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嫁入り
1.
ここだよ、と示されたのは、長い塀から続く入口門の前だった。
門は大きく、その両脇には門番らしい男達が仁王立ちしている。
聞いていたとおりね…
国主のお膝元から東へ逸れたこの中都。
その中枢を治める紅華(こうか)一族の鋭牙と謳われた浅羽(あさば)は、国興しの昔からある旧家である。
その戦歴は他を圧倒する程に華々しく、一度の出陣で敵将の首を獲らずに帰還することはないとまで聞いた。
果たして何処までが真なのか分からないが、そのような格式高い家に嫁げと言われて、身ひとつで故郷を出てきた。
7日がかりで山を超え、慣れぬ都歩きに辟易しながらもどうにか辿り着いた、というわけで。
春の陽は中天に近く、懐から出した汗拭きで額を拭うも、またすぐに滲む。
泥で汚れた足元のまま訪うのは仕方ないにしても、全身の埃くらいは払おうと、両手で軽く叩いてみた。
「そんなんじゃ全然きれいになんねぇよ」
「あ、そうよね…」
言われてその存在を思い出した。
少し離れて立つ十歳ばかりの少年は、都に入ったばかりで道が分からず立ち往生していたところを助けてくれた。
いかにも田舎から出てきたばかりで途方に暮れる様子を見て、目的の家まで案内してやると言ってくれたのだった。
「もう諦めるわ」
「そんな汚いナリで、浅羽のお屋敷に入ろうってのか?」
「そうよ」
面白がるような口調に、素直に頷く。
「汚してしまったら、自分で掃除しますと言うから」
「…あんた、大人しそうな顔してるのに」
「顔は関係ないと思うけれど」
「………」
「あ、ねぇその膝」
道中ずっと気になっていた、少年の膝小僧の赤い腫れ。
元は大した傷ではないだろうが、雑菌が入って化膿していた。
「帰ったら、なるだけ中の膿を絞り出して。あなたの家では井戸や川の水を使っている?」
「うん」
「それじゃ、それをぐらぐらに沸かしてから冷ました水で傷を良く洗うの。出来る?」
「こんなもん、放っておいてもすぐ治るぜ」
「いいえ、治るかどうかは治るまで分からない」
言われた意味を考えている様子の少年を、じっと見つめる。
「あなたはとても頭が良さそうだもの。だからきっと、一度覚えれば身に付くはず。傷口の洗い方はそれが正しいのよ」
「ふぅん…」
「出来る?」
「へっ、できるよ」
「偉い。それじゃ約束の御礼を渡すから、ここへ来て」
道案内を申し出てくれた時に、無事に着けたら金をくれと、率直な物言いでねだられていた。
家を出る時に渡された「支度金」は、特に使い道も思い付かないので、少年に渡すのに否はない。
汗拭きを仕舞い、代わりに巾着を引っ張り出して、中から適当に硬貨を掴みだす。
「これで足りるのかしら」
「えっ」
手の平にこぼれた硬貨を見て、少年が目を丸くした。
「あんた金持ちだな!」
道案内だけでこんなに、と興奮している。
ともかく、足りたようなのでほっとした。
人里に出たこともないし、実際にお金というものを使ったこともないので、加減がわからなかったのだ。
「こんなにくれるんじゃ、もう十回くらい案内しなきゃだよ」
「まぁ、ありがとう。私はこういう道には詳しくないから、困ったときにはお願いするわ。それでは名前を聞いておかなくてはね?」
「俺はカンザだ。あんたは?」
「サヤ、よ」
「サヤか。もしまた用があったら、この通り沿いにある質屋に声をかけてくれ」
カンザはその店の小使をしていて、店の者に伝言すれば本人に伝わるのだという。
「それは、道案内の他のことでもいいの?」
「まぁ、できることなら引き受ける。そこらの十歳よりは働くよ」
その得意げな顔が、知り合いの幼い頃によく似ていて、懐かしさに目元が緩んだ。
「ありがとう、カンザ。本当に助かった」
「サヤはいいお客さんだ。よほどでなけりゃ、呼ばれれば来てやる」
「いい子ね」
何の気なしに言った言葉で、カンザの顔が歪んだ。
「子、じゃねぇ。俺はあと二年で浅羽騎馬隊に入るんだからな」
「浅羽、騎馬隊に?」
「そうだ。戦果を上げて、国主にまで名を届ける猛者になる。浅羽様の役に立つ男になるんだ」
「そうなの…」
色々と思うところはあるが、十歳の子供の夢を叩くような言葉は口に出来なかった。
「ごめんなさい、カンザ。子が駄目なら何と言ったらいいのかしら」
「男だ。いい男って言ってくれ」
「カンザは、とてもいい男だわ」
「そう、それでいいんだ」
胸を張って満足そうな少年の姿を、内心苦いものを見る思いで見る。
自分の嫁ぎ先は、こんな年端も行かぬ子供を騎馬兵にするというのか。
敵兵ばかりか、自らの足元を支える民の命も。その程度にしか見られないのか。
「サヤ、俺はもう行くけどいいか?」
「あ、ええ。いえ、待って」
「まだ何かあるのか」
「あのね」
手にした巾着を仕舞い、今度は合せ貝を取り出す。
「サヤの懐はどうなってるんだ?やたらと物が出てくるな…」
「これをあげる」
「何だよこれ」
差し出された合せ貝を、訝しげに見る。
通常、それを使うのは女の化粧道具くらいだからだろう。
「中は紅ではないの。開けてみて」
「はぁ?」
片眉を跳ね上げてこちらを見て、それでも指先でそっと貝を開く。
「………?」
「傷薬よ」
貝の中の、泥色の、正に泥のような物体を見て、カンザは匂いを嗅ぎだした。
「オエ…」
「あ、匂いは酷いけどよく効くから…」
「いらね…」
「え?そ、そんなこと言わずに、その傷に使って」
「………」
ぱち、と貝を閉めて、カンザはそれを懐に仕舞った。
ほっとして、思わず頭を下げる。
「ありがとう、カンザ」
「いや、礼を言うのは俺だろ?変な匂いだけど薬は高級品だ。ありがたくいただくよ」
「その傷にも効くから。でも、必ず綺麗に洗ってから…」
「わかったって。沸かして冷ました水で洗う、だろ?」
「その前に膿を」
「絞り出す」
「…いい男ね」
「だろ?」
それじゃ俺は行くからと、カンザは手を振って背を向けた。
走り出すと、あっという間に遠ざかる。
その背中が見えなくなって。
ふう、と息をついて。
門を見据えた。
一歩を踏み出す。
「ごめんください」
門番さんの男に向かって訪う。
「誰か」
「何用か」
槍のような武器を手に近寄って来られると、思わず下がりたくなった。
下がったって、もう帰るところもないのに。
「私は、深緑(みろく)から参りました。サヤと申します。当主の浅羽様にお目にかかりたいのですが」
「みろくのサヤ…?」
「聞いておらぬぞ」
「しかし、深緑と申したぞ。それは…」
「では、お館様に取り次ぐか?」
「そうだな、念の為」
男達の会話を聞く限り、取り次いでもらえそうだ。
言われた通りだった。
深緑の名を、蔑ろにするにする者はない。
「ここで待たれよ」
「はい」
とりあえず、一つ目は抜けた。
次は問題の二つ目だ。
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