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「…では、再度お聴きします。被告人とは十分な慰謝料、つまり金銭的な謝罪と納得のいく話し合いの上関係を精算している。間違いありませんね?」
「…はい。慰謝料を受け取った際、棗さんは私の今後の身の振りにも上司に口添えをするからと気を使って下さりました。その上で、自分をセクハラで訴えても良いとさえ言って、丸橋法律事務所の弁護士さんまで紹介してくれました。その気持ちだけで、私は十分慰められましたし、今後棗さんを訴えようなどと言う気持ちもありません。弁護士さんのおっしゃる通り、納得の行く関係精算をしてます。」
ーー京都地方裁判所321号法廷。
真嗣の証人尋問で証言台に立った佐保子の言葉に、藤次は目頭を熱くさせ、小さく肩を震わせる。
「…ホンマに、すまんかった。京極ちゃん…」
嗚咽を堪えながら搾り出した言葉に、佐保子は小さく彼に礼をする。
「…このように、被告人と証人の間にありました不貞行為は、双方納得の上で関係は精算されており、被告人がこの不貞行為が原因で被害者であり妻である棗絢音氏を疎ましく思い殺意を以って心中に見せかけ計画的に殺害したと言う検察の主張とは大きく異なっております。」
言って、真嗣は更に弁を続ける。
「加えて、被害者棗絢音氏は、たびたび被告人に、早世した息子に会いたいと吐露しており、被告人は被害者の意見と母性を尊重し、尚且つ、一人で死に行こうとする彼女を哀れみ、共に逝こうと心中を企画したと申しております。被害者を死に至らしめたのも、看取り役として彼女の自死を見守っていたが、その凄絶さに耐えられず、もう楽にしてやろうと言う情けからの…幇助による犯行であると、弁護人は考えております。」
「つまり、弁護人は被告人を、検察の提示した殺人罪ではなく自殺幇助罪が妥当であると、述べたいのですね?」
「はい。」
「…被害者の自死の凄絶さに耐えられず犯行に及んだ。その点につきましては、検察も被告人への尋問で把握しております。殺意を以って殺害はしていないとも。しかし、果たして本当に殺意は無かったのでしょうか。裁判長、その裏付けとして、検察からも証人にいくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
「…検察の、証人への尋問を許可します。証人は検察官の質問に対して正直に意見を述べなさい。」
「は、はい…」
俄に萎縮しながら、佐保子は嘗ての職場である京都地検…相原藤司の言葉を待つ。
「被告人と証人は、本件事件前日に、嵐山にて密会を行っていた事が、捜査により明らかとなっておりますが、その際証人は、甘味処『嘉月』の前で被告人に対して暴言を吐いていたと言う目撃証言を検察は得ておりますが、証人…いかがですか?」
「なっ!」
言葉に詰まる佐保子の態度に、藤司はニヤリと嗤いながら、更に続ける。
「目撃者の中には、証人が被告人に対し平手打ちを行っていたと言う証言も得ております。翌日心中を企画しておりますから、前日に関係清算の話し合いがあったと推察されますが、証人は本当に、納得の行く話し合いを被告人としたのですか?」
「あ、あの時は、私も頭に血が上っていて、つい、手が出てしまいました!!棗さんに対しても、暴言を吐いたことも認めます。ですが、最終的には納得してます!」
「弁護人も、本質問には異議を唱えます。検察官は、質問に対して何を立証したいのでしょうか。」
すかさず佐保子に助け船を出してきた真嗣に対し、藤司は更に弁を続ける。
「検察としては、以下のことを立証したく、証人に尋問致しました。それは証人が、被告人に被害者と別れて自分と婚姻を結んで欲しいと迫ったのではないかと。そして、被告人もその約束を受け入れ、2人で被害者の殺害を計画したのではないか。と言う事…つまり、証人にも殺人教唆の疑いがあるのではと言う事です。」
「なっ!何言うとんやこのクソガキ!!よりにもよって京極ちゃんを罪人呼ばわり」
「被告人、静粛に。」
「っ!!!」
裁判長に嗜められ、刑務官に取り押さえられ、着席を促される藤次を満足そうに見つめて、藤司はこう締めくくる。
「被告人と証人は、男女関係になる以前からも、職場の上司と部下ではありますが、被害者より長い時間の中で築き上げた信頼関係が伺えます。証人の周りの人間からも、2人の仲の良さは少し度が過ぎていた。てっきり結婚するものだと思っていた。と言う証言も得ています。この事から、検察は証人がこの事件に少なからずの影響を与えていたのではないかと言う疑いが拭えません。」
「異議あり。先程から検察の意見は推察が多く見受けられます。具体的な、証人が被告人に被害者殺害を唆したと言う証拠を提示していただけませんか?」
眉を顰め意見する真嗣に、藤司はまるで待ち詫びていたように裁判長に向き直る。
「裁判長、只今の弁護人の発言から、検察からも証人を申請致します。よろしいでしょうか?」
その言葉に、裁判官達は暫し話し合っていたが、意見がまとまると、藤司の方に向き直る。
「検察の申請を許可します。」
その言葉に、藤司は傍聴席を見やり口を開く。
「では、証人…笹井稔氏を、招聘いたします。」
「!」
顔色を変える真嗣と佐保子を尻目に、病んだ表情の稔が証言台に立つ。
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