宙を見上げて

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 飲み屋の白壁に、男性アナウンサーの姿が映っている。3Dホログラムの報道番組だ。芸能人の不倫に、人気歌手の新作の話、スポーツの結果。代り映えしない話題が続く。    変わったところは〝空飛ぶ車〟が作られてから百年が経ち、その開発者のインタビューくらい。125歳を迎えた老人の語り口はかくしゃくとしていて、見ていて気持ちいいくらいだった。ムーンシャインという酒で口を湿らせていたタケダは、町の機械工として興味深げに見る。彼は車やロケットの水素エンジンを作っていた。  インタビューは、開発者が車の飛行方法に悩んだ末、紙飛行機で遊ぶ子供の姿に天啓をうけるくだりで終わった。続きは次回というわけだ。 「なんだ。肝心な所で終わりやがる。カオリ、つまみをくれ」  映像が良く見える、奥の席にいたタケダは手を上げる。カウンターの女店長は彼の作業着、右袖の汚れに目を止めて、眉根を寄せた。 「父さん。お店では名前で呼ばないでと言ったでしょう」 「じゃあ、マスターって呼べばいいのか? 気取りなさんな。家族の名前くらい好きに呼ばせてくれよ。他に客もいないし」 「そういう問題じゃないんだけど。これだから古い男はデリカシーがない」  口を尖らせたカオリは奥の部屋に引っ込み、乾きものを取りに行く。  店の扉が開き、帽子をかぶった大柄な若い男が入ってきた。迷うことなくカウンターに座る。タケダにコオロギ煎餅(せんべい)を持ってきたカオリは男に挨拶した。  男は酒を注文したようで、カウンターに琥珀色のグラスが置かれる。ムーンシャインだ。照明の下で暖かい光を放つ、きつめの酒。    二人の様子をタケダが盗み見していると、男がカオリに盛んに話しかけていた。話の内容が気になるが、はっきりと聞こえない。  店の奥に陣取るんじゃなかった。かといって今からカウンター付近に座りなおすのも気後れがする。煩悶(はんもん)するも、タケダは娘へパワーアームを買い与えたことを思い出す。  パワーアームは本来、酒瓶の入ったコンテナ箱を持ち上げる時など、力仕事で活用するものだ。酔った暴漢対策もあり、カオリは常時それを腕につけていた。  寝てしまった客を店の隅に運ぶのにも役立っているという。閉店時に椅子を上げようとしたら、スイッチが入り、天井に椅子が突き刺さったこともあるそうだが。  だから心配ない。あの男が襲いかかっても、逆にカオリに殴られて顎の骨を粉砕されるだろう。なにせ俺が黙って改造して、数段パワーアップさせている。  タケダはくくっと含み笑いをした。ムーンシャインを傾けて、ちびちび飲む。 「ええっ」  カオリが突然、叫んだ。男が娘の両手を握っている。  タケダは反射的に椅子から立ち上がった。 「うちの子に何をしている!」 「お父さん――違うの、この人は」  カオリが言い終わる前に、男が帽子を放ってタケダに向かってきた。目を見開いて興奮している。しまった。顎の骨を砕かれるのは俺の方だったか、とタケダは思う。  目の前まで男は来て、 「お義父さん! 娘さんとお付き合いさせていただいています、ワシオ マサヒコといいます」  と太い声で言い、深々と頭をさげた。  タケダは勢いよく席を立ったせいで、持病の腰痛となった。
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