嫁入り

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14. 「治せ?」  思わず、問い返した。 「そうだ、早く診ろ」  屈辱を噛みしめるような顔で、夫が言う。  傍らのエイリが何か言いたげにしているが、結局諦めたようにうつ向いた。 「私が診てもいいのですか?」 「そう言っているだろう」 「この方に触ったら、私は斬られるのでは?」 「?何のことだ」  いいから早くしろと夫が言う。  僅かに後ろへ下がるような動作をしたので、思い切ってその前に座った。 「あの、…触っても?」 「…必要ならば」  もちろん、必要だった。  見ただけでは、発熱していることしかわからない。   「失礼します」  そっと手を伸ばして、首元に触れる。 予想通りの高熱。 汗はなく、微かに震えている。 「発熱はいつからでしょうか?」 「知らん」  取り付く島もない答えが返ってきた。 「早く治せ」 「………」  坊ちゃまは役立たず… 「エイリさん」 「は、はい」 「この方は御自分でここまで歩いて来たのですか?」 「はい、訪われた声で気付いて出ましたら、顔を見るなり崩れ落ちてしまわれて…」 「そうですか。どなたかこの方と一緒にお住まいの方は…」 「おられません。ナキト様は兵舎暮らしです」 「兵舎?」 「はぁ…」  エイリの目が、背後の夫の方を彷徨う。  話していいものかどうか、主に気兼ねしているらしい。  こんなことをしていたら、いつまで待っても診療できない… 「発熱の原因は多岐にわたります。疾病、感染、精神的な苦痛によるものまでありとあらゆる理由があります。ちなみに、発熱自体は悪い反応ばかりではありません。病的なものでなければ、自浄作用であることが多いので…」 「何を言っているか全くわからん」 「………」  坊ちゃまは本当に… 「ひと言で言いますと、原因を突きとめた上で治療するのが一番の近道なのです」  逆に、原因がわからぬまま熱冷まし薬を飲ませても効果は期待できない。  それどころか…  薬は毒にもなり得る。  発熱を伴う疾病を悪化させかねない投薬は、深緑は決してしない。  だがそれを説明しても、夫は憮然としたままの態度を崩さなかった。 「原因など本人でもわからぬこともあるだろう。何でもわかっているはずと考えることが間違いだ。相手が物も申せぬ子供ならどうするのか」  妻の口答えが気に入らないのか、畳み掛けるように詰めてくる。  そんなものに負けはしないが、気分は悪くなるばかりだった。   「だとしてもこうなるまでの経過はわかるはずです。子供ならば親がいるのではないですか?いつから発熱したのか、その前に何か症状がなかったか、この数日で何か変わった物を口にしなかったか…そういうことが知りたいのです」 「それができたらどうだと言うのだ」 「適切な治療ができます」 「治るのか?」 「治るか治らないかは、治るまでわかりません」 「はっ、下らん」 「………」  いい加減、腹が立ってきた。  この態度、最早坊ちゃまはただの邪魔者である。 「エイリさん、この人を…」  つまみ出してほしいと言おうとしたところで、 手首を掴まれた。 「!」  驚いて見れば、横たわる部下が薄っすら目を開いてこちらを見ている。 「あ、ナキト、さん…?」 「………、は…」 「起きたのか、ナキト!」 「…隊、長」  ずい、と前に出てきた夫の肩がぶつかった。 よろけた妻を一瞥した夫は。 「邪魔だ、退け」  そう言った。  そして、部下の枕元へいざり寄るではないか。 「………っ」  もう、我慢出来なかった。 「貴方が邪魔なんです!」  声を張り上げて言うなり、夫の肩にぶつかり返した。  もちろんその程度で動かせはしないが、夫は流石にこちらを見て目を剥いた。 「何をする!」 「退いて下さい、邪魔です」 「何だと!?」 「何ということもないでしょう、治せと言ったのだから下がりなさい!」  夢中だった。  それでも、自分が何を口にしているのかは理解していた。  斬ると言うならどうぞ、と。  心のどこかで、そう思った。 「…………」 「…………」  無言でにらみ合うこと、しばし。  先に目を逸らしたのは、夫だった。  唐突に動き出したかと思うと立ち上がり、廊下へ出る寸前で振り返った。 「もう知らん!やれるものならやってみろ!」 「!」    やれと言ったのは自分でしょう!?あんな言い草はない!  腹が立って。その余り。 「言われなくてもやりますよ!」  今度はそう、言い返していた。  夫が歯を食いしばった。 「………っ!エイリ!」 「はぁっ!はい!」 「こいつのやることをよく見ておいて逐一報告しろ!怪しい動きをしたら斬り捨てろ!」 「は、はい…!?」  言われたエイリが青くなる。  そこへヒエナが戻ってきた。 その手に桶と手ぬぐいを持っている。 「まぁ坊ちゃま、どちらへ…」 「寝る」 「寝る!?」  そんな、と言うヒエナに目もくれず、夫は足音を響かせて立ち去った。 「お、奥様?一体何が…」 「それよりヒエナさん、それは水ですか?」 「はい」 「ではそれは置いて、もう一度今度はお湯を持ってきて下さい」 「お湯でございますか?」 