満月のきみと 新月のぼく

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 そうして夕暮れになり、  ぼくらは葛西臨海公園の観覧車に乗るための行列に並んでいた。  夕暮れの観覧車は、葛西臨海公園の人気アトラクションだ。  たっぷり30分以上は待たされた。  行列に並んでいる最中、琴葉がぼくの顔を覗き込んだ。 「ねぇ、柏崎くん」 「ん?」  ふいに琴葉の顔が近くなって、その綺麗な御顔にぼくは内心ドキリとする。 「前々から気になってたんだけど」 「なんだよ」 「柏崎くんは、何で私のことをずっと苗字で呼んでるの?」  ぼくが琴葉のことを、普段から『芹野』って呼んでることが気になっているみたいだ。 「なんでって、それを言ったら芹野だって一緒だろう?」  高校のときからそうだ。  ぼくは琴葉のことを『芹野』と呼び、琴葉はぼくのことを『柏崎くん』と呼ぶ。  これは、おあいこだ。 「でも!」  琴葉は語気を強める。 「柏崎くんは、私のことを名前で呼びたいとかは、思わないの?」 「いや、ぼくは心の中では、芹野のことを『琴葉』って呼んでるし」 「じゃあなんで、現実でそう呼ばないのよ」  琴葉が攻めたてるので、ぼくも反論を試みる。 「芹野だってそうだろ?芹野こそどうなんだよ」 「話を逸らさないで!私が聞いてるんでしょ!」  やばっ。  琴葉がプンスカしてきた。  これ以上ヒートアップさせるのは良くない。  ぼくは『なだめモード』に切り替えて、様子を見る。 「じゃあさ」  すると今度は少し冷静になって、別角度で議論を進めてきた。 「聞くけど。柏崎くんは、私になんていう風に呼んで欲しいの?」 「なんていう風って言ったって・・・じゃあ」  ぼくは少し頭を巡らせて、考えた。  なんて呼んで欲しいのか? 「なに?言ってよ」 「じゃあ、『ダーリン』って呼んでよ」 「ふざけないでっ!」  そう言って琴葉は、ぼくの肩を思いきりグーで殴った。 「いてぇ!本気で殴ったな?」  琴葉は呆れ度がMAXに達すると、人をグーでぶつことがある。  少し、ふざけすぎたか?  ぼくは少し反省して、また『なだめモード』に切り替え、琴葉の機嫌を取るように努めた。  ◆◆◆◆◆  しばらくすると、観覧車でぼくらの順番が回ってきた。  ぼくと琴葉はゴンドラに乗り込み、お互いが向かい同士の席に座る。  ちょうど夕暮れから、夜景へと移行する時間帯に乗ったので、観覧車から見える景色はとても幻想的なものだった。  レインボーブリッジ、アクアラインの海ほたる、都庁、東京タワー、東京スカイツリー、房総半島までもが見える。  そして、その頭上には、黄金色の光を放った、まんまるのお月さんが。  琴葉が見たかった『中秋の名月』。  とても美しい光景だ。 「わぁー」  琴葉も窓の外の景色にくぎ付けになり、思わず声を漏らす。  よかった。  琴葉も気に入ってくれたみたいだ。  美しい景色にぼくらは感嘆の声を上げ、  狭いゴンドラの中で、2人きり。  フワリと香る琴葉のいい匂いが、ぼくの鼻をくすぐる。  思わず、もっと近寄りたくなってドキドキしてくる。  そんなとき、琴葉がぼくを怪訝な目つきで振り返った。 「あら。柏崎くん、珍しいのね」 「なにが?」 「今日は、こっちに来ないんだ」  そうして琴葉が10cmほど座る位置を左にずらし、右側にスペースを作った。 「あんまり景色がきれいだから、忘れてた」  そう言い訳をして、ぼくは琴葉の隣に行って座りなおす。 「どう?観覧車から見るお月さんは?」 「そうね。まぁまぁね」  無表情を装った、そんな琴葉の顔がかわいい。  と思ったとき、琴葉がぼくの腕に、手を絡めてきた。  !!!  琴葉の柔らかい指先が、ぼくの腕をギュッと握ってその感触が、こんなに気持ちいいことはない。  またぼくは、琴葉にドキドキさせられてしまった。  完全にやられっぱなし。  もう、ぼくは彼女に抗う術を持たないのか?  そう思って、琴葉のことがどんどん好きになっていく自分に、流されないように、理性的な大人でいられるように、じっと我慢していた。 「ねぇ、柏崎くん」  振り向くと、琴葉がまた口を尖らしている。 「そんなに私って、魅力ない?」 