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次は終点、____駅。
「次は終点、終点。―――駅。」
壁全面にある透明な硝子からは橙色が映し出されていた。左右に伸びる硬いクッションの座席は退屈そうに、暖色に塗れた緑。手元の四角い掲示板は18:23を示している。ゆったりとした時の流れと共に、外の景色は見慣れない場所に変わる。
少しの温もりを感じながら。
電車が止まった。到着の場所だ。軽い肩がけの学生鞄を引っ張りあげて、ゆっくりローファーで音を鳴らす。
降りた先のアスファルトは古くひび割れていた。誰もいない。誰も降りない。ここには私しかいなかった。画面上の地図は黒く塗りつぶされ、地域名を表示しない。試しに実家に電話かけてみても繋がることがなかった。
今ここでは、私以外の人と関わることは難しいらしい。
何時もの学校から帰宅後、友と夜通し通話をしていた。たわいも無い愚痴。友の彼氏が浮気をしたらしい。どうやら胸も顔も申し分がない、年上の女性。そんな人と付き合う男に、甘えることなどできないと、友の方から別れを告げたらしい。明日の宿題を終わらせながら、話終わるのを待っていた。友はと言うと気が済むまでマシンガントークを繰り返し、最後は笑いながら話が纏まった。別にそこで通話を終えればいいものの、切るにも理由がない。友はまだ話したりていない。
無言の時間が流れた時、『なんか面白いことないかな…』と呟く自分の唇に驚いた。それを聞くなり、見えないけれど目を光らせた声で語ってきたのが次のことだ。
この話はどうやら、ネットの掲示板に転がっていた話らしい。
夕方ある駅のホームに行くと、電車が来ている。しかしそこのホームは普段は入ることも電車が着くこともない、使われなくなった場所。しかし、ある時間帯に普通に通れるようになるらしい。そして乗れるのはそのとき電車に選ばれた者のみ。選ばれる方法はわからず、どうやってホームにたどり着くかのみ分かっている。そして、その電車に乗ってから着く場所は終点だけ。終点から元の場所へ戻る電車は出ているのか分からない。乗るまでの経緯は掲示板に書かれているが、その後はどうなるのかは、乗れた人のみ、神のみぞ知る。
話終わったあと、友は「やってみたけど乗れなかった。」とため息混じりの欠伸をした。
私はと言うと、「明日一緒に帰れない」だけ言い残し、眠気に耐えきれなくなったと、通話が終わった。
当の私は、その話が頭からなかなか取れない。気になりすぎる好奇心に負け、調べ始めた。ほぼ通話先の話だ。ホームまでの行き方については、諸説ある。が、有力なのは、ある時刻にある場所経由である一つの改札をある値段の切符で通る。そういうことらしい。
どうやら、早終わりの下校時間なら間に合うようだった。明日は偶然にも早く終わる。友もいない。一人で出来るなら好都合だ。子供の興味は後先を考えなかった。明日は帰りが遅れると母に早々に伝え、何度もルートを確認した。問題の駅はそう遠くない。なんなら、学校からは歩いて行ける距離。少し楽しみになっていた。
特に誰と話すことも無くSHRが終わり、下校時刻になった。誰に引き止められることも無く、静かに校門を抜ける。男子生徒たちは自転車置き場で集っている。女子生徒達は歩きながら大きな笑い声とともに、帰路に就いていた。
私は、いつもとは逆方向の駅へ向かう。昨日さんざん調べあげたルートを確認して行った。
まず向かうのは、ある公園の1箇所。細い抜け道を通ればすぐだ。
この時間、ここは太陽の光が周りの建物に遮断され暗くなる。子供達は近寄らない場所として有名だった。鴉が小うるさく先に進むように説教してくる。冷たい風が足元を過った。
掲示板に書かれていた場所に着く。公園の片隅。忘れ物置き場。そこに何かないかを確認する。それが電車に乗る条件。
中を見るとピンク色のハンカチが置かれていた。触ってみると少し固く使い古された物。誰のものだか検討もつかないが、何故か心のざわめきを覚えた。
ここに長居していては時間に遅れる。踵を返すように駅へと走った。
到着した駅はそこまで人が居ない。そもそも主要な路線が通らない駅である。地元の人が少し近場でやりくりする際に使われるだけの小さな駅だった。
ネットに書かれている通りの値段の切符を買った。そして、書かれている通りの改札を抜ける。時刻ピッタリ。勢いよく飛び出た切符を取り、中に入った。右に見える駅の係員の目が私をずっと見ている。目を合わせてみたら、何故か閉じているのか開けているのか分からない目元だった。帽子をかぶっていないのに、目が分からない。不思議さと恐怖を感じながら通り過ぎた。
