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「あれ?巡査はんやん。どないしてん。ウチの前で…」
ーー夜。
スーツに着替えて長屋街の小径に入った藤次は、家の前で立ち尽くす竹史に瞬く。
すると、竹史は無言で藤次に詰め寄ると、有無を言わさず彼の頬を拳で殴りつける。
「な、何をいきなり…!!」
声を上げた瞬間胸ぐらを掴まれ、竹史は怒りで身体を震わせながら声を張り上げる。
「これでも足りないくらいだ!あんな綺麗で優しい人が健気に家で待ってるのに、貴方と言う人は……!!」
言って、竹史がもう一度拳を振りかぶった時だった。
「止めて。巡査さん。」
「!!?」
振り返ると、閉じられていたはずの我が家から現れたのは、何かを悟ったような落ち着いた表情の…絢音。
「絢音さん!けど!!」
「良いの。離してあげて?巡査さん。藤次さん帰ってくるまで、私の事守ってくれてありがとう。もう、大丈夫だから…」
「守るぅて、な、なんかあったんか?!お前、大丈夫なんか?!」
そうして抱き寄せようとしたら、僅かに距離を取られ戸惑う藤次に、竹史は吐き捨てるように言う。
「奥さん、あなたが手を出した女性の彼氏に、襲われたんですよ。自分がたまたま居合わせたから良かったものの、一歩間違えればどうなってたか…」
「えっ…」
青ざめる藤次に、絢音は静かに笑う。
「おかえりなさい。藤次さん…」
*
「………」
ーー居間に入って着替えを済ませると、絢音はエプロンを着けて台所に消えていったので追いかけると、作業台には食べられない程に盛られた沢山の自分の好物があり、藤次は目を丸くする。
「あ、絢音これ」
「ああ。久しぶりに早く帰って来るって聞いてたから、張り切っちゃって。直ぐにご飯にするから、待ってて。」
「え、あ…」
「あ、それとも食べてきた?なら、お風呂どうぞ?沸いてるわよ。疲れて眠いなら、布団も干してフカフカよ。それとも、またこれから仕事?なら夜食」
「待てや!!」
「!!」
何食わぬ顔で日常を演じる彼女に堪えられず声を張り上げると、絢音は困ったように眉を下げる。
「なに。今更、何の言い訳。それとも、こうなったのはお前のせいだと詰る?」
「そうやない!悪いんは、裏切ったんは俺や!!せやから、ケジメ…つけとうて…」
「そう。じゃあ、さよならね。直ぐに荷物まとめるから、ここに佐保ちゃん呼んで、幸せにしてあげて。」
「アホか。アイツとは、もう別れたわ。それに、約束したやろ。結婚前に5つ。その一つ、俺がお前を裏切った時の償い、今果たす…そやし…」
「?」
我慢していた涙を流し始めた絢音のそれを拭ってやり、藤次は作業台の上の…自分が一番大好きな唐揚げを一つ摘んで笑いかける。
「飯、食おう?久しぶりに藤太入れて、家族3人で。巡査に殴られた時に落としてしもたけど、お前の好きな苺の乗ったショートケーキも、食べよ?」
「藤次さん……」
な?と言って笑う藤次に、絢音は何も言えず、2人で食卓をおかずで華やかに飾り付け、一緒に作った小さなお子様ランチの前に藤太の位牌を置き、向かい合わせで座り手を合わせ、食事を進めていく。
「筑前煮のにんじん、散々残して悪かったな。筑前煮だけやない。ピーマンにさつま芋に里芋、何より肉嫌いな俺を、今まで嫌な顔せず工夫して食わせてくれて、おおきにな。今日は何でも食うから、じゃんじゃん持って来や。」
「…うん、わかった。じゃあ、冷凍ご飯…解凍するね。」
「うん。冷蔵庫も冷凍庫も空にするくらい、食べる。酒は……せやな。最後に一杯だけ、お前が作る酒の中で、俺が一番好きやった辛口日本酒のお湯割、お願いできるか?」
「うん。じゃあ、あなたの好きなとっておき、開けるわね。」
「うん。おおきに…」
そうして、腹が一杯になるまで絢音の手料理を堪能し、彼女に晩酌してもらいながら、少し歪な形になったショートケーキを2人で食べて、空になったちゃぶ台を布巾で拭く絢音をぼんやりと見つめながら、藤次はスマホを取り出して、連絡先の谷原真嗣をタップする。
呼び出しコール音の後、どうしたの藤次と耳をついた親友の声に、食卓を共にした事で、僅かに揺らいでいた己の気持ちが引き締まる。
「すまんな。こないな時間に。そやし、今からウチ来てもらえるか?…仕事、頼みたいんや。」
誰の、何?と聞く真嗣に、藤次はハアと息を吐いて、ふと…目の前の女性にプロポーズした冬を思い出す。
『僕と、結婚してくれませんか?』
勇気と言う勇気を振り絞って、彼女を永遠に愛すると決めて言ったのに。
生涯かけて幸せにすると、何度も何度も約束したのに。
何があっても、この女を支えていくと決めたのに…
言葉にできない自責と辛さと情けなさと後悔に苛まれながらも、藤次は真嗣に伝えた。
俺と絢音の、離婚話しや。
と…
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