第3章 馴れ初め

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第3章 馴れ初め

 何とか目を開けなくては。クラウに会えていないし、夜ご飯も食べていないから。  ぼんやりと瞼を開けてみる。霞む視界には、何故か天井に布が張り巡らされている。  此処は何処だろう。頭の中に疑問符ばかりが並ぶ。 「ミエラ嬢、おはようございます」  私の顔を覗くのはグリーングレーの瞳だった。  という事はーー 「ルーナ……?」 「はい!」  元気いっぱいな声に目を擦る。瞼をしばしばさせ、もう一度自分が居る場所を確認してみる。  ふかふかな背中、温かな布団──此処はベッドの上だ。天井の布は白い天蓋だった。 「私、いつの間にベッドに……?」 「クローディオ卿が運んで下さったんですよ。ミエラ嬢、ソファーで眠っていらっしゃいましたから」 「え?」  全然気付かなかった。  折角この部屋に来てくれたのに、申し訳ない事をしてしまった。  今日は朝一でクラウに謝ろう。そう決意をし、ベッドからゆっくりと抜け出す。 「それにしても……クローディオ卿、ミステリアスで……やっぱり素敵ですよねぇ」 「え? ミステリアス?」 「はい!」  ルーナは目を細めて朗らかに笑う。  あの表情豊かで感情丸分かりなクラウがミステリアス──私が思う人物とはかけ離れている。 「う~ん……」 「どうかなさいました?」  ルーナは不思議そうに小首を傾げる。  「う~ん……」と考えてみたものの、わざわざルーナのイメージを壊す必要な無いだろうという結論に達した。 「……何でもない」  すっぱりと答え、渡されたピンクのドレスに袖を通した。髪も一つに纏め、ドレスと同じ色のベルベットのリボンを結ぶ。 「では、行きましょう」 「うん」  ルーナに先導され、開かれた扉の先を歩く──筈だった。  開けられた扉の先には見知った人物が腕を組んで佇んでいた。 「ミエラ、おはよう」  柔らかな声がとても心地良い。声だけではない。その笑顔も。 「おはよう、クローディオ」  私たちは昨日ぶりの抱擁を交わした。  暫し互いの温もりを感じ、両手は繋いだままでそっと身体を離す。 「ちゃんと寝れたみたいだね。良かった」 「……昨日はごめんね。折角来てくれたのに」 「気にしないで。無理する方が良くないから」  何気ない会話なのに、凄く安心する。  そのまま私たちは居間へと向かって歩き出した。ルーナと、クラウの隣に居た若い執事は私たちの後ろに付く。 「手を繋いで、ずっとこうしていたい。ミエラを離したくないのに」 「私も離れたくない」  この後、週に一度は会えるとしても、また八ヶ月間も傍に居れなくなるなんて。寂しくて仕方が無い。  魔導師だった頃に比べるとかなり恵まれている環境なのに。魔導師を辞めた途端、我慢が何処かへ弾け飛んでいってしまったらしい。 「此処から二人で抜け出せたら良いのにな」 「それは駄目。そんな事したら一生会えなくなっちゃう」 「分かってるけど、さ」  クラウが言いたい事も凄く分かる。分かるけれど、絶対に受け入れては駄目だ。  このまま時が止まれば良いのに。そんな考えさえも過ぎる。  ダイニングまではあっという間の時間だった。後ろを歩いていた二人が私たちの前へ出て、扉を押し開ける。 「おはよう、父さん、母さん」 「おはようございます、お父様、お母様」  クラウに続き、ぺこりと頭を下げた。  ルーカスとキャサリンは既に席に着いていた。並んで座る二人は私たちを見遣り、にっこりと微笑む。 「おはよう、二人とも」 「さあ、食べましょう?」  二人で頷き、席へ急ぐ。  ルーナが引いてくれた席はお母様の向かい側、クラウの左隣だった。何も言わず、静かに座った。  朝食は粛々と進んだ。テーブルマナーは一応魔導師だった頃に叩き込まれたから、問題は無かったと思う。パンやクラッカー、野菜サラダにハムステーキ、どれもが新鮮で温かかった。それなのに、緊張と不安で味わうことも出来ずに飲み込んでしまった。  一旦胃を落ち着けると、キャサリンは私を見て口を開く。 「ミエラ、そろそろ行きましょう。何時までも此処に居ては名残り惜しくなってしまうから」 「……はい」  そうとしか答えられない。  立ち上がるキャサリンに続いて、私も立ち上がった。 「私たちも行こう。ミエラを見送りに」 「うん」  クラウの顔をまともに見る事が出来ず、玄関まで無言のまま歩いた。  外には既に馬車が待機していた。馬車の中からヒルダが顔を覗かせ、元気に手を振る。 「ミエラ、昨日振り!」  それに何とか笑顔で答え、手を振り返した。直ぐに手を引っ込め、俯く。  行きたくない。クラウと二人で逃げ出したい。弱気な自分が顔を覗かせる。  頭を横に振り、その考えを払拭させる。 「行く前にクローディオに挨拶してきなさい」  その声にはっと顔を上げた。振り返り、クラウの顔を確認してみる。──今にも泣き出しそうな笑顔だ。  キャサリンは私の背中を優しく押す。その勢いに任せ、クラウの胸に抱き着いた。 「行ってくるね」 「うん。ミユ、頑張って。俺も頑張るから」 「うん」  小声で囁き合う。  駄目だ。このまま離れられなくなってしまう。  頑張れ、私。と心を奮い立たせ、身体を離した。クラウの顔も見ず、馬車の中へと駆け込んだ。続いてルーナも乗り込む。  キャサリン、ヒルダ、私、ルーナを乗せて、馬車はゆっくりと、しかし速度を上げながら走り出した。堪らずに窓へしがみつき、涙目のクラウを見詰める。 「行ってくる~!」  震える声を絞り出し、手を振った。  クラウとルーカスの姿が見えなくなってから、やっと座席に腰を下ろした。 「今生の別れじゃないんだから、大丈夫だよ、ミエラ!」 「そう、なんですけど……やっぱり寂しくて……」  ぎゅっと両手を握り締めてみる。 「私、あんな表情のクローディオ卿、初めて見ました」 「うーん、クローディオ、家族の前では表情豊かなんだけどね」 「言われてみればそうね」  会話が頭になかなか入っていかない。 「どうしてミエラには心を開いたんだろ?」  私の名が聞こえ、やっと顔を上げた。 「私、ミエラ嬢とクローディオ卿の馴れ初めを聞いてみたいです」 「良いわね。まだ到着まで時間もあるし」 「賛成! 私も気になる! 二人とも魔導師様だったのは分かるんだけど、それしか知らないし」  馴れ初め──何処から話せば良いのだろう。私たちは長い間、色々あり過ぎたから。  盛り上がる三人を他所に、「う~ん……」と唸り声を上げてみる。  取り敢えず、話せるだけ話してみよう。 「えっと、話せば長くなるんですけど……。私たち、百年前に出会って、結婚の約束をして……。でも、私、その次の日に死んじゃって……。えっと……」 「ん!?」 「んん!?」  キャサリンとヒルダの声が重なる。ルーナも何やら怪訝そうな顔をしている。
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