第4話 逆さ紅葉は 黒く燃ゆ

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 ぼくは奈々子さんに電話で呼び出され、日光まで急いでいた。 「奈々子さん・・・」  日光駅で最終バスに乗り込んで、なんとか19:00頃に中禅寺湖に着くことができた。  ぼくは待ち合わせ場所へと急ぎ、奈々子さんの姿を探す。  しかし秋の19:00、辺りはもう真っ暗。  紅葉なんて、見えたものではない。  しばらく探していると、  真っ暗な中禅寺湖を眺めるように、奈々子さんは湖畔のベンチに座っていた。  奈々子さんは、ぼくの気配に気づき振り返る。 「奈々子さん」  いた。ほんとうにいた。  もし日光まで来て、奈々子さんがいなかったら、どうしようかと思った。 「初志くん、本当に来たんだ」  そんなぼくを見た奈々子さんの声色は、少しあきれた様子を含んでいた。 「うん。ここまで、急いで来た」 「どうして来たの?」  そんな、身も蓋もないことを聞く 「だって、奈々子さんが呼ぶから」 「ふふふっ」  そんな風に、奈々子さんが笑う。 「おかしいですか?」 「だって普通、呼ばれたからって、日光までは来ないでしょ」 「そうかな」 「そうよ」  そう言うと、また奈々子さんは真っ黒な中禅寺湖を見つめる。  ぼくも、奈々子さんの隣に座って、  2人並んで、逆さ紅葉が写っているはずの漆黒の湖を臨む。  もう真っ暗で、紅葉も何も、見えたものではない。  何にもない真っ黒な空間を、2人は凝視していた。 「どうして、来ちゃうのかなぁ」  奈々子さんがつぶやく。 「来るよ」  そんな奈々子さんを、ぼくは見つめる。 「初志くんって、おかしいよね」 「おかしいかな?」 「おかしいよ」  気のせいか、奈々子さんの口元がほころんでいる。 「たしかに、おかしいかも」 「でしょ?」 「おかしくなるくらい、奈々子さんが好きだから」  それを聞いた奈々子さんが、  急に真顔になって、口をつぐんだ。  そうしてまた、真っ黒い空間に顔を向け  じっと湖面を見つめる。  ぼくは『変なことを言ってしまった』と、少し後悔した。  もう振られているのに『奈々子さんが好きだから』なんて。  でもそれが、ぼくの正直な気持ちだった。  そうしてぼくも、奈々子さんに倣って中禅寺湖の湖面を覗く。  ぼくたちは黙って、漆黒の紅葉を愛でる。 「え?」  そう、奈々子さんが聞き返した。 「どうしました?」 「なんで、ここに来たんだっけ?」 「それは、さっき・・・」 「聞き逃しちゃった。もう一回言って?」 「もう一回?」 「早く」  奈々子さんが急かすので、ぼくはもう一度繰り返す。 「ぼくは、奈々子さんのことが好きだから」 「もう一回」  奈々子さんがまっすぐこちらを見つめているので、ぼくも奈々子さんと目を合わす。 「奈々子さんが、好きだから」 「・・・・・」  そうして奈々子さんは、唇をキュッと噛んで、ぼくを避けるように湖面に視線を移した。  ただただ黙って、湖に視線を凝らす。  ぼくは、そんな美しい奈々子さんの横顔から、目が離せないでいた。  しばらく黙っていた奈々子さんは、ぼんやりと口を開く。 「そっか・・・」  暗闇に遮られ、奈々子さんがそのときどんな表情をしていたのかは、分からない。  でも少なくとも声色は、優しかった。 「で」  急に、奈々子さんが立ち上がる。 「初志くんはこの後、どうするの?」 「どうって?」  奈々子さんに呼ばれたから、来ただけだ。 「帰るの?どうやって帰るの?」  そんなことを聞いてくるのだが、辺りはもう真っ暗だ。  終バスに乗ってここまで来たので、帰りのバスがあるとも思えない。 「バスが、もうないかも」 「じゃあ、ホテルでも取ってあるの?」 「いや、急だったから」  紅葉のこの時期、急に行って、空いているホテルなんてないはずだ。 「そしたらどうするの?野宿でもする気?」 「野宿?」 「この辺りは、サルが出るわよ」  そう言って、奈々子さんが脅す。  ぼくが困った顔をしていると、奈々子さんが不敵に笑う。  そうして踵を返し、道路へと向かった。  ぼくは何もできず、奈々子さんの後を追いかける。 「だったら、私の取ってるホテルに泊まる?」  道の端に出ると、奈々子さんが、そう言ってぼくを振り向いた。 「部屋も布団も1個しかなくて、狭くて申し訳ないけど」  ◆◆◆◆◆  翌日、ぼくらは華厳(けごん)の滝を少しだけ見学して、電車に乗って東京へと帰った。  電車に乗っている間、昨夜の奈々子さんの乱れ顔と、彼女の柔らかい肌の感触が、ずっと頭から離れなかった。  もう一生、一緒にいたい。  そんなことで頭をいっぱいにしているうちに、電車は浅草駅に着いた。  別れ際に、ぼくは奈々子さんに聞いた。  昨夜は2人、結ばれたのだ。だから「つき合って欲しい」と。 「え?」  と、奈々子さんは首をかしげる。 「あれ、言わなかったっけ?初志くんは、私の『好みのタイプ』とは、ちょっと違うって」  それだけ言うと、奈々子さんは駅の階段をスタスタと降りて行ってしまった。  そんな奈々子さんを、ぼくはただ目で追うことしかできなかった。
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