ぼっちの小路

2/2
前へ
/20ページ
次へ
「クソ―、泥濘(ぬかるみ)の魔女の呪いかー」 「え? 泥濘の魔女?」  気になったヨシタカは、学生に訊いた。 「あのー。ちょっと聞きたいんですが、もしかして、鳴里教授の宗教学を取っていますか?」 「ああ、僕は鳴里教授のゼミ生だ」 「なんという偶然!」 「は?」 「あ、いえ、実はたった今、鳴里教授に話を伺っていたんです」 「へえー、君も宗教学を専攻しているんだ。何年生?」 「自己紹介が遅れました。文学部ではなくて、経済学部の木佛(しきみ)ヨシタカと申します。一年です」 「僕は、文学部史学科三年常岡泰都(たいと)。君、文学部じゃないんだ。オカルト好き?」 「そうです。ただのオカルト好きです。よろしくお願いします」  逐一説明しては長くなるので、適当に話を合せた。 「はは、そう硬くならなくていいよ。すでに恥ずかしいところを見られてしまったし」  気さくな青年の常岡は、泥だらけのスニーカーを気にした。 「ショックだなあ。洗って落ちるかなあ」 「ああ、それでしたら、慌てて洗わない方がいいです」 「どうして?」 「まず、洗う前によく乾燥させます。乾燥した泥は剥がれやすくなりますから、叩けば大方落ちます。細かく残った泥は靴ブラシで丁寧に落とします。それでも落ちなかったら、洗剤を溶かしたぬるま湯につけ置きして、(こす)って落とします。これでだいぶ綺麗になります」 「詳しいなあ」 「僕も良くぬかるみを踏んづけてしまうので。その度に靴を買い替えては、いくらお金があっても足りないですから」  元より、金はない。 「そうだな。勿体ないよな。あとで言われた通りに洗ってみるよ。ありがとう」  年下のヨシタカの話を素直に受け入れる彼に好感を持てた。それに優しそうだ。  鳴里教授より、はるかに話しやすい。丁度良いので、いろいろ質問してみることにした。 「魔女について調べていて、鳴里教授に行きついたんですが。さっき言っていた泥濘の魔女について、詳しく聞かせてもらっていいですか」  常岡は、照れくさそうになった。 「あれは聞き流してくれ。適当に作り出した架空の魔女だ。鳴里教授が魔女の話ばかりするから、ついつい口癖になってしまっているだけで、本気で言っているわけじゃなから」 「都合の悪いことを魔女のせいにしているんですか?」 「単なる言葉遊びさ。例えば、仕送りまで日にちがあるのにお金が無くなったら、金欠の魔女の呪いとか、目の前で好きな子が他の男に誘われてついて行ってしまったら、誘惑の魔女の呪いとか。まあ、そんな感じで使う。誰かのせいにするより、よほどいいだろ?」  鳴里教授の影響がこんなところに出ている。 「魔女の呪いにすることで、少しだけ心が楽になるんだよね。誰も悪いんじゃないって思えるから」  悪いことは魔女の呪い。古代ギリシャ人の心理と同じである。 「腐敗の魔女について、何か知っていますか?」 「昔からいる魔女の一人だね」 「魔女の呪いって、どうやって掛かるか知っていますか?」 「鳴里教授によると、魔女の体の一部分を、呪いたい相手に摂取させることで叶えられるらしい」 「魔女の体の一部分?」 「何でもいいそうだ。髪の毛、皮膚、爪、血液、肉。取り込み方もなんでもいいとか。食べても飲んでも、注射でも。でも、髪の毛とか爪を食べるなんて、想像しただけでも気持ち悪いよな」 「確かに。さあ食べろと言われても、素直に食べないですよね」 「そう。相手に気付かれてはいけない。一番多かったのは、ワインに血液を混入させる方法だったとか」 「ワインに血液?」 「アルコールで色や味が誤魔化せるんだろうな。あとは、煮込み料理。ひき肉に混ぜて焼く方法もあったらしい」 「料理に混ぜて食べさせるんですね」  不破ミチルは、元カレのシチューを食べている。具材は、豚肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、キノコ。  鳴里教授が持っていた魔女の肉片。  この二つは結びつくのだろうか?  豚肉は、人間の肉に似ているという。  昔アメリカでは、核爆発の人体への影響を調べる動物実験に豚を使っていた。細胞の構成成分が似ているのだそうだ。  嫌な想像がヨシタカの胸に去来する。 (怪しいのは、キノコじゃなくて豚肉だったのかもしれない。もし豚じゃなくて、魔女と呼ばれた人間の肉だったとしたら?)  それを食べた不破ミチルは、魔女の呪いを受けたと考えてもいいだろう。  そうなると、元カレ粕谷スカヤと鳴里教授に接点があるかどうかだ。 「粕谷スカヤって名前、聞いたことありますか?」 「粕谷スカヤ?」  常岡は、少し考えて、「聞いたことがあるかも。確か、大学に来なくなった奴がいるって友人が話していた。そいつの名前が粕谷スカヤだった気がする」と、思い出すように言った。 「粕谷スカヤは、ここの学生だったんですか⁉」  同じ大学であったことに驚いた。  それならば、鳴里教授とも接点があるだろう。彼女から、魔女の肉片を手に入れることが可能となる。 「粕谷スカヤは、学校に来ていないんですか?」 「そう聞いている」 「いつから?」 「2週間ほど前に何気なく話していたから、その前から来なくなったんだろうね」  学校に来なくなった時期は、二人が別れてからすぐのことだろう。何かしら不都合なことでも起きたのかもしれない。 「呪いを掛けた側って、その後どうなりますか?」 「幸せな人生は歩めないんじゃない?」 「呪いから逃れる方法って、あるんですか?」 「死、あるのみ」 「救いがないんですね」 「鳴里教授なら、他の方法を知っているかもよ」  ヨシタカは、また鳴里教授に会わなければならなくなった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加