「そうです。沸騰させたお湯です。急いで」 「は、はい」  再び廊下へ出ていくヒエナを見送り、部下の方へ向き直る。 「ナキトさん、発熱はいつからですか?」 「き、昨日の…夜、です」 「今、寒いですか?」 「は、い…」  震えているのは、さらに熱が上がるから。 「エイリさん、他にも掛けられるお布団はありますか?」 「はい。すぐにお持ちします!」  廊下へ出ていったエイリの足音は、すぐに消えた。 「不調の具体的な内容と、時期を教えてください」 「は、はい…」  熱は昨夜から。頭痛もある。昨日の朝から、何となく体が重かった。 「訓練、中も、思うよう、に…動けず、で」 「そうですか。周りに同じような症状の方はいますか?」 「いえ、い、いませ…ん」 「お腹の症状は?嘔吐や下痢などはありませんか?」 「今は、特に、…」  それなら、流行風邪ではなさそうだ。 特有の咳や息苦しさもなさそうだし… 「ごめんなさい、口を大きく開けられますか?」 「………」 「こちらを向いて…、そうです」  覗き込んだ喉の奥も、腫れていない。 やはり風邪の所見はない。 「何かこうなった心当たりありますか?」 「………」  部下の目が、一度瞬きをした。  それが、考える時間を稼ぐためだと、何となくわかった。  心当たりはある、けど話すのを躊躇う… どういうことかしら。 「…今、ここには私と貴方しかいません」 「………」 「怖い人は、寝るそうですから」  上役である夫の耳に入れたくないのならと、遠回しに伝えてみた。  それに対し部下は目を見開いてから、口元だけで微かに笑った。 「隊長、は…心配、症なだけ、です」 「………」  あれが心配性なのだとして。  だとしても、空回りも良いところだと思うけれど…  もちろんそんなことは口にはしない。 「何かありますね?」 「…先日、の…右、腕が」 「!」  あの、傷。 夕餉に同席した時に見た、切り傷には見えず、引っ掻いたような。 あの時、既に少し腫れていた。 診たいと言ったら、夫に止められたのだった。 「見せて下さい」 「………」  部下は無言で、布団の下から右腕を出した。  黒色の、薄い単衣の袖が捲れて。包帯の巻かれた腕が見えている。  一目でわかった。太さが異常だ。 腫れている。 「これは…」  よく見れば、巻かれた包帯には薄赤と薄黄の色が付いており、血液と膿が染みていた。 「隊、長に、言われた、通り…薬を、塗り、ました、が…」 「回復しなかったのですね…」 「………」  記憶を辿る。  あの時。夫は確か、詰所にある薬を塗れと指示を出した。 「その薬はどなたが作っているのですか?」 「さ、ぁ…」 「………」  出処のわからない薬は危険だ。  いつ、誰が、何の目的で作ったのかが不明では、的確な使い道はないも同然。    そんな物を部下に使えと言うの…  そんなだから…  少年兵を募るほど、人が足りないのではないか。 「奥方、殿…」 「………」 「隊長は、悪く、ありませ、ん」 「…そうですか?」  本当に…?  貴方は何故、そう思うの…?  猜疑心がむくむくと膨れ上がる。 横たわる部下の目は澄んでいて、隊長たる夫への信頼、忠誠に一片の曇もない。  それでも。 自分は一体、どういう人間の元に嫁いできたのだろうと、思わずにはいられなかった。  相手は人の命を命とも思わぬ、とんでもない化け物ではないのか。  そんな考えが、頭の隅で育ちつつある。  しかし、今はそれを熟考する時ではない。 「…とにかく、治療をしましょう」 「…はい」 「一度部屋に戻って、薬草と薬を持ってきます」 「あ、の…」 「はい?」 「これは、治り、ますか?」  右腕を僅かに動かしながら、そう問う部下。 その目に、不安を宿している。 利腕なくして、武を振るえはしない。 「もちろん、治りますよ」  その言葉に、部下は安心したように息を吐いた。   「お、願い、しま、す」  高熱に震えながらも、礼儀正しくあろうとする姿勢には感嘆を覚えた。 「もう喋らないほうがいいですよ。舌を噛むと大変です」 「………」 「なるべく急ぎますから、眠って下さい」  その言葉で、部下が目を閉じると同時にエイリが戻ってきた。両腕に抱えた掛け布団を広げるのを手伝い、そっと下ろす。 「エイリさん、きちんと挨拶もしておらず申し訳ないのですが…」 「奥様、そんなことはいいですから。何でも手伝いますから仰って下さい」 「ありがとうございます。私の部屋の隅にある風呂敷の包を、二つとも持ってきて頂けますか?」 「畏まりました」  言うなり出ていくエイリと入れ違いで、ヒエナが戻った。 「奥様、お湯を」 「ここへお願いします」 「で、私は…?」 「手伝って下さい」 「は、はい」 「まずはこの包帯を解きます。張り付いている部分はお湯に入れて緩めますから、水桶にお湯を足して、丁度良い温度に…」 「はい」  無用の小部屋は診療部屋となり。  その晩、その部屋の灯りは消えることなく灯され続けた。
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