1. 再会は必然だった

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1. 再会は必然だった

 私の朝は早い。  まだ夜が明けきらない時間に起きて店で出す料理の仕込みを始める。  ここは関東近郊の小さな漁師町にある”岬食堂”。カウンター五席。四人掛けのテーブルがふたつあるだけのこじんまりとした店だ。 店主は私、小森まひる二十九歳。出身は北関東の山間部。高校卒業後に上京し東京に住んでいた。しかし四年ほど前にとある事情でここに引っ越してきた。 サーフショップだった建物を格安で購入し店舗兼住宅に改装。地元の漁港関係者やサーファーといった客層に合わせて、主に男性に好まれるメニューを出す食堂としてオープンさせた。 営業時間は7時から15時。これもこの地域に合わせての事。  朝日が昇るころガラッと大きな音を立てて店の戸が開く。 「おはよう、まひるいる?」  塩の香り共に顔を出したのは、漁師のコウ君だ。海の男らしく逞しい腕と、日に焼けた肌が印象的な好青年。 「おはよう、コウくん」  私が厨房から顔を出すと、コウ君は店の中へと入ってくる。 「これ今日の分な」  コウ君は発砲スチロールの箱をカウンターに置いた。 店で使う魚はすべて彼から購入している。 以前は市場まで買い出しに行っていたのだけれど、たまたま私を見かけたコウ君のお母さんが『あんた、そんな小さな赤ん坊連れて自電車できたの?』と心配してくれて、コウ君を呼びつけてくるまで送るように言いつけたのだ。  私には三歳になる男の子がいる。 名前は朝飛(あさひ)という。私に似ず、かしこくてとてもいい子だ。父親はいない。二十五歳の時にひとりで産んで育てている。 「朝飛は?」 「まだ寝てるよ。はいこれ。いつもありがとう」  私はレジを開けて三千円を渡す。すると彼は「毎度どうも」と言って店を出ていった。きっと海へ行くのだろう。 夜中から漁に出て市場を手伝い、趣味のサーフィンをしてから眠るのが日課だと言っていたから。  コウ君が帰ると私は二階へと上がり、まだ寝息を立てている小さな肩をゆすった。 「おはよ、朝飛。起きて」  寝ぼけまなこの息子を抱き上げて布団から出すとパジャマを脱がせ服を着せる。本当は自分で着替えさせたりしてそれをじっくりと見守ってあげたいのだけれど、朝はどうしても時間がない。 店へ下り、朝飛をテーブル席に座らせるといそいでおにぎりを握りプレートにおかずをのせて目の前に置いた。  そうこうしているうちに店の外に客の姿が見えた。 「山下さんおはようございます。どうぞ~」  山下さんもコウ君とは違う船にのる漁師だ。 「おはよう。開店前に悪いね」 「いえいえ。いつもありがとうございます」  看板を出して客を迎え入れ、注文を受けた。 「おう、坊主! こっちで一緒に食べるか?」  小さく首を振る朝飛を見て山下さんは「フラれちまったな」と言って豪快に笑った。 彼に限らず店の常連客のほとんどが朝飛のことを気にかけてくれる。孫のようだといいながら面倒をみてくれるひともいる。 そうでなければひとりで店を切り盛りすることはできないだろう。 忙しい時は食器を下げてくれたり、洗い物までしてくれる。そんな客のために私は腕を振るうのだ。 店を持つ前、私は栄養士として大きな企業の社員食堂で働いていた。 短大生時代から飲食のアルバイトをしていたくらい接客も料理も大好きだったけれど、こんな形で店を持つのは想定外だった。 『五百万入っています』  二十四歳のクリスマスの夜にそう言って差し出された封筒を私は受け取ってしまった。 お金が欲しかったわけじゃない。私はただ、大切な人を守りたかっただけ。 選択は正しかったか?そう自問自答することは今でもある。 朝飛を父親のいない子のしてしまった負い目は感じているし、生活に不安がないわけじゃない。 でも、過去を悔やんでも無意味だ。 朝飛はどんどん成長していくし、私は老いていく。 過去に囚われていてはいけない。 「ママ」  朝飛の声にハッとして顔をあげた。 「どうしたの?」 「バス来た!」  八時に登園バスが店の前に停まった。 大好きな先生がお迎えにきたので朝飛は嬉々として乗っていった。 その背中を見て複雑な気持ちになる。どんどんと自分の手から離れていくことがうれしくもあり寂しくもある。  客足が落ち着き、ひと息つこうと思った十時過ぎ、店に一人の若い女性が入ってきた。 