「え?」 「がんばって、キレイでいられるよう、一生懸命努力してるのに」 「いや・・・」  十分に、キレイだ。 「もう、いい」  そう言って、琴葉はぼくから視線を外し、窓の外の満月を一心に眺める。  琴葉の横顔越しに、中秋の満月が黄金色の輝きを放っている。  でもそんな輝きよりも、ぼくにとっては琴葉の横顔の方がはるかに美しい。 「満月なんかよりも、ぼくには芹野の方が、ずっとキレイだと思うけど?」  そう、言ってみる。  でも本当の気持ちだ。  琴葉こそが、ぼくの満月なのだ。 「ほんとにぃ?」 「あぁ、ほんとう。ぼくは芹野が・・・」  琴葉の瞳を見つめると、彼女もぼくをジッと見つめ返してくれている。  そんな麗しい瞳に、ドキドキする。彼女の魅力に、抗えない。  ぼくは、芹野が好きだ。  そう言おうと、考えてはいたのだが、  琴葉が急に目を閉じたので、ぼくの理性はもう限界だった。  そうして観覧車がてっぺんを迎えた頃、  ぼくは、ぼくの大切な満月に、キスをした。  ◆◆◆◆◆ 「はい」  琴葉がハンドバッグからティッシュを取り出し、ぼくに渡してくれた。  けっこうあちこち、口紅がついてしまったみたいだ。 「どう、取れた?」  ひととおりティッシュで顔をなでるのだが、どこまで拭き取れたのか分からない。 「まだここ、残ってる」  そう言って琴葉は、恥ずかしそうに顔を近づけ、ぼくの口元についた口紅を拭き取ってくれた。  ぼくらは観覧車を降りて、駅までの道を帰る。  観覧車の中では、思っていたより互いの情熱をぶつけてしまったので、ひんやりとした夜風に吹かれて冷静になると、何だか妙に照れる。  ぼくたち2人は、ただただ黙って、神妙に遊歩道を歩いていた。  ぼくが琴葉のことを好きなのは当然として、  どうして琴葉は、そこまでぼくのことを受け入れてくれるのだろう。  依然、謎に包まれた『世界七不思議』のことがふいに気にかかり、聞いてみた。 「なぁ、芹野」 「えっ?なに?」  黙って歩いていた琴葉が、急にパッと顔を赤くして、ぼくを振り返る。 「芹野は、どうしてぼくとつき合ってくれたんだ?」 「はぁ?今さら何言ってんの?」  さっきまで赤い顔をしていたのに、急に眉間にしわを寄せてぼくを睨む。 「なんか、気になって」 「じゃあ逆に聞くけど、柏崎くんはどうして私とつき合う気になったの?」  そんな風に、逆質問してきた。  なぜぼくが、琴葉とつき合ったのか?  それは決まっている。  琴葉を輝かせるためだ。  琴葉は高校のときから、あんなに美人なのに、輝けるのに、周囲から不遇な扱いを受けていた。  学校では全校生徒に嫌われ、家庭でも行き場を失っていた。  それは本来の琴葉が受けるべき扱いではない。  輝ける人は、相応に輝くべき。  ぼくは高校のときから、琴葉が受けている不遇な扱いを少しでも和らげられるよう、努めてきたつもりだ。  それで琴葉には、ずいぶん振り回されっぱなしだったけど。  それでもやめなかったのは、それは琴葉が好きだったから。  琴葉の魅力に、抗えない自分がいたから。  これからもぼくは、琴葉を支え続けたい。満月のように、彼女が輝けるように。  だからぼくは、琴葉とずっと一緒にいたいんだ。  そんな風に頭を巡らせていると、琴葉がフフフと笑う。 「どう、分かった?」 「え、何が?」 「きっと、それが理由よ」 「それって?」 「私には、柏崎くんが必要なの」  それだけ言うと、琴葉は蝶が舞うように遊歩道を先に歩き出し、  そうしてぼくを振り返った。 「Do you understand ? My darling」 「え?」  驚いた。  琴葉が、ぼくに『ダーリン』と言った。  舞うように、琴葉が先を歩く。  ぼくは精一杯、彼女を追って、  そうして、  愛しいぼくの満月を、抱きしめてやろうと思った。          - 終 -  -----  このお話は、拙作『たゆたい 未成年』第7章と第8章の間の出来事を、番外編として制作したものです。  また、『わたしの街の野良息子』の第10章『約束の日』の中でも、ちらりと本作の一部が紹介されております(笑)
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