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第1章 いざ!
目の前の茶髪の女性――ううん、母は、私を娘だと信じて疑わない。神様が私に与えた偽りの家族だというのに。
こうして今も眉を顰め、目を吊り上げ、我が子のように接する。
「ミエラ、本気?」
「うん」
リビングで向き合い、一心にその赤褐色の瞳を見詰めた。
「お相手はサファイアの公爵様のご令息よ?」
「うん」
「貴女はエメラルドの田舎の子爵の娘」
「うん」
頷き、母へと視線を戻す。
「この子、本当に分かってるのかしら……」
彼女は大袈裟に「はぁ……」と溜め息をつき、書斎へと続くドアへ目を遣った。その先には父とサファイアから私を引き取りに来たクローディオが居る。
絶対に引く訳にはいかない。此処で負けてはこの世界に留まった意味が無くなってしまう。前世で果たせなかった、本来ならば待っているであろう幸せな将来も摘まれてしまう。
助けを乞うようにドアを見詰める母から、目を離したりはしない。
「ああ神様、私はどうしたら……」
絶対に神様は助けてはくれない。神様がどういう人物なのか、私は知っているのだから。
長い沈黙の後、蝶番が鈍く擦り合う音が響く。書斎に居た二人が話し合いを終え、リビングへ戻ってきたのだ。
笑い合う二人の様子から、話し合いは円満に運んだのだろう事が窺い知れる。
「あなた……!」
「カエラ、良いから座りなさい」
茶髪の男性――父は母を制し、自ら彼女の隣に座る。
「ルーゼンベルク卿もそちらへ」
「はい」
クローディオが私の隣りに座ったのを確認すると、父は母の右手を握る。
「これは私たちが兎や角言って片付く問題でもない。ましてや反対出来る問題でもない」
「あなた、でも……!」
「二人の目を見ても同じ事が言えるか?」
母は泣き出しそうな瞳を私たちへ向ける。それも一瞬で、直ぐに父の元へと戻っていった。
「二人とも魔導師様だった……。でも、それは無かった事になったんでしょう? それなら、二人とも然るべき将来を歩むべき──」
「然るべき将来って何だ?」
「それは……」
母はグッと口を噤む。
「俄には信じ難いが、二人は命を賭して互いを愛し合っている、それに違いはない。そうだろう? ルーゼンベルク卿」
「はい!」
クローディオは勢い良く頷いてみせる。
「ミエラも」
「うん」
父の問に、私も間を置かずに頷く。
「ただ、三日だけ待って欲しい。私たちにも覚悟がいる。ミエラにはもう二度と会えないのかもしれないからね」
本来の両親では無いとはいえ、二人の愛情を受けて育った記憶はある。それは父と母も同じだ。
慈しみのある茶色の瞳に見詰められ、思わず俯いてしまった。
両親を悲しませたくはないけれど、国を離れて暮らすとはこういう事なのだろう。
「私はやっぱり嫌です。エメラルドの貴族じゃなければ……。サファイアに売るためにミエラを育てたのではありません」
「カエラ……」
母は我慢が出来なかったのだろう。声を殺して泣き出してしまった。
「ミエラ、ルーゼンベルク卿。二人はミエラの部屋に行っていなさい。お母さんは私が説得するから」
「分かりました」
クローディオはすっと立ち上がると、私の手を取った。促されるまま、廊下へと出る。母にこう悲しまれると、やはり気分は沈んでしまう。
「ミエラ、大丈夫だよ」
いつもと変わらない表情でクローディオは微笑む。
一体何処からそんな自信が出てくるのだろう。何だか私が損をしているようだ。
「む〜……」
「大丈夫」
言いながら、頭まで撫でてくる。やはりこういう所は卑怯だな、と思う。
殆ど無言のまま、二階の自室へと辿り着いた。小さな音を立てて閉まったドアを背に、二人で木製の素朴な椅子に座る。
「でも……」
「ん?」
「どうやってお父さんを説得したの?」
聞くと、クローディオは照れ臭そうに頭を搔く。
「説得っていうか……ありのままを話したよ。魔導師だった頃の事、全部」
「えっ!?」
私たちが魔導師だった頃の事なんて、この世界から無かった事にされている。その証拠に地震の爪痕だってこの街の何処にもないし、街の誰もがルイスが現れた事を話す素振りすら見せない。
それなのに、父はその話を信じたというのだろうか。
「俺だって信じてくれないって思ってた。でも、ミエラのお父さんは信じてくれたよ。全部、とまではいかないのかもしれないけど」
クローディオはにこりと微笑む。
「ミエラのお父さんとお母さんになってくれた人が優しい人たちで良かった」
「……うん。クローディオ──」
「二人だけの時はクラウって呼んで欲しい。今までみたいに。俺もミユって呼ぶから」
「……うん。クラウのお父さんとお母さんはどんな人?」
「えっ?」と小さな声を上げると、クラウは「うーん……」と考え込む。言葉を選びながら、一つずつ紡いでいく。
「厳格……って言ったらいいのかな。勿論、優しさもある。でも、それだけじゃなくて厳しさもある。そんな人」
はっきりと言ってよく分からない。曖昧だ。
「ミユも会えば分かるよ」
そう言って笑いながらはぐらかす。心配だから、会う前に知っておきたかったのに。
「む〜」と唸り声を上げていると、背後からドアが軋む音が聞こえてきた。驚いて振り返ると、赤褐色の瞳と目が合った。
私よりも若干年上な青年は、紳士的に微笑み、首を垂れる。
「……お兄ちゃん!」
「ルーゼンベルク卿、ミエラをよろしくお願いします。貴方は『運命の人』らしいので」
「お兄ちゃん!」
顔が沸騰したかのような感覚に陥る。今、此処で言わなくても良いではないか。
頬を膨らませる私を他所に、兄はクラウにぺこりと一礼する。
「……はい!」
クラウもクラウで声を張り上げる。
兄は満足したようで、ニカッと笑うと静かにドアを閉めた。
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