魔女

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 一語一句、日本語に翻訳する必要はない。古代ギリシャ語で書かれているのなら、古代ギリシャ語で理解すればよい。 「これは……」  本を霊視したヨシタカは、魔女について書かれた中で、とある一文が気になった。  ――死の魔女の娘たち。  死の魔女と呼ばれる邪悪な存在がある。死の魔女には娘たちがいる。  人間が死ぬ要因には、寿命の他、窒息、全身打撲、馬に踏まれる、土砂による生き埋め、岩の下敷き、海川で溺れる、凍死、焼死、餓死があり、それぞれを死の魔女の娘たちが分担して人間を死に追いやる。死の魔女は、新たに娘を生んでは人間が死ぬ要因を増やしている。――  魔女の存在など、現代では非科学的だと頭から否定してしまうだろう。  しかし、この時代では死を恐れるがゆえに、魔女という存在を想像して本気で恐れた。  そうして信じた多くの人の恐怖の念によって、魔女が本当に生み出された。  ヨシタカが霊視で視た魔女は、それなのかもしれない。  1時間後、パタンと本を閉じたヨシタカは、立ち上がると受付に返却した。  ベテラン司書は、「古代ギリシャ語を読めるのかい? 素晴らしいね!」と大いに称賛した。 「ええ、まあ。メモは取りましたけど」  ヨシタカのノートには、ミミズがのたくったような古代ギリシャ文字が書いてある。  一通り読んだが、すべてを理解するには誰かの助言が必要だ。  たとえ日本語で書かれた本だとしても、一読で全て理解できるかどうかは別問題。それと同じである。  ヨシタカは、ベテラン司書が話していた宗教学の鳴里拍亥教授に会いに行くことにした。  彼はこの本に精通している。それならば、死の魔女の娘たちについても、彼なりに一家言持っているんじゃないだろうか。あるいは、この本に書かれていないことまで知っているかもしれない。  勿論、何も知らなくて無駄足になる可能性もあるだろう。それでも、ほんの一握りの有益な情報が手に入れば万々歳だ。  そんな淡い期待を胸に、学生課で今の時間はどこにいるか聞いた。 「今なら自分の部屋にいますよ」  ヨシタカは、経済学部である。宗教学は文学部。学部が違っても、研究熱心な学生の振りをしたことで、なんら疑われることなく居場所を教えてくれた。  数分後には、文学部棟にある鳴里教授の部屋の前にヨシタカは立っていた。 「めえ~」 「こんなところにヤギ⁉」  すぐそばで黒いヤギが雑草を食べている。  赤い首輪をしていて逃げる様子もない。誰かが飼っていて、ここで雑草を食べさせているのだろう。  このヤギのせいか、文学棟の周辺は他の棟に比べて極端に雑草が少ない。 「まあいいか」  大学でヤギが除草していたところで、何ら問題はない。 「ベテラン司書は変態教授と言っていたけど、どんな人なんだろう?」  本を読みすぎて背中が丸まった、散髪も碌にしないもじゃもじゃ頭の男?  やせ細っているが、生命力だけは強そうな仙人みたいな老人?  霊視をすれば簡単に分かることだが、変態教授という響きから何となく予想で当ててみたいと思ったヨシタカは、前知識なく教授の部屋のドアをノックした。 「開いているよ」  中からぶっきら棒な声が聴こえた時、想像と違う声質に(オヤ?)と思った。 「失礼します!」  大きな声で挨拶しながらドアを開けた。  積み上げられた学術書や専門書に埋もれた部屋に、ほぼスペースのない大きな机が置かれて、窓から差し込む青白い光に照らされていた。  そこに背筋を伸ばして立っていたのは、30代くらいのミステリアスな美女だった。細身で背が高く、長い髪を後ろで一つに束ねている。 (ええ⁉)  予想と違い過ぎて唖然とした。  変態教授という呼び方ですっかり男性だと思い込んでいたヨシタカは、己の不明を恥じた。 (女子が変態だっていいじゃないか!)  そんな声が頭上から降ってきた、ような気がする。 「私の顔に何かついているか?」  入ってきて何も言わずに凝視しているヨシタカに、鳴里教授が不機嫌な視線を向ける。  慌てて頭を下げた。 「ああ、失礼しました! 私は経済学部の木佛ヨシタカと申します! お忙しいところ突然訪問して恐縮です!」 「私は忙しい。あらかじめアポを取って欲しいところだ」 「すみませんでした。出直します」 「まあ、少しだけならいい。経済学部の君が文学部教授の私に何の用だ?」  厳しい言葉は口にしても、優しい。 「実は、お聞きしたいことがありまして。魔女についてです」 「魔女? 興味があるのか」 「はい! 図書室で魔女に関してなら鳴里教授が詳しいと聞きました!」 「図書室で? これまた酔狂なところで聞いたな」 「すみません。私が魔女の本を探していたところ、古代ギリシャ語で書かれた本を紹介されまして、その本を鳴里教授がよく借りていたとお聞きしました。私もその本を読みました!」 「あの本を⁉」  鳴里教授がぶったまげた。それだけで、ヨシタカに向けていた不信感がウソのように消えた。 「君は、あの原書を自力で読んだというのか?」 「はい!」 「古代ギリシャ語を読めるのか?」 「はい!」  古代ギリシャ語なんて読めないのだが、噓も方便。これで打ち解けてくれるなら安いものだ。  鳴里教授は、初めて同志に会ったかのように喜んだ。 「素晴らしい! 中に入り給え! 詳しく話そう!」 「はい!」  見事に読みが当たった。  二人は、テーブルをはさんでソファに座った。 「古代ギリシャ語が読めるのに経済学部は勿体ない。推薦文を書くから、ぜひ文学部に転部して、うちのゼミに入りなさい」 「あ、いえ。そこまでは……」 「そうか。残念だ」  鳴里教授は心からガッカリしている。その顔がちょっとだけ可愛かったりする。  ヨシタカは、ふと禍々しい気を感じて、棚に目を向けた。  そこにはいくつかのガラス瓶があって、液体の中に何か怪しい物が浮かんでいる。その他、不気味な人形や謎の道具もある。  そのあたりから、かなり強い邪気が出ていて、近くにいると体調を崩しかねない。  このような場所に平気でいられる鳴里教授の神経を疑った。  ヨシタカの視線の先に気づいた鳴里教授が訊いた。 「珍しいか?」 「はい」 「世界中で集めた宗教儀式や呪術で使う道具だよ。全部、私の大事な子供たちだ」  研究対象ではなく、自分の子供たちだと言い切った。 『魔女』という言葉が、ヨシタカの脳裏に浮かんだ。  変態教授という呼び名は、こういうところから来ているのかもしれない。
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