使われなくなったホームへ向かう。普段はシャッターの降りた場所。入ることすら出来ない場所。右に曲がればその入口だ。息を思いっきり吐いて気持ちを落ち着かせながら前へ進む。
なぜか、シャッターは上がっていた。
ゆっくりとシャッター先の階段を下りていく。硬い靴の音が鼓膜を劈く。真っ直ぐ降りた先、見慣れない色の電車が静かに私を待っていた。
発車ベルが鳴る。急いで駆け込んだ。
ゆっくり進み出した私の乗る電車。何の変哲もない電車の中はとてつもなく静かだった。
そんな経緯で誰もいないホームに私は居る。
さてここからどうするか、ここに1人取り残され、何をするにも、何が出来るのかも分からない。手元の時刻は先程から18:30で変わらなかった。
だが、思考の中はずっと動き続ける。このベンチに座っていても埒が明かない。改札を探そうと駅を歩き回ったが、まず、出口自体がない。乗り場のみである。そして、あるものは屋根と柱とベンチのみ。何をするか…どうすれば良いのか分からない。来る前に調べあげたが、ここから先の答えは載っていなかった。
座っているのでは心が落ち着かない。焦る足を押し殺し、ゆっくりと歩き続けた。目を瞑り、どうするか考える。
動き続ける足と心臓を感じながら、考えを固めようとした先、足になにか柔らかい感触を感じた。目を開ける。踏んでいるものを見た。
…ピンクのハンカチだ。どこかで…確か、落し物箱の中に入っていた物。触った感触は、それと同じだった。…何故ここに?持ってきちゃったっけ?ゆっくりとそのハンカチを拾い上げた。
四角の辺が繋がる2点を摘む。ゆっくりと重力に負けて広がった。熊の刺繍が小さくついたハンカチ。子供が使うには丁度いいハンカチだ。
じっと見詰めていた時、折られた部分から何かが落ちていくのを目の端で捉えていた。風に乗って飛んでいく。遠く遠くに舞い上がる。見失わないように走って追いかけた先は、柱の下でペットボトルに刺さった向日葵が咲いていた。
心の中で細かく大蛇が動くような地鳴りに似たざわつきを覚える。少しずつ、その地響きは頭の中まで浸透してきた。ふと、耳を塞いで蹲る。下を見つめていた。怖い、なにか、自分に何かが起こっている。ゆっくりため息を吐いた時、目線が上に上がった。
「お兄ちゃん!ねぇ!待ってよ!!」
「しょうがないなあ、鬼ごっこは本当は待っちゃダメなんだよ?」
天まで届きそうな場所から滑り台は地面へと繋がる。ジャングルジムの最上階は、心が強い人のみ登れた。シーソーはお兄ちゃんが私より重たいから、足つかない。ブランコだけは、お兄ちゃんといい勝負だった。
毎日同じ時間にここに来る。お母さんが連れてきてくれた。お菓子を持って、遊びに行く。絶対入口近くでお兄ちゃんが待っていた。
「捕まえた!」
「んー!こればっかしはしょうがないか!
よし、疲れたから休憩しよう」
お母さんたちは、近くの喫茶店でゆっくりしている。お兄ちゃんはもう、小学校5年生だった。私よりもお兄ちゃん。2人でベンチに座って、2人で持ってきたお菓子を食べていた。
「あ、お兄ちゃん膝傷ついてる!」
「さっき転んじゃったからね!」
「まってて!」
咄嗟に私はベンチから飛び降りて水道に向かう。小さなポシェットからピンクの、くまさんとあだ名を付けたハンカチを取り出した。小さい熊の刺繍をお母さんがつけてくれたから、くまさん。水道で水にハンカチを浸して、軽く絞ってお兄ちゃんとの頃へ走った。
「これ!」
「いいの?」
「うん!」
そのとき、お母さんが、私たちの横に来ていた。
「帰るよ?」その言葉が毎日お兄ちゃんとバイバイする約束の言葉。
「絶対返すからね!」
お兄ちゃんが私に手を振りながら離れていくのを見つめていた。
その後に知る。
お母さんから『転校するんだって』という言葉。あの時は意味がわからなかった。今なら、分かる。
遠くに行ったのだと。
「あのハンカチ…」
手に持つハンカチを見つめた。
あの公園、夏になると向日葵が咲き乱れていた。私とお兄ちゃんで、種をばら蒔いていたから。管理人の人は、それを知ってつむことも無く、なんなら、水をやり、育て上げてくれていた。そして、種ができると、また来年のためと、私たちに渡して。
時は進み始める。18:31の文字が映し出された。遠く汽笛が聞こえる。行きで見たのと同じ電車。ゆっくりとドアが空いた。
『忘却駅、忘却駅。次は終点、…駅』
聞き馴染みの駅の名前が聞こえた。
急いで電車に乗る。振り返ると、あの時、離れる時に見つめていた背中が見えた。
きっといつかまた、会える。
そんな予感とともに、橙色の世界が動き始めた。
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