陸が俺の肩に手を置いた。 「元の声には戻らなかったけど、今のお前の歌なら、響くさ」  俺は頷く。結局俺は、今の声のまま上手く歌える方法を模索することにし、この二ヶ月特訓してきた。たかが二ヶ月だが歌と真剣に向き合ってきた自負が、俺の身体から震えをゆっくりと取り去った。  三度目のステージ上からの景色。ほぼ全校集会みたいな人だかりを眺めながら、きっとこのどこかに琴音もいるのだろうと思う。  意外なほどに冷静だ。またガッカリされるんじゃないかと不安もあるけれど、今の俺にはこれだけの人前に立って歌う資格がある。と、信じる。  陸が三年生に向けての祝辞を述べ、早速一曲目のイントロへと移る。  相変わらず安定感のあるリズム隊がサウンドという名の風を吹かせ、さらに陸の奏でるメロディーが加わりその唸りを強く激しくする。  あとは俺の歌がその風に乗るだけでいい。静かに呼吸を整え、乗り出すタイミングを見計らっていた、その時だった。 「響ー! 頑張れー!」  風を断ち切り、凛とした声が俺の名を呼んだ。彼女も来ているだろうという希望的観測が、実感を伴った真実へと変わる。  瞬間、これまで積み上げてきた自信や覚悟、その他諸々が全て崩壊し、頭が真っ白になった。  いつもそうだ。ガキの頃からずっと、俺は失敗ばかり繰り返してきた。  彼女の前でだけは緊張せずにいられないのだ。  陸上も。バスケも。サッカーも。吹奏楽も。テニスも。  琴音が見ている前では、カッコ悪いところを見せたくないという感情が冷静な思考の邪魔をし、結果、大失敗に終わってしまう。  いつも、今回も。  俺は何も変わっていない。でも嫌だ。嫌だ! 今日だけは失敗したくない! あぁでも、そう思うだけで……  無慈悲にもイントロは終わりへと向かう。  もうマイクを握る手の感覚が無い。口が渇き、汗が吹き出し、足元から震えが迫る。  震えはふくらはぎから太ももを伝い、腰を駆け上がり、肩を強張らせ、そしてとうとう、喉奥にまで到達した。  もうダメだ。絶望という無風に煽られながら、喘ぐみたいに息を吸う。喉を支える筋肉がピクピクと痙攣し、吐き出された第一声は……ゆらいでいた。  会場全体が息を呑むのが分かる。刹那、あんなに探しても見つからなかった1/fゆらぎの正体に、俺は唐突に思い至った。  追いコンライブ。その日、体育館は文化祭の時以上の大歓声に包まれた。
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