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包帯少女
夜の帳が降りる頃、新宿二丁目の片隅にある「バー・七ツ矢」に明かりが灯る。
大学に通いながら、ここでバーテンダーのバイトをしている木佛ヨシタカは、出勤したらまずは開店準備をする。マスターが来るまでに、掃除と仕込みを終わらせなければならない。
モップで床掃除をしていると、誰かが入ってきたことが背中越しに分かった。何も言わないので、マスターではない。
手を止めずに顔だけ向けてその人を見る。若い女性だ。
右目、右腕、右脚に包帯を巻いていて、とても痛々しい。全身を怪我しているとしたら、原因が気になる。
「すみません、まだ開店前です」
「知っています」
「では、出直していただけますか?」
「いえ。このままでお願いします」
素直に出ていかない。
「早く来たのは、マスターが来る前に、二人だけで話したかったからです。私の話を聞いて貰えますか?」
「どちら様ですか? 私のことを知っているんですか?」
「はい。私の名前は、不破ミチルです。あなたは、霊視占いが評判の人気バーテンダーさんですよね」
見境なしの占い客かと、ヨシタカはウンザリした。相手の都合はお構いなしで自分が第一の厄介な人種だ。
そのような人には塩対応に限る。
「急に来られても困ります」
「なら、一番高いお酒を注文します! それなら、私はお客様ですよね?」
「いいえ。営業していない時はお客様ではございません。開店時間を過ぎたら、いくらでも歓迎します。今は出直していただけますか? これから準備で忙しいんです」
頑固でしつこい。
マスターが来るまで、あと30分。掃除に仕込みに忙しい。自分勝手な人間の相手をしている暇はない。
尚、断ろうとするヨシタカに慌てたのか、彼女は近くの雑巾を手にした。
「それなら私も手伝います! これで拭けばいいんですね!」
相当強引な性格をしている。
「いえ、結構です。やめて貰えますか?」
ヨシタカは、モップを脇に置くと、彼女の手から雑巾を取り戻した。
「勝手なことをすると、私が叱られるんで」
「そうですか……。すみませんでした」
彼女は落ち込んだ。
演技なのかと思い、軽く霊視すると、彼女の中では本気で手伝おうとしていた。そして、暗闇の中で怯えている姿が見えた。
とても深刻な状況に置かれているようだ。
ヨシタカは、軽く済ませてとっとと帰って貰うことにした。
「そこまで言うなら、分かりました。5分だけですよ」
「ありがとうございます!」
彼女の左目が輝いて笑顔になった。そんなに喜ばれるとは思わなかった。
「それで、何についての占いをご希望ですか?」
ヨシタカは、怪我ばかりしていて運が悪いのでしょうかと言われるのかと思っていた。それなら、大抵は単なるおっちょこちょいだ。
「私はもうすぐ死体になります」
「え⁉」
彼女の口から出た言葉に、ヨシタカは妙な感覚を味わった。
私は間もなく死にます、ではない。
まるでただの物質が壊れるかのような表現である。自分の体を物として扱っていて、死生観が変わっている。
彼女に興味が出たヨシタカは、詳しく聞くことにした。
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