第12話

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「………久しぶりやな。このクソエロガキ。」  京都地検の、かつて自分が使っていた部屋に通された藤次は、己が座っていた席に座る相原藤司に向かってそう言うと、彼は黙って調書を開く。 「では、取り調べを開始します。山際(やまぎわ)、記録…」 「は、はい…」  隣の…かつて佐保子の席に座っていた初老の事務官は、自分の息子ほど歳の離れた藤司の言葉に瞬き、急いでパソコンを開く。 「…なんや。随分一端の口聞くようになったやん。ワシの出す課題にヒーヒー言っとったヒヨッコが。」 「…被告人は、事件以外の発言は控えて下さい。では、お聞きします。あなたは、平成◯年◯月×日の未明、妻である棗絢音氏に心中しようと持ちかけ、朝鮮朝顔由来の劇物を飲ませ殺害を計画したが、いつまで経っても同氏が死に至らない事に業を煮やし、殺意を持って頸部を両手で圧殺。死に至らしめた。間違い無いですね?」 「………」 「間違い無いですね?」  ペンを握り締め、語気を強く聞き返す藤司に、藤次は答える事なく薄く笑みを浮かべるので、藤司はバンと机を叩き、検事!と止める山際を押しのけ藤次の胸ぐらを掴む。 「答えろや!何で殺した!!!そやし、あれだけ好きや愛しとる言うてワシに譲らんかったクセに、不倫の挙句邪魔になったから殺したなんて言いよったら、今すぐこの手で、同じように縊り殺したる!!」  瞳に涙を浮かべ激昂する藤司に、藤次は哀しく微笑む。 「せやな。お前の方が、なんぼもなんぼも、絢音を愛しとったやろな。その歳まで独り身貫いて、女遊びもせんと仕事に打ち込んで立派になった。ワシなんかより、お前の方が、絢音は幸せやったろうな…」 「そう思うなら、さっさと罪認めて贖罪し。殺人なら最高刑は無期か死刑や。やり口も悪質やし、必ず絞首台に上げたる。…まあ、ホンマはこの手で嬲り殺しにしてやりたいけどな。」  そう言って藤次を睨め付ける藤司に、補佐で入っていた賢太郎が割り込む。 「相原検事、お気持ちは分かりますが、被告人の挑発など受け流し冷静に。さ、尋問を再開しましょう。」 「………ッ!!」  賢太郎に諭され、頭に上っていた血が引いたのか、藤司は乱暴に藤次の胸ぐらを解放すると、賢太郎は藤次の乱れたシャツを整え座らせる。 「…被告人も、検察官の質問のみに正直に答えなさい。度を越した不適切な発言は、心象を悪くするだけです。よろしいですね?」 「ああ…分かりましたわ。検事はん。」  言ってニヤリと嗤う藤次を一瞥して、賢太郎は別の調書を藤司に渡す。 「被害者である棗絢音氏が死亡した後、被告人は花藤総合病院の精神科医京橋進氏が、棗絢音氏に処方していた向精神薬を大量服薬し、自死を企画してます。救命処置をした医師によれば、発見が遅れたら命に関わる量だったと言う証言も得ております。狂言心中にしては、リスクが高いと思いませんか?」 「…親友だと言う弁護士が早朝来ると分かっていたから、それを見越した上で、見つかった時により心中を明確に印象付ける為の服薬だったとしたら?その為に、態と玄関の鍵を開けていたとしたら?」 「…と言うのが、検察の見解と疑問点ですが、被告人、何か発言はありますか?」  問う賢太郎に、藤次は彼をまっすぐ見つめて口を開く。 「心中は本気でした。彼女を看取って死ぬ。それが約束でしたから。玄関の鍵については、前日のトラブルで、京都府警本部の地域課の巡査さんが、妻を助ける際に強引に引き戸を開けた為、建て付けが悪くなり閉められなかったからです。そして…」  そこで言葉を区切り、藤次は賢太郎と藤司を真っ直ぐ見据えてから、口を開く。 「私は、決して『殺意を以って』彼女を殺してはいません。苦しんで死にたいと言った彼女の意思を尊重して見守っていましたが、そのあまりの凄絶さに耐えきれず、もう楽にしてやろうと、犯行に及びました。つまり…」  その先の言葉を聞いた瞬間、2人の検事は目を丸くし、藤司はポツリと…阿呆やわ。オッサンと、目頭を熱くさせ、賢太郎は徐に、雪のちらつき始めた窓の外に目をやった。 * 「つまり、殺人ではなく自殺幇助。そう言う訳だね。藤次…」  ーー件の取調べから数日の京都警察本部内の接見室に、真嗣と藤次はいた。  数枚の書類を片手に自分に問いかける親友に、藤次は頷く。 