A子の場合

1/1
前へ
/3ページ
次へ

A子の場合

A子 会社員4年目 26歳 ***    湾岸の景観を一望できる最上階のレストランでデートなんて特別なことだろうと期待せずにはいられない。  彼とは付き合ってもう2年ほどになる。  私が初めて参加した産業機械の展示会で名刺交換したのが始まり。私は来場者側だったけど、彼はとある企業でプレゼンをしていて、もしかしたら私の一目惚れだったのかもしれない。しばらくして向こうから連絡をもらえてお付き合いが始まった。    会社のプレゼンを任されるような人だ。彼はとても忙しく、それでも何とかデートの時間を作ってくれるのが嬉しかった。  この2年、頻繁に会えなかったことだけが残念だけど、連絡はまめだったし、とても誠実で紳士的な人だということは十分にわかっているつもり。両親にも話はしている。父も工場を経営しているので、同じ製造関連企業に勤めている人だと言うととても喜んでくれた。  私は今、父の会社とは違う会社に勤めているけど、父としてはよくよくは私か、私の夫となる人に会社を継いで欲しいと思っているらしい。そう言われたことはないけど。  私は大事に育ててもらったと思う。決して強要はされていない。  いつも私とはきちんとしたスーツ姿で会ってくれるけど、今日は何時にもましてしっかりしているように見える。  話題はいつも通り他愛ないものだけど、彼がリードしてくれるからとても楽しい。カトラリーを持つ手が心なしか緊張しているように見えてしまう。  ふと、話題が途切れる。  ちょっと、と、彼は緊張した面持ちを隠さずに席を立った。いつもリードしてくれて私より大人なイメージの彼が焦ってる感じが可愛らしくも見えてしまい、微笑んでカウンターに向かう姿を見送った。  やっぱり、そういうつもりだよね。  今日って、プロポーズ、だよね?  ずっとドキドキしていた鼓動が一層高まる。  心を落ち着けようと窓の外を見る。本当に素敵な夜景。海に掛かる橋のライトと、そこをひっきりなしに行き来する車のライトに人の営みを感じる。その上には満月に近い月が煌々と水面を照らしている。空にあって変わらないものなのに毎日見え方の違う月に、これから二人で過ごす時間に思いを馳せる。  ふと、スマホのファイル共有アプリの通知音が鳴った。入れた覚えもないアプリからのものだったが、焦って受け入れてしまった。  送られてきたファイルは画像で、そこには、ラブホテルから出てくる彼と知らない女が写っていた。いつもかけてるメガネもないが、そこに映ってるのは間違いなく彼だ。  思わず周囲を見渡す。この手のアプリは近くから強制的に送ってるはず。  送ってきたのはここに写ってる女性だろうか?私と彼を引き離すために。  しかし店内は暗いし、金曜の夜ということで結構多くの客がいる。待ち合わせと思われる女性一人のテーブルもあるが特定は出来ない。  でも。  遠巻きに誘われたことはあるけど、実際には行ったことのないラブホテル。そんな私でもそこがどういう場所かぐらいは知っている。彼は私が断ると無理強いはしなかった。それも大事にされてると思った。でも実際は他の女性を誘っていたなんて。  たとえ一度きりだとしても、彼はそう言うことが出来てしまう男性。  真面目で誠実な面しか私に見せなかったからこそ、その一度が許せない。  まだ彼は戻らない。カウンターで花束がちらちらしているのが見える。  私は、席を立ち、彼に見つからないように店を出て、メッセージアプリから彼をブロックした。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加