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勘違いじゃないらしい
【エントランスにいる】
【ルクセンブルク】
【くどい】
【イソギンチャク】
【暗くなる前に行くぞ】
【臓器移植】
【“く”責めやめろ】
【ろうそく】
【“く”責めやめて下さい】
【今エレベーター前】
【え。普通】
定時の十七時半を十分も過ぎていない、ほんのり暗くなってきた夕方のオフィス街を水瀬とふたりで歩く。
どこに行くのかは聞いていないが、ご飯に行こうと誘ってきたのは水瀬なので私は大人しくついて行く。
ただの同期である私相手だろうと、女性には車道側を歩かせないというのも王子教育に含まれているんだろうか。
一緒にいて一度だって車道側を歩いたことはないのに、わかりやすく場所を変わられた記憶もない。
王子は何でもスマートにこなすらしい。
こうして隣を歩くと、本当に人目を引く容姿だというのがよく分かる。長身でスタイルが良く、颯爽と歩く姿はまさに王子。
すれ違う人がみんな水瀬に視線を向けているというのに、当の本人はそんなことどこ吹く風。
さらに水瀬に目を奪われた人はもれなく隣にいる私にも目を向ける。
そして「なんで?」という疑問を隠しもせずに顔に出す。決して愉快な気分ではない。でもそれももう慣れた。
世の中歩いているだけでこうも人目を集める人はそうそういない。どうせならいっそバラでも背負って歩いたらいいのに。
「……なんか変なこと考えてるだろ」
「ふふ、変なことって?」
「『めっちゃ見られてる。さすが王子』みたいなやつ」
頭の中を覗けるのかというくらい言い当てられて驚いてしまう。
エスパーか。エスパー水瀬なのか。
「ちなみにエスパーじゃねぇからな」
「怖っ」
怖すぎるぞ、水瀬王子。
じっとりとした目つきで水瀬を見上げると、意外なほど優しい顔つきで私を見ていた。
「わかるよ。お前の考えてることくらい」
ニヤリとからかうように笑いながら言ってくれたら、こっちだっていつものテンションで返せたものを。
その甘い眼差しに含まれている感情は、およそただの同期に向けられるものの類いではないとわかってしまうから。
店に着く前から困り果てて言葉をなくし俯いた私を見て、水瀬は話題を変えることにしたらしい。
「学生寮、どう?」
あからさまな方向転換だったけど、仕事の話なのはありがたい。
先週エレベーターで会った時に行くと話していたから、気にかけてくれていたんだろうと思うと嬉しかった。
「うん。最初ほど頑なじゃなくなってきた。乗り気とは言わないけど、こっちの話も時間取って聞いてくれるし、一応気にしてはいるみたい」
今回請け負ったのは男子寮で、一人部屋と二人部屋が選べ、住み込みの寮母さんがいる昔ながらの寮だ。
築年数や耐震強度の問題で建て替えることになったが、まだ他に三つ寮がある。
そのうち二つは女子寮で、どちらも古い建物で常駐の寮長さんと住み込みの寮母さんはいるもののオートロックがついていない。
防犯や管理体制の面からいっても、オートロックや二十四時間録画式の防犯カメラはあったほうがいい。
そのほうが安心して寮に住めるし、親御さんだって大学に信頼感を寄せるだろう。
そこをうまくプレゼンしながらなんとか建て替えの話に持っていき口説き落としたい所。しかしまだまだ道は険しい。
「でも、学生寮は契約取れたとしても私の手柄じゃないけどね」
「なんで」
「水瀬も知ってるでしょ?爽くんの出身大学だから。爽くんいなかったら、もしかしたらまともに話も聞いてもらえなかったかも」
「……」
決して卑屈になっているわけではないけど、やはりキャリアも駆け出しの私よりも、ほとんど年が変わらないのならOBの爽くんの話のほうが聞いてもらえたのは確かだ。
とはいえ私だってそこに甘んじていたわけじゃない。
女子寮の建て替えについての重要性は女性である私の方がより説得力を持って話を進めていけると自分を信じて仕事を進め、今では事務局のおじさん達は私の話にも笑顔で対応してくれる。
黙ってしまった水瀬にいらぬ心配をさせてしまったと慌てて弁解する。
何度か飲みながら『女であることの不利』を愚痴ってしまった私のことを気にしてくれているんだろう。
「あ、でも今は違うよ。ちゃんと私が担当者だって向こうもわかってくれてるし、爽くんも補佐に徹してくれてるし」
「……爽くん?」
だから別に悲観していったわけじゃない。
そう伝えたかったんだけど、どうやら水瀬が気になったのはそこじゃないらしい。
「え?」
「そんな呼び方してたか?」
いつの間にか下の名前で呼んでいたのが気になったんだろう。
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