「ああ。殺したのは認める。そやし、そこに殺意は無かったし、原因もワシの不倫やのうて、死んだ息子に会いに行きたかったから。そう主張してくれれば、量刑はどうなっても構わん。」 「そう。なら、その方向で証人を集めるよ。まあ、不倫が原因じゃなかったことを証明するには、京極さんにきちんと納得の上関係を清算したと発言してもらわないと、少し難しいかな。」 「せやろな。まあ、それに関してアイツが何ぞワシに償え言うてきたら、相談乗ってやってくれるか?ワシのせいで人生滅茶苦茶になってもうたしな…できる限りの事はしてやりたいんや。」 「分かった。それはそれで考えるよ。…それで、藤次。」 「ん?」  何やと言いたげな眼差しを向ける親友に、真嗣はゴクリと生唾を飲み、ずっと避けていたある事を伝えようと決意する。 「…多分、開廷すれば多かれ少なかれ検察(むこう)も提案してくるだろうし、僕も君の主張の明瞭さのために、裁判長に申し出るかもしれない。だから…一応、覚悟はしていて欲しい。絢音さんへの気持ちを、貫くなら…」  そこまで言って、真嗣は真摯な顔つきで、藤次にある司法手段を口にする。 「状況によっては、僕は君の精神鑑定を裁判長に申請する。…いいね。」 「……せやろな。どう考えても、苦しみのたうち回る妻を、何もせず見守り続けてたやなんて、まともな精神状態やあらへんよな。そやし…ワシの絢音への愛を否定されてるみたいで、辛いなぁ…」 「藤次…」  すっかり憔悴して小さくなった肩を震わせ声を詰まらせる親友に、真嗣は何も言えず、暫時の沈黙ののち、また来るねと告げて、警察署を後にした。  そうして時は流れ巡り、幾つもの手続きと取り調べを重ねて行き、季節は芽吹の春を迎える。 「…有給使って、朝から並んだ甲斐があったわね。」  言って傍聴券を握り締め、安藤夏子は背後にいるサングラスにショートカットの女性を見やる。 「もう外しても良いんじゃない。て言うか、随分バッサリいったわね。目もコンタクトだし、誰も京極佐保子だって、分かんないんじゃない?」  その言葉に、ショートカットの女性…佐保子は薄く笑う。 「失恋に断髪は付きものでしょ?だから思い切って切ったのよ。でも不思議ね。何もかも失ったっていうのに、どこか気持ちは晴れやかなの。ま。マスコミは相変わらず煩いけどね。」  嫌になっちゃうと言いながら席に着き、佐保子はそっと髪をかきあげる。  すると、瀟洒なデザインのエメラルドのピアスが視界に入ったので、夏子は目を丸くする。 「珍しいわね。あなたがそんな高そうなアクセサリー。」 「ああ。なんて事ないわ。遊びでねだってみたら買ってくれた、唯一のプレゼントよ。家にあったものは引っ越す時に全部処分したけど、どうしてもこれだけは捨てられなくてね。勿体無いから、付けてるだけ。」 「佐保子…」  憐れむような夏子の視線に、佐保子はにっこりと笑ってみせる。 「そんな顔しないでよ。もう、吹っ切れたから。今はただ、あの人の元部下として、顛末を見届けたいだけ。それに…」 「それに?」  問う夏子に、佐保子は手を差し伸べる。 「色んな人が周りから去って行く中、夏子だけは、今日まで私のそばに居てくれた。ホントに、ありがとう。」 「佐保子…」  ちょっとクサいかなぁと戯ける彼女の目尻には、僅かだが涙が光っていて、夏子はいたたまれない気持ちに胸を痛めながらも、差し出された手を握り締める。 「なんて水臭い。それに、こんなに近くにいたのに、あなたがあの検事をどれだけ好きだったかを気づいてあげれなくて、相談相手になってあげれなくて、ごめん。これからは何があっても、私は味方だからね。」 「夏子…」  ありがとうと、小さく鼻を啜る彼女の頭を撫でていると、刑務官に連れられ、藤次が傍聴席の前を通る。 「あ…」  かちあった視線に動揺を隠せない佐保子に、藤次は黙って静かに頭を下げて、自身の席へと向かう。 「藤次さん…」  グスグスと声を殺して泣く佐保子の背中を摩りながら、夏子は呟く。 「見届けましょう。最期まで…」 「うん…」  ーーこうして、藤次と絢音が出会った日から十年と少しの春。  様々な思いが交錯する中で、藤次に対する審判が始まった。  彼に下される判決は、果たして… 第12話 了    
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