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第10話
「藤次さん。藤太。誕生日、おめでとう!!」
「ぱーー!ぱーー!」
「おおきに。」
ーー5月16日。
外に出れば、あちこちから夕飯の匂いと団欒の声が聞こえる、京都は北山二丁目に佇む、ノワール北山の2階角部屋。
表札は、棗藤次、絢音、藤太。
食卓には、質素でも豪華でもないが、絢音の思いの詰まったパーティー料理と、苺の乗った手作りケーキ。
刺された蝋燭は2本。
藤太の1才と、藤次の50歳。
節目の時を彩る光を3人で眺めながら、藤次が徐にケーキを手前に寄せ、膝に乗っている藤太に語りかける。
「ほら。フーッてしてみ?フーッて。やないと、お父ちゃんが消してまうで?」
「うーー?」
不思議そうに蝋燭を見つめる藤太をあやしながら、藤次は蝋燭の火を吹き消す仕草をして見せると、小さな口が膨らんで、フッと炎に息を吹きかける。
「さすがに消せんか。ほんなら…恨みっこ無しやで?藤太。」
「ぶ?」
言って、藤次は目の前の蝋燭を吹き消したので、絢音は電気を点けて手を叩くので、藤太も嬉しそうに手を叩く。
「次は一升餅と選び取りやな。藤太お前、ちゃんと歩けるかぁ〜?」
「あーぶー」
「はい。巽屋さんで作ってもらった、一升餅の入ったリュック。」
「ん。」
そうして、藤次はリュックの紐を藤太の腕に通して背負わせると、スマホのカメラを向けてる絢音を見やる。
「ちゃんと撮れとるか?手ぇ、離すで?」
「うん。大丈夫。」
「よっしゃ!ほんなら藤太、お父ちゃんの方、来てみ!」
「うーーーー」
サッと手を離し、少し離れた所へ行って手を広げて招いてみると、藤太は前に行こうともがいて、ペタンと、片足を前に出す。
「そうや!その調子!もう一歩!!ほら!こっち!!」
「うーーー…ふーーー…」
「頑張って藤太!!ほら、お母さんもこっちよ!!」
藤次の隣に並んで、絢音も一緒に呼んでみたが、みるみる藤太は涙目になり、一升餅諸共ペタンとその場に座り込み泣き出す。
「ありゃりゃ。まあ、歩いた言えば歩いたか。ホラホラ、泣きなや泣きなや。お父ちゃんが悪かった。よう頑張ったな。エライエライ。」
「うーーうーー」
グズる藤太を抱き上げ背中をさすってやると、チュパチュパと指を舐め始めたので、藤次は食卓に座る。
「よしよし。可愛い可愛い。選び取りの前に、メシにするか?離乳食も卒業やもんな?お母ちゃんのメシ…美味いで〜?」
言って、藤次はテーブルの上の…野菜で作られた握り寿司の一つ、鮪に見立てたトマトのそれを、涙目の藤太に与える。
「うーー?」
不思議そうにそれを口に運び、もぐもぐと口を動かしてごくんと飲み下すと、たちまち笑顔になり、もっともっととねだるように手をバタつかせ始めたので、藤次は苦笑する。
「お前、ホンマにワシの子やなぁ〜。現金なやっちゃ。次はなんや?大根か?人参か?それとも、お母ちゃんがお前の為だけに作った、大好きなさつまいものミニケーキか?」
「まぅま!!うぅ!!まぁ!!」
「藤次さん。アタシがあとは食べさせるから、藤次さんも、食べて?主役なんだし。」
「ほうか?ほんなら、任そうかな?よっしゃ藤太、お母ちゃんと食べ。」
言って、膝に乗せていた息子を絢音に渡そうとするが、藤太はイヤイヤと、藤次の胸に縋りついて離れない。
「ありゃりゃ。こらあかん。とんだくっつき虫や。藤太、お前男やろ?お母ちゃんにし。柔らこうてもっと座り心地ええで?」
「やぁーーやぁーーー」
「ありゃまあ、まぁたグズり始めた。分かった分かった。お父ちゃんと食べよ。ほら、さつまいものケーキ。」
言って、食パンで出来たケーキを切って口に運ぶと、途端に笑顔になるので、藤次は困ったように眉を下げる。
「お前なぁ〜。お父ちゃんもお母ちゃんの料理、大好きなんやで?食べさせてぇな。」
「じゃあ、主役さんにはハイ。あーん。」
「へっ?」
訳もわからず声のした方を見やると、絢音が箸で摘んだ唐揚げを自分に示しているので、藤次は照れながらも、それをパクリと口に運ぶ。
「美味い…」
「そ?良かった。次は?豆腐ハンバーグにする?お豆腐屋さん変わっちゃったから、ちょっと味違うけど…」
「う、うん。ほんなら、ハンバーグ…」
「ハイ。じゃあ、どうぞ?」
「うん…」
パクッと頬張り、藤次はポツンと呟く。
「幸せ…やな。」
「やだ。何よこんな事で〜!変な藤次さん!」
「ぱーーぱーー!」
「ああ……せやったな!変な事言うて堪忍!!ホラ、選び取りしよ!藤太は将来何になるかなぁ〜…パイロットか?医者か?」
「うーー?」
目を白黒させる息子の頭を優しく撫でながら、絢音は口を開く。
「何でも良いわ。元気に育ってくれたら、何でも…」
「ん。そうやな。元気で育ってくれたら、ええか…」
「うん。」
そうして、3人仲良く寄り添い、絢音は藤次に笑いかける。
「私、幸せよ。藤次さん…」
*
「藤次さん…」
「ん……」
硬い長椅子でうたた寝していた藤次は、絢音の呼び声で覚醒する。
「あれ……ここは……」
呆ける彼に、絢音は静かに呟く。
「中山先生、準備出来たから、どうぞって……」
「あ……」
その言葉と、窶れた妻の表情で、藤次は一気に、先程までの出来事は夢魔の見せた甘い『夢』であった事を理解する。
「……夢、見てた?幸せそうに、藤太藤太って、笑ってた。」
「ああ。まあ、な。何も無ければ迎える筈やった日ぃを、夢見てた。……任せきりでごめんな。行こう。」
「うん。」
そうして立ち上がり、憔悴した絢音の肩を抱き、藤次は息子の待つ病室に向かう。
「……こっちが、夢やったらえかったのに……」
ガラリと開けた病室の中の小さなベッドには、たくさんの管に繋がれた、折り紙で埋め尽くされ、金色の紙の王冠を被された、青白い顔をして眠る、我が子……
大勢の看護師や葵夫妻、真嗣夫妻、賢太郎夫妻、姉夫婦が見つめる中、藤次は鎮痛な顔をする中山の元へ行く。
「……ほんなら先生、『お別れ会』……頼んます。」
ーー春雨冷たい、5月16日。
棗藤太……満一歳。
早すぎる旅立ちの朝だった。
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