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ちりん、と涼やかな音が響き渡る。
私は視線を巡らし、音の源を探る。
少し先のほうに路地への入口が見える。
季節は梅雨明けの候であり、時刻はいわゆる宵の入り。
空は濃紺に染まりつつあって、街も暗がりの中に沈みつつあった。
夜に染まりつつある景色の中、私は家路に就いていた。
その最中、一際暗々と見える路地の奥から、その風鈴の音は響き出て来たように思えた。
歩みを進め路地の入口に差し掛かった私は、何の気無しにその奥を覗き見る。
苔生したブロック塀が路地を挟んでいるのは判ったものの、聳える樹々が投げ掛ける陰の所為か、その中に在るものの輪郭や色合いはぼんやりとしていた。
路地から漂い出た湿り気がゆるりと頬を撫でる。
それは、仄かながらも甘き香りを湛えているかのように感じられてしまった。
ちりん、と涼やかな音が響き渡る。
刹那、路地から這い出つつあった湿り気が、奥の方へ急に身を潜めたように感じられた。
逃げ込んだ湿り気を追い掛けるかのようにして、私は知らず知らずのうちに路地へと足を踏み入れる。
唐突に、濃紺が視界を塗り潰したかのように感じられた。
狼狽えて立ち竦む私の耳に、ちりん、と涼やかな音が忍び入る。
その音は、嫋やかな花の香を孕んでいるように思えてしまった。
花の香に溶け込むかのようにして、私が抱く狼狽はその姿を薄れさせる。
両の足は知らず知らずのうちに路地の奥へと歩みを進めつつあった。
まるで、漂う花の香を追い求めるかのようにして。
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