魔女

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 鳴里教授が深く腰を下ろして足を組み替えると、深めのスリットから白い太ももがはみ出た。  彼女を見ていると、毒気に当てられる。 「で、魔女について私に聞きたいのだね」 「はい。古代ギリシャの本には、人が死ぬ理由は魔女の呪いだと書かれていました。それも死因ごとに魔女がいるのだと」 「うん。ちゃんと読んでいるな」  鳴里教授が満足そうに頷く。 「魔女の起原は、古代ギリシャと言われている。あの本は、当時人々の間で流行った魔女の噂を集めて、体系的に分類した学術書なのだよ。魔女の解説本と言ってもよい。私は、宗教学の観点からとても興味深く読んだ。魔女とは何なのか。その概念についても、よく分かるように書かれていた。死への恐怖から、古代ギリシャの人々は原因を突き止めようとした。特に、突発的偶発的に起きる死を恐れた。なぜ死なねばならなかったのか。回避できなかったのか。遺族は、誰にもぶつけられない苦しみから逃れようと、魔女という存在を作りだした。それによって、怒り、悲しみ、恨みをぶつけて解消する対象が出来たというわけだ」  講釈する姿は、普通の大学教授だ。 「それが、死の魔女が生んだ娘たちなんですね」 「そうだ。死の魔女が生み出した娘たちは様々で、溺死の魔女、焼死の魔女、転落死の魔女、窒息死の魔女、轢死の魔女、凍死の魔女などと呼ばれていた」 「そういえば、病死の魔女はありませんでした」 「病死は魔女のせいにされなかった。でも、一つだけ、事故でないのに魔女の呪いにされた死もある」  鳴里教授は、人差し指を立てた。 「それは?」 「腐敗の魔女」 「腐敗?」 「傷にばい菌が入り込むと腐り、放置すれば死に至る。医学知識が乏しかった時代だから仕方ないが、いつなるか分からないことから、魔女の呪いと考えられた」  ヨシタカは、不破ミチルを思い浮かべた。少しずつ体が腐っていく。似ている。 「抗生物質のペニシリンが発見されたのは1928年。それまで、ばい菌感染は命取りだった。じわじわと体が腐っていく。痛くて恐怖でしかなかったろうね」 「そんなことまで魔女のせいにされたなんて、なんだか呆れますね」  鳴里教授は、フフっと笑った。 「日本人だって、同じようなものさ。世の中の悪いことを妖怪のせいにしたり、厄災が起きると怨霊のせいにしたり。得体の知れないものへの恐怖を克服するために祈祷し、幸せを願って神社仏閣を巡る。人間は、目に視えないものを畏れ崇拝する」 「確かに古今東西共通ですね」  事あるごとに神社仏閣へ参拝し、おみくじを引く。やっていることは同じである。 「古代ギリシャ人は、ただ魔女を恐れていただけじゃない。人生に迷えば魔女に占ってもらい、困ったことがあれば救いを求めた。なくてはならない存在だった」 「なるほど」 「宗教学は、人間心理学でもある。どうだい。面白いと思わないか?」 「面白いです」 「興味が出たなら、転部して――」 「それは結構です」  ヨシタカは、話題を変えた。 「質問があります。教授は魔女の存在を信じますか?」  先ほどまで柔和だった鳴里教授の顔が、突如険しくなった。そんなに失礼な質問だったろうかと心配になる。 「あのー」 「魔女はいる」  堂々と宣言した。 「先ほども言ったように、私は、魔女の痕跡を求めて世界中を巡った。その結果、苦労のかいもあって、魔女を証明する貴重な品を手に入れた」  鳴里教授は、立ち上がると後ろの棚に歩いて行った。そして、一つの大きいガラス瓶を手に取った。 「これがそうだ」  ヨシタカも立ち上がると、近くまで見に行った。  ホルマリン漬けなのか、透明な液体の中にブヨブヨの肉塊が浮いている。  そして、信じられないほどの霊力がそこから放出されている。近づくだけで気分が悪くなる。 「それは、何が入っているんですか?」 「驚くなよ。この瓶には、なんと魔女の肉片が入っている!」  衝撃を受けた。 「どうして、それが魔女のものだと言えるんですか?」 「これを譲ってくれた人がそう言っていた」 「それでは真偽が分からないですよね。DNA解析をしてみては?」  鳴里教授は鼻で笑った。 「何か勘違いしていないか? 魔女は人間だよ」 「人間?」 「そうだ。人間だ。だから、DNA鑑定したところで、人間という鑑定結果が出るだけだ」 「では、それは人間の肉だと言うんですか?」 「そうなる」 「……」  返す言葉がなかった。魔女は存在した。それも、人間だった。  鳴里教授が置時計を見やった。 「おっと、もう時間だ」  暗に帰れと言っている。 「貴重なお時間をありがとうございました」  ヨシタカは、立ち上がると礼を述べて部屋を出た。 「ああ、そういえば、外にヤギがいましたね」 「バフォメットだ。ただのオスのヤギだ」  バフォメットとは、ヤギの頭と下半身を持った両性具有の悪魔の名前だ。 「教授のペットですか?」 「そうだよ。生贄用とでも思った? それとも、食用とでも?」 「いえ、そこまでは」 「食欲旺盛でね。あっという間に雑草を食べてくれる。ヤギも世話をすれば懐くんだよ。可愛い奴さ」  鳴里教授は、愛おしそうに目を細めた。  外に出ると、バフォメットはお腹一杯なのか、座って休んでいた。鳴里教授の姿に気付くと立ち上がって、甘えるように「めえ~」と鳴いた。
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