フードのついたスエットにデニムパンツというラフな格好だ。 「いらっしゃいませ」 「あのう。十二名なんですけど、入れますか?」  遠慮がちに言う彼女に私は笑顔で答える。 「大丈夫ですよ、どうぞ」 「ありがとうございます。すぐ戻ってきますね」  嬉しそうに出ていく彼女の背中を見送った。 それにしても十二名の団体客なんて珍しい。 私は外したばかりのエプロンを付け、キャップをかぶりなおした。 数分後。 戻ってきた彼女は入口に立ち後から店に入ってくる人たちをテキパキと座らせていく。 「おねえさん、おしぼりとお水は配りますよ。注文も私がまとめますね」  どこから取り出したのだろうか。彼女はメモ帳をペンを握っていた。 「お客さんにそんなことさせられませんよ」 「大丈夫です、慣れてますから。それにこんな大勢で押しかけてしまったので手伝わせてください」   彼女はそういってガッツポーズする。その笑顔は思いのほか頼もしい。 「……そうですか、じゃあお言葉に甘えてお願いしようかな」   調理場へと戻りカウンターの上に人数分のおしぼりとお茶を並べた。 その時、店に入ってきた女性に私は目を奪われる。 「ちょっと。本当にここしかなかったの?」  不機嫌そうな声をあげる。細身のパンツスーツを身にまとい、まとめ上げられた黒髪にシャネルのサングラスをかけた女性。 私はとっさに帽子を深くかぶりなおす。 「だから都内に戻りましょうって言ったのよ。あたしはこんな店で食べたくないわ」 「み、三田さん。声抑えてください」   彼女は慌ててその女性に駆け寄るがお構いなしだ。 三田志津香はそういう人間なのだと私は知っている。    モデルとして名を馳せて、実業家と結婚して引退。離婚後に芸能事務所を立ち上げ、多くの有名タレントを輩出中。現在四十九歳。 でもこの人がどうしてここにいるのだろう。  そこまで考えてドクンと心臓が波打った。 彼が女直々にマネジメントしているタレントは二人。 女優の白根万喜とモデルで俳優のユウヒ。 「いい店じゃないですか、志津香さん。俺、腹減って死にそうだからここで食べましょ」  穏やかな声でそう言って店の入り口に立つ三田さんの肩をたたいたのはユウヒだ。 帽子を目深にかぶりサングラスをしていてもその人と分かる。 それくらい私は、ユウヒのファンだった。  ――十年前。  短大に通うため上京してきた私は、新宿にあるイタリアンレストランでアルバイトをしていた。 そこで私はユウヒ――司馬雄飛と出会った。  雄飛はアイドルグループのメンバーとして活動していたようだったが、いわゆる“売れない”アイドルだったので、テレビにも出たことがない彼らを知る人は少なかった。  そのころの雄飛の月給は三万しかなく、生活のためいくつかのバイトを掛け持ちしながら友人宅を泊まり歩いていたそうだ。 苦しい生活。でも彼はいつもキラキラしていた。 180センチの長身に長い手足。 夜の闇のような漆黒の髪と意志の強さを感じる大きな目。低くて甘い声。不思議なくらい自信に満ち溢れていたて、だから私は彼に興味を持ったのだ。  同じ十九歳。それだけじゃなく、私も雄飛はとてもよく似ていた。 出身地が同じで、母子家庭。バイトばかりで東京の友達は少ない。 好きなアーティストが同じ。 目玉焼きは半熟。 コーヒよりも紅茶。 結婚したら子供は二人。 飼うなら猫よりも犬がいい。 それから年を取っても手をつないで歩きたい。  やがて私たちは生活費を浮かせるために同棲をはじめた。 光熱費節約のためにと一緒に風呂に入り、シングルベッドで身を寄せ合って眠った。 恋人同士というよりも、夢を叶えるための戦友。 そう呼ぶことの方がしっくりくるような関係性だったと思う。  私が短大を卒業し企業の栄養士として働き始めた頃、雄飛は事務所を移籍した。 社長である三田志津香が雄飛を気に入り引き抜いたそうだ。 それからというもの雄飛はCMやドラマの仕事が増えていき、映画で主演を務めるような人気俳優へと成長していった。  私は雄飛の活躍を喜んだ。 まるで自分のことのようにうれしくて誇らしいと思えた。彼が撮影やロケで家にいないことが増えても、テレビを付ければ雄飛がいる。 だから私は少しも寂しくなんてなかった。  そんな関係が数年続いたある日、私のスマホに見知らぬ番号から電話が入った。 普段は無視するはずが、どういうわけか出てしまった。相手は女の人だった。 