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「おう、お帰ェり」
「…………おやっさん」
自室を開けた先、一升瓶を抱えた男が億劫そうに出迎えて朝倉は脱力した。
「まさかおめェがご丁寧に施錠する日がくるとはなァ」
トキか。
「で、おやっさんは開けて入ってきたのか」
ピッキングで。もしくはチンケな鍵だ。その必要はないかもしれない。
正しく理解した朝倉は社会の首輪ネクタイを緩める。
「庭の方は開いてるとか、おめェ馬鹿か。しかし随分様変わりしたじゃねェかこの部屋。コレでもできたか?」
目尻の皺を深くした赤ら顔で小指を立てられても、全くおもしろくない。視線の先、とんと出番のない元灰皿にはコケだか盆栽だかが知らぬ間に居座っているし、甘ったるい飴はキャラクターの缶から溢れている。
「違う。ただのガキ」
「なんでェ! こさえたか!!」
「……よしてくれ。あんたに言われると堪える」
苦く笑えば、湯呑みを放られる。
「──もう、いいと思うぞ」
トク、トク、トク。
問答無用になみなみと注がれ、仕方なしに辛口のソレを呷る。一気に熱を持つ腹。
細められた双眸に捉えられているだろう薬指の輪っか。ふと、その眼差しの向こうに過ぎ去りし日のよく似た瞳を見出す。
朝倉とこの男の間に血の繋がりはない。平たく言えば義理の関係になるのだが、大らかな性格から分け隔てなく接してもらえている。感謝しかない。
「操立てはいらねェ。あいつにも、俺にも」
無言を貫く朝倉に、もう一杯が。
ゆれる水面は、己の信条のように。
「隠してるだろうが」
言い置いて、相手は深い色の目をこちらに向ける。
「元々吸わねェお前が、好きでもねェのにあいつ愛用の銘柄吸ってるのも知ってる。鬼みてェに仕事に明け暮れてるのも、飯食うの面倒がってるのも俺の所に全部上がってる。まともに眠れてねェのも。いい加減にてめェを許してやれ。とっとと先にくたばったあいつが悪い」
存在をズッシリと示す、薬指。
「……それでも、」
乾いた唇から絞り出す声は、無様に震えている。
「それでも、縋らないと生きていけない……」
臆病な自分は。
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたが、ホント馬鹿だなァ」
知らず俯いていた肩に、重みを増されて更に沈む。
湯呑みに広がる波紋。
「あいつも、お前も、二人とも俺の大事な倅だ。しあわせを望まない訳がねェだろぉが」
──あたたかい言葉に、救われる。
餞別だと義父の置いていった酒を舐めながら、朝倉は寄ってきた猫に手を伸ばす。喉を鳴らしながら目を細める様を、ぼんやりと眺めやる。
「お前は強いな」
明らかに己よりも、確実に。
この猫が子を産むのは一度や二度ではない。しかも、全てが順調に育つわけでもなく。いつの間にか姿の見えなくなったチビも、無残な変わり果てた姿になったヤツも見た。気ままに朝倉の元へ顔を出してはいるが、基本的に野良の環境は厳しい。そして育っても巣立ちをさせるため、手塩にかけて育てた子を怒って追い出す。この猫は総てを一匹でやり切る。
自分はというと、減る子猫に憂いて数える手を止めただけ。どころか、たった一人離れてしまった相手を想い燻り続けている。
むしろこの猫にかかってしまえば、自分も手のかかる子猫の一匹なのかもしれないと行き着いて、撫でる手が止まる。
「なぁー」
のんびりと続きを催促され、再開する。
もうすぐ四十になるというのに、いい年して猫にも義父にも心配をかけてばかりだ。
苦笑まじりに湯呑みを空けて、口に放り込んだ馴染む甘さ。
遅れて、見開く眼。
──最後に吸ったのは、いつだ?
観葉植物があったために灰を捨てられなかったからか、猫や未成年が居座っていたために煙を上げられなかったか。思い起こせば、煙突の中のような職場での喫煙もいつが最後か。未練がましく使っていた、あの男のライターの重さの感覚はどこへやった?
知らぬ間に、変えられている。
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