『三田と申します』  その名前に覚えがあり、私は指定された場所へ出向いた。 本当は行きたくなかったのだけれど、雄飛の仕事に影響すると言われてしまえば断ることもできない。 有名ホテルのラウンジでその人は待っていた。ひと目で一般人ではないとわかる派手な服を着て、隣にはスーツを着た男性が難しそうな顔で座っている。 「遅くなってすみません。小森です」 「あなたが小森さんね。三田です。どうそ、お座りください」  私は言われるがまま、椅子に腰を下ろした。緊張で手が汗ばんでいる。 「なにかお飲みになる?」 「いえ、なにもいりません。それより、お話って何ですか? 雄飛の事って言ってましたけど……」  私は話をせかした。 これから雄飛と食事の約束をしているからだ。ここからの移動を考えるとできるだけ早く出たいと考えていた。    そんな私の思いをよそに、彼女はゆっくりとした口調で話し始めた。 「そう、ユウヒのことよ。あなたの話はあの子からも聞いているわ。とても大切な存在だって。でもね、あなたたち別れなさい」  彼女の口から発せられたのは、まるで陳腐なドラマのセリフみたいだった。 私は思わず笑ってしまった。 「別れなさいって、なにをおっしゃるんですかか?」 「言葉の通りよ。あの子はこれからもっと伸びるわ。あなたみたいな素人が傍にいたらいけないことくらいわかるでしょ?」 「分かりません。雄飛はこのことを知ってますか? 私たちはお互いを必要としています」 「それは結構なことね。疋田、例のものを」  三田さんは隣にいる男性にそう指示を出す。 すると疋田さんはアタッシュケースを開いて中から封筒を取り出した。 「これ、なんですか?」 「手切れ金よ。五百万入っています」 「お金で別れさせようっていうんですか? 私は応じません」 「あらそう。じゃあ、ユウヒには事務所を辞めてもらうしかないわね。 とても残念だけど、虫のついてるタレントはあたしの事務所にいらないの。マネジメントの妨げになるから」 「雄飛を辞めさせる?」  三田さんの言葉に私は驚いた。 私と付き合っているという理由で雄飛をクビにするなんて、本当にそんなことをするのだろうか。 「でも雄飛は今すごい人気があるじゃないですか。手放したりしたら事務所にも損害が……」 私が言い終わらないうちに三田さんは大声で笑いだした。 「あはははは」 「なにかおかしいですか?」  私はむっとして言い返す。けれど、三田さんは笑うのをやめない。 「ああ、おっかしい。あなたは勘違いしているようだけど、彼の活躍の半分以上があたしの力なの。いっておくけど、セルフマネジメント能力がある若いタレントなんてほとんどいないわね」  確かに三田さんの言う通りなのかもしれない。所属タレントは軒並み売れているし、現に雄飛が売れ出したのも彼女の事務所に移動してからだ。 「まあ、簡単なことよ。あなたが別れないというならユウヒを捨てて、別の子をまた育てればいい。彼くらいの才能のタレントなんてどこにでもいるんだから」 「……三田社長」 「なにかしら」 「私はユウヒのファンです。だからこれからもずっと彼の活躍する姿をみていたい……」  その日、私は雄飛の前から姿を消した。 手切れ金の500万円は生活のために受け取って。妊娠が分かったのはそのひと月後のこと。        「おねえさん。注文いいですか?」 「あ、はい。お決まりですか」  私は声のボリュームを絞る。 幸い三田さんは私のことなど見ようともしていないし、雄飛はずっとスマホを見ている。 料理の配膳は彼女にお願いすればこの場は切り抜けられるはずだ。できるだけ早く料理を提供して帰ってもらえたらそれでいい。私は必死で手を動かした。  雄飛一行が席を立ったのはそれから二時間後の事だった。 結局雄飛は私に気付くことはなかった。 当然だろう。あれからもう四年。彼は代わった。私と別れてからの雄飛は女優とのスキャンダルで週刊誌をにぎわせるような恋多き男としても有名になってしまった。  あの頃の雄飛はもうどこにもいない。けれど、彼を愛する私の気持ちは永遠に変わらない。だから朝飛を産んだ。 妊娠が分かった時、不思議と不安はなかった。生きる希望が見つかった気さえした。 夜明けとともに生まれてきた小さな命は、雄飛にとてもよく似